当ブログをご覧いただいた方から、制作を始める前のアプローチを知りたいというリクエストをいただきました。
いつか書こうと思いながら、いつのまにか月日が流れていました…たいした話もありませんが、よろしかったらお付き合いください(^-^;
はじまりは、ネットで見た日給社宅の中庭(光庭)の木々の緑に、光が落ちている風景でした。
それは、ため息の出るような美しい光景で。
作りたい!脳裏に焼き付いたその光景が忘れられなくて、どうしても作りたくて、その後の苦しみなど知る由もない私は構想にとりかかりました…。
昨年の7月下旬頃、まずは地元の図書館に出向き、ありったけの軍艦島関連の蔵書を借りてきました(たしか、6、7冊くらいでした)。
それでもわからない部分が多く、少しでも補うために購入したのは下記の3冊になります。
軍艦島超景(柿田清英・三才ブックス)、軍艦島全景(オープロジェクト・三才ブックス)、復刻実測・軍艦島(東京電機大学阿久井研究室・鹿島出版会)
どうやったら形にできるかわからず、ネットでみつけた気になる画像を片っ端からプリントアウト。
…数えたら、72枚ありました(^-^;
ネットでみつけた間取り図や上記の資料、それから映像など様々な手段で各階の構造などを形にできるところまでなんとか…と思っても、とにかくわからないことばかりで途方に暮れました。
間取り図をみつけた階は半分にも満たなかったので、残りの部分は画像や映像、本の記事などから推測…最後は憶測を飛び越えて、妄想の域でした(^-^;
1階は間取り図はあったものの、そこが何なのかさっぱりわかりませんでした。
なので、軍艦島全景にたまたま載っていたビリヤード場や食堂を勝手に当てはめて配置。
…本当は何があったのか、今でも謎なままです(笑)
妄想の翼をめいっぱい羽ばたかせてなんとか各階の間取り図を書き終えたところで、はたと気づきました。
…平面図はできたけど、高さってどのくらいなのだろう?と。
テキトー星人の私は、なんとなくこれくらいかなと思われる高さで何枚かプラバンを切り出し、間取り図にあててみて、計りやすそうな2センチに決定。
もちろん、何の根拠もありません…理由は、そのくらいの高さに見えたから、だけです(-_-)
そんなテキトーな状態で作り始め、後は作りながら現物合わせで細かい部分の寸法を出していきました。
つどつど決めたものを忘れると困るので、寸法や使用したプラ棒のサイズなどを1枚の紙に書き留めての作業。
これを見ながら、何か月も何か月も何か月も作っていました…思い出しただけでも苦しさがよみがえってくる覚書です…(-_-;)
四角い箱のような構造ではなかったので、不揃いな縦に合わせて作るより、積み上げるほうが作りやすいだろうと判断して1階ごとに作って積み上げる方式にしました。
とにかくこのふた棟の建物に泣かされました…。
そもそも私が作りたかったのは光が落ちる中庭であって、建物ではありませんでした。
ただ、中庭を作るためにはどうしても建物が必要だったので、仕方なく泣く泣く作り上げました。
建物の内部が貧相だと肝心の中庭まで貧相になってしまうので、覗き込んでも大丈夫な程度には作りこもうとがんばりました。
写真で見たのと同じような角度から中庭を撮りたいがために、建物の手前側も切断しました。
すべては、光さす庭のためでした。
結果的に、手前側に切断面がきたことで技術の未熟さを露呈するがたがたっぷりを披露する羽目にはなりましたが。
でも、それでも、手前側は切断しなくてはなりませんでした。
どうしても作りたかった光景のために。
長く苦しい制作中、軍艦島超景の1ページをずっと開いて見えるところに置いていました。
作ろうと思い描いた光景とは趣が違いますが、とても好きな写真です。
開きすぎてページが根元からとれてしまったのですが、それもあの制作していた日々の思い出となりました(^-^;
今も心が震えます、きっとこの先もずっと…。
ジオラマ・光さす庭(軍艦島日給社宅)は、2015年の8月中旬頃(※)まで静岡県の浜松ジオラマファクトリーに展示していただいております(*^^*)
私の手元に戻ってきてしまうとなかなか生で見ていただく機会は無いと思いますので、お近くにお寄りの際は浜松で見ていただけたら嬉しく思います。
どうかよろしくお願いいたします<(_ _)>
※浜松ジオラマファクトリーての展示期間が、諸般の事情により七月中旬頃までに変更になっております。申し訳ありません。