「三楽菜園」夏バージョン全景。園主は、日々、涼しいときを見つけて、除草作業。時折、「熱中症」気味。この写真が来年の植付けのときの参考になる。
菜園で
汗滴らせ
秋暑し
リコリスが1種類だけ花を咲かせた。全部咲いたならば、写真掲載します。我が家の秋を感じる一つの風物詩。
ジンジャーは、春に庭を少し模様替えしたときに、違う場所に移動。そちらの花芽は今のところは見られない。この花は、残った球根に咲いたもの。
娘から家内がプレゼントされた「花手まり」も、毎年、同じ鉢で楽しませてくれている。
「茶豆」。試しにとお盆の頃、収穫。独特の風味と食感で、美味しく頂いた。まだ実が小さかったので収穫待ち。実も大きくなり、園主曰く、これ以上おいておくと堅くなってしまうので、全部収穫し、茹でて冷凍保存。
【愛 語】
最近は、芸能ニュースや職場や周囲の情報で、「結婚」と「出産」が増えている気がする。非常に良いことだ。しかし、若いお父さん、お母さんは、数字的には、兄弟・姉妹は少なく、大切に養育され、教育を受けてきた。そのために、社会変化により、自分の幼少期の養育とは違った育て方をしなければならない現実に、戸惑ったり、誤った育児をしがちになっている。
「三つ子の魂百まで」という言葉がある。意味としては、3歳頃までに受けた教育によって形成された性質・性格は、100歳になっても心根は変わらないということ。子どもは純粋な心を、二つ三つの幼児の頃から、本能的に鋭敏に成長させている。現在では、科学的にも証明されているから、若いお母さん、お父さんは、いつも忘れないでほしい。
赤ちゃんは、母体内では生命を維持する以外は、ほとんど未発達。しかし、生まれた瞬間から、「光・音・暑い・寒い・感触」などの刺激に、脳で環境に順応しようとする。ほ乳類の中で「ヒト」だけが、産まれた瞬間に「自立」できない。周囲が手助けをして成長を手伝う。一生の中で、最初の3年間の成長のスピードは、最速。3歳くらいになると、話ができたり、歩くこともできるようになり、急発達、急成長には、親として納得できること。
この時期に脳細胞も形成され、脳内神経細胞の80%が完成。3歳くらいまでが「性格形成の原点」といわれる由縁。老人になってからの動作や行動、決定の判断は、幼児期、少年期に親の言動や自己体験で得たものに依拠するそうだ。だから「性格は変わらない」と言われるのかも。
我が家の育児は、「遠くから見守る」(「3歳くらいまでは絶対に手を離すな、小学校入学の頃までは目を離すな」)、「ほほえみを返す」(微笑みながら簡単な言葉で話しかける)、「泣いたらあやす」(手をかけてあげる)、「できるまで待つ」(自分からやり出したことは子どもなりの終了を待つ)、「一緒に遊ぶ」(子どもが優先、親は待つ)などを中心にしてきた。
父親として反省は、余りにも言うことを聞かないときに「痛み」や「大声」を選択したときもあったこと。「教育」、「しつけ」だからという言い訳で、子どもにとってインパクトありすぎる動作・方法で養育したこと。
「体罰」は法律改正で、親にも適用されるようになった。そのような理由でなくとも、我が子には強い恐怖心を抱かせるばかりでなく、医学的にも危険。
「すぐにかっとなる」、「叩いたり殴ったりする」、「大声で怒鳴ったりする」と、子どもも入学して、学校生活のなかで、思うようにいかなくなると「耐性」が限界となり、自分が親からされたことと同じ行為、動作をする。
ある場面で、我が子を見ていたならば、子どもを呼んで両手をつかみ、同じ目の高さで、優しく言い聞かせていた。このときは、大声も上げないで一生懸命に我が子と会話をしていた。私は子供心に、母親に太ももの内側の柔らかいところをつねられたことを覚えている。大きな声で怒られたり、怒鳴られたり、叩かれるということをされたことはなかった。
我が子が孫の育児することを見る年齢になっても、子どもの頃の親のしつけを記憶。「学校の先生に言いつける」とか、「駐在のおまわりさんに言いつける」など言われたことが思いだされる。父親も、夜になると「書道」や、読書をしていた姿を思いだす。子どもにとってお手本は「親」。親がきちんとした態度(理性的で優しい態度)を見せていれば、自ずと子どももその様に成長していく。親は我が子の、人生の種まきのお手伝いをしているのかもしれない。
最後に、最近、若いお父さん、お母さんや、学校の先生を見て感じたこと。「してはいけない」とか「しなさい」とかの言い方が多い。「してはいけない」と言われれば、条件反射的に「怒られるから」仕方がない従うか、怒られてもいいからやってしまおうのどちらか。「養育」としても「教育」としても、成長としてはマイナス思考。それではどうするか。「うれしい」とか「悲しい」という言葉を使えば良い。