2000年の「済州島四・三事件52周年」は、「四・三特別法の
制定と在日の済州島四・三事件」と題して開かれた。
第一部は「四・三特別法の制定とその意義」というタイトルでの
報告であった。
報告者は、金英薫氏(済州島道議会副議長)と梁東允氏(済州四・三
特別法争取のための連帯会議運営委員長」のお二人だった。
そして、第二部が「四・三と在日の恨・・・なぜ四・三を書いてき
たのか」と題した金石範・金時鐘の「対談」。
このとき、金時鐘さんには、四・三の体験を告白する心の用意は
なかった・・・。「しかけ」といえば、しかけであった。
金石範さんの問いかけの中で、語らざるえないような状況になり、
固く口を噤み、心の奥に閉じ込めてきた悪夢のような体験を、あたか
も切開手術をうけるかのように、
お話なされた。
込み上げてくる涙を止めることも出来ず、グレーのハンカチで
目頭を時折押さえながら・・・であった。
一週間後の東京・・・。
おそらくは、必死に心や記憶の整理をなさったのだろう。B4の
紙数枚をもって、演壇に金時鐘は立った。
長い数日間だったろうと思う。
この対談をきっかけに、一年半あまりの歳月をかけて、『なぜ
書きつづけてきたか・なぜ沈黙してきたか』という一冊の本が、
文京洙の渾身の努力で、平凡社から出版された。
もう喋りたくないという思いを抱きつつも、一方では、真実を
語り残しておかなければという相克のなかで、吹田事件について
も、金時鐘は、言葉を、心をひらいている・・・。
http://6104.teacup.com/cheju43/bbs/
上記の掲示板には、昨年済州MBSのテレビクルーの取材を
受けられたときのことを書いた。
この企画は、NHK大阪のS氏?
何はともあれ、少し安堵の感もある現在である。
今年の四・三事件の記念集会は、東京は4月20日(金)夜、
大阪は、4月21日に予定している。
来年度は、60周年である。人間の齢で言えば、還暦だ。
制定と在日の済州島四・三事件」と題して開かれた。
第一部は「四・三特別法の制定とその意義」というタイトルでの
報告であった。
報告者は、金英薫氏(済州島道議会副議長)と梁東允氏(済州四・三
特別法争取のための連帯会議運営委員長」のお二人だった。
そして、第二部が「四・三と在日の恨・・・なぜ四・三を書いてき
たのか」と題した金石範・金時鐘の「対談」。
このとき、金時鐘さんには、四・三の体験を告白する心の用意は
なかった・・・。「しかけ」といえば、しかけであった。
金石範さんの問いかけの中で、語らざるえないような状況になり、
固く口を噤み、心の奥に閉じ込めてきた悪夢のような体験を、あたか
も切開手術をうけるかのように、
お話なされた。
込み上げてくる涙を止めることも出来ず、グレーのハンカチで
目頭を時折押さえながら・・・であった。
一週間後の東京・・・。
おそらくは、必死に心や記憶の整理をなさったのだろう。B4の
紙数枚をもって、演壇に金時鐘は立った。
長い数日間だったろうと思う。
この対談をきっかけに、一年半あまりの歳月をかけて、『なぜ
書きつづけてきたか・なぜ沈黙してきたか』という一冊の本が、
文京洙の渾身の努力で、平凡社から出版された。
もう喋りたくないという思いを抱きつつも、一方では、真実を
語り残しておかなければという相克のなかで、吹田事件について
も、金時鐘は、言葉を、心をひらいている・・・。
http://6104.teacup.com/cheju43/bbs/
上記の掲示板には、昨年済州MBSのテレビクルーの取材を
受けられたときのことを書いた。
この企画は、NHK大阪のS氏?
何はともあれ、少し安堵の感もある現在である。
今年の四・三事件の記念集会は、東京は4月20日(金)夜、
大阪は、4月21日に予定している。
来年度は、60周年である。人間の齢で言えば、還暦だ。
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