デジブック 『♪八戸えんぶり♪』
八戸えんぶりは約800年の伝統を誇る県南地方に春を呼ぶ祭りとして 毎年2月17日から2月20日まで開催される豊年祈願祭です。
《国指定重要無形民俗文化財》
元々農民がその年の豊作を祈って、稲作の一連の動作(種まきや田植えなど)を表現し舞った祭事ですが、
今では青森県の冬を代表する観光行事のひとつになっています。
古来、八戸地方の農家で小正月の夕方、雪の上に円形を作り、田植えの所作をしてその年の豊作を祈願しました。
それが次第に形を整えて「えんぶり」になったと言われている。
画 大久保景造(八戸市) 提供 小野画廊
名は「えぶり」という農具を手にして舞ったことに由来すると伝えられ、太夫が手に持つ「ジャンキ」と呼ばれる棒はその象徴とされている。
★えんぶりの起源(通説)
鎌倉時代の始め、後の八戸藩主南部光行は、頼朝から奥州糠部郡を拝領し、甲州(今の山梨県)から当国へ下ってきた。
奥州で迎える初めての正月、光行は自分の家来達に武装させ、有力者たちの家を訪問させたが、酒の勢いのためか家来達は
抜刀乱舞したため、家人たちは恐れ慄いた。
その場に居合わせた農民藤九郎という機転の利く男が、賑やかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ったところ、
家来達は刀を納めて その様子を見物したという。
鳴子板をふり、田んぼの土をならす仕種を踊り終えた藤九郎が、南部家を祝福する口上を述べたところ、それが吉例となり、
えんぶりが行われるようになったという。
★現在のえんぶり組は、先立ち(親方ら代表格)、太夫と呼ばれる舞手、祝福芸を踊る子供等、太鼓、笛、
手平鉦(てびらがね)、音頭とり、旗持ちなど総勢15~30人で構成されている。
★舞いの種類・特徴
その1. ながえんぶり
歌や舞い(擦り)がゆったりとした古来の形。主役の太夫の烏帽子に赤い牡丹や白いウツギの花がついている。
★その2. どうさいえんぶり
歌も舞い(擦り)もテンポが速く。勇壮活発に舞う。
全員の烏帽子に馬の前髪に見立てたマエガミ「五色の房」が垂れている。
※えんぶりの烏帽子は馬の頭を型どったものと言われています。
詳細については、デジブック参照!!
八戸えんぶりは約800年の伝統を誇る県南地方に春を呼ぶ祭りとして 毎年2月17日から2月20日まで開催される豊年祈願祭です。
《国指定重要無形民俗文化財》
元々農民がその年の豊作を祈って、稲作の一連の動作(種まきや田植えなど)を表現し舞った祭事ですが、
今では青森県の冬を代表する観光行事のひとつになっています。
古来、八戸地方の農家で小正月の夕方、雪の上に円形を作り、田植えの所作をしてその年の豊作を祈願しました。
それが次第に形を整えて「えんぶり」になったと言われている。
画 大久保景造(八戸市) 提供 小野画廊
名は「えぶり」という農具を手にして舞ったことに由来すると伝えられ、太夫が手に持つ「ジャンキ」と呼ばれる棒はその象徴とされている。
★えんぶりの起源(通説)
鎌倉時代の始め、後の八戸藩主南部光行は、頼朝から奥州糠部郡を拝領し、甲州(今の山梨県)から当国へ下ってきた。
奥州で迎える初めての正月、光行は自分の家来達に武装させ、有力者たちの家を訪問させたが、酒の勢いのためか家来達は
抜刀乱舞したため、家人たちは恐れ慄いた。
その場に居合わせた農民藤九郎という機転の利く男が、賑やかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ったところ、
家来達は刀を納めて その様子を見物したという。
鳴子板をふり、田んぼの土をならす仕種を踊り終えた藤九郎が、南部家を祝福する口上を述べたところ、それが吉例となり、
えんぶりが行われるようになったという。
★現在のえんぶり組は、先立ち(親方ら代表格)、太夫と呼ばれる舞手、祝福芸を踊る子供等、太鼓、笛、
手平鉦(てびらがね)、音頭とり、旗持ちなど総勢15~30人で構成されている。
★舞いの種類・特徴
その1. ながえんぶり
歌や舞い(擦り)がゆったりとした古来の形。主役の太夫の烏帽子に赤い牡丹や白いウツギの花がついている。
★その2. どうさいえんぶり
歌も舞い(擦り)もテンポが速く。勇壮活発に舞う。
全員の烏帽子に馬の前髪に見立てたマエガミ「五色の房」が垂れている。
※えんぶりの烏帽子は馬の頭を型どったものと言われています。
詳細については、デジブック参照!!