『三樂録』

「善樂」「健樂」「長樂」の探究軌跡。時は満てり、これでいいのだ。

奥久慈大子 七福神巡り1

2022年08月28日 | 茶飯事

メダカ飼育の睡蓮鉢で、初めて咲いた姫スイレン。

 

8月25日(木)天気曇り。今年の夏は、コロナ騒動で家に巣ごもり。秋の気配も感じられるようになり、涼を求めドライブ。鮎釣りを横目に、久慈川に沿って一路大子町へ。

この地には、「奥久慈大子 七福神巡り」があり、「明日では遅い、今すぐ実行」の教えに従い、早速御朱印帳を持参して訪問。紅葉前の緑一色の山々、境内の木々も一見の価値。※お寺紹介は、大子町商工会作成「奥久慈大子 七福神巡り」より引用。

 

鮎下る里七福の古寺巡る

 

【高徳寺】1558年開山、本尊は釈迦如来。山門は、4本のケヤキの丸柱で組み立てられ、室町時代末期の建築様式。

「恵比寿(えびす)」を祀(まつ)る。左手の鯛はメデタイを表し、商売繁盛、無病息災、家内安全、交通安全など、すべてのめでたいことを授ける心を表現。

 

 

 

【慈雲寺】1152年開山、徳川家の加護を受け隆盛を誇り、弘法大師作といわれる千手観世音菩薩が本尊。

五穀豊穣の神「大黒天」を祀る。日本神話の大国主命と読みが同じであり、御神徳が似ていることから、慈悲深く高貴を授ける神様と信仰。

大黒天は、福袋と内出の小槌(こづち)を持った姿で米俵に跨(また)がっているが、大子の大黒天は、「弁財天」、「毘沙門天」、「大黒天」の顔が三つあり、「三面大黒天」と呼ばれる。

 

 

【性徳寺】1490年、本堂を下野宮から移築、本尊は大日如来。観音堂には、運慶作で日光輪王寺にあったとされる観音像が祀られる。

勇気、商売繁盛の神「毘沙門天」が祀られる。左手に宝塔を持ち、右手に如意宝珠を持ち、厳しい顔で勇気を与え、笑顔と財宝とを授けてくれる。

 

 

【永源寺】1446年に創建。本尊は釈迦如来。1864年、天狗党の乱で寺の大半を焼失。1953年に再建、「もみじ寺」として著名で、以前訪れている。

芸能の神「弁財天」を祀る。もとは水の神、日本に伝来してから弁舌や音楽を司る芸能の神として信仰。弁舌の神であるため、知恵や学問は福財をもたらしてくれることから、財宝を与えてくれる神として信仰。そして、「弁才天」が「弁財天」となり福の神となった。

大子の弁財天は、手が八臂(はっぴ)あるので、「八臂弁財天」とも呼ばれる。「臂」は「ひじ」のこと。

 

 

今回は、四福神のお寺参りができた。次回は、三福神の徳にもあやかれるよう、お参りしたい。風光明媚に加えて、果物や農産物などおいしいものが豊富な町なので、楽しみに再訪したい。

 

お昼は、懐かしい「味噌ラーメン」専門店で、信州味噌を使ったラーメンを頂いた。食が細くなり、一杯のラーメンも完食が難しいときがあるが、スープまで完食できた。炙(あぶ)ったチャーシューが絶妙。

 

【GONBEEの一言】

お寺の掲示、「追いあげ 追いつけ 追いこすな」。高齢者としては理解できる。しかし、「追いこすな」の意味が深い。

努力の最終目的は、どこに設定するのか。相手に追いつけば、相手は追い越されまいと努力する。そうなると、追い上げからまた始まる。そのような互いの努力が、相乗効果として前向きにさせるのでは。

いくつになっても、自分の趣味や興味関心、やりたいことなどに励んでこそ、生きることに日々の価値が見い出せる。ゴルフ、ジョギング、陶芸、釣り、ドライブ、家庭菜園、盆栽、例をあげれば・・・。

それぞれの領域で、思うようにならず迷走しながら、自分の極みを求め続ける。そこにあるのは、相手との比較ではなく、自分としての究極の納得と考えれば、理解できる。

追いあげ、追いつけは、相手の存在を意識しての切磋琢磨。最終的な着地点は、自分の決断が大切ということだろう。

後期高齢の漫画家が、人は人、自分は自分でいいじゃないかと、「逆らわず、いつもニコニコ、従わず」という、お医者さんの言葉を紹介。

「従わず」は厳しい、感謝の気持ちと笑顔で人に接するためには。「逆らわず いつもニコニコ マイペース」くらいかな。自己責任で。

 

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初市

2022年01月19日 | 茶飯事

今年の干支は「寅」。「騎虎(きこ)の勢い」で、虎に乗って走り出してしまったら、もう下りることはできなくなってしまうので要注意。「危うきこと虎の尾を踏むが如し」で、この上もない危険も避けたい。せいぜい「虎視眈々(たんたん)」と機会を待つくらいの、1年にトラ(寅)イ。

例年のごとく、家内はクリスマスが終わると台所に籠もる。出かけた際は、食材探しに奔走。今年も恒例のおせち、刺身など生ものは別皿。

 

外回りは、お飾りと寄せ植えを作る。南天やクマザサ等を使い、氏神様を迎える準備に余念がない。

 

今年も愛宕神社に参拝。時節がらか参拝客は少ない。

 

三日は那珂町にある一乗院の毘沙門天だるま市。ここ数年、この青空をバックに写真撮影。

 

ダルマの他に、御朱印や干支人形、孫のお守りなど授かる。願掛けは今年も「無病息災」、「家内安全」の二つ。

 

初市やダルマに入れし目光りたり

 

 

五日の日は、今年初の家内と長姉の珍道中。「常陸出雲大社」へ。参拝客は多かったとのこと。

 

 

六日の家庭菜園『三楽菜園』雪景色。

 

【GONBEEの一言】

 

第20代内閣総理大臣高橋 是清(これきよ)は、大蔵大臣としての評価が高い。「二・二六事件」で、自宅で青年将校らに銃撃され暗殺。幕末、渡米し、牧童や葡萄園で、本人は気づかず奴隷として扱われていた。いくつかの家を転々とし苦労を重ね、明治元年帰国する。政治家・官僚としては、見本となる人物。

 

 

波瀾万丈の人生を歩んだ人に学ぶ。「機会は決して作るべからず、来るを捉えよ」と言っている。余生幾ばくと思えば、これからは「来るを捉えよ」が安全かもしれない。

また、「真実の楽天的境地というものは、人事を尽した後でなければ得られるものではない。即ち、事成ればもとより快(かい)、成らずともなお快たるを失わない。ここに至って初めて天を楽しむことができる」と思う。「成らずともなお快たるを失わない」と思うことが息災となりそう。

 

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逝く夏

2021年08月14日 | 茶飯事

花桃と 競うひまわり 碧空射る

 


サギソウの 白無垢の羽根 風つかむ

 

朝晩に 顔色変える ケープタウン

 


           

客和む ポーチュラカ 玄関前

 


                                        
              ペチュニアや 妻の思いや ハート花

 


                           

赤色で 小さき花の るこう草

 

 

母浮かぶ 幼き味や マクワウリ

 


                                        
              小さき赤 思わず手がでる ミニトマト

       

逝く夏や 

孫なむなむの 

初対面


【余 録】

家内がこの地で家庭菜園を始めて30年。全くの素人で、草取りさえしたことがない。最初は、母に聞いたり、本を読んだり、テレビを観たりと、知識を得て励んだ。

収穫野菜も少しずつ美味しさが感じられるようになり、土いじりが好きになった。近所の方に差し上げたり、知人、友人にも味見をお願いし、「GOOD」評価。機会があれば、他の人の栽培方法や、肥料など多くの話を聴き、美味しい野菜作りを楽しんでいる。

 

鉢植えで いつからまとう レモン色

 

『論語』の「知好楽」(これを知る者は、これを好む者に如(し)かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず)そのもの。夏の暑いなか、朝や夕方の涼しい時間を利用して、作物管理に勤しんでいる。熱中症対策を講じ、汗を流しながら作業姿は、「好きだ」からを超えている。

しかし、「好きだ」と「楽しむ」の境界はと聞かれても分からないが、家庭菜園にかける情熱は何にも勝る。野菜作りは、「好きだけど楽しむほどではない」のか、「好きで楽しんでいる」のか、聞いたことはない。

 

初めての 実を付けうれし カボスかな

 

これからは、知識第一ではなくなる。知識の量はそれほど重要視されなくなる。頭に詰め込まなくても、「AI」等の活用で携帯とか時計などで、簡単にその場で必要な知識は得られる。「どうすればよいのか」という、発想力、想像力が大切になる。ものを観たり、行動するときに、ふだんから、「なぜ」とか、「どうして」という視点で、判断することが求められる。

それができるようになるための方法が、知識は教えられるのではないと認識することから。「好き」とか「楽しい」という思いで、「なぜ」とか「どうして」と自分から求め、「何すればよいか」を考えること。

妻の「楽」の境地を求めたい。まずは、「好きこそものの上手なれ」を。

 

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短夜

2021年06月15日 | 茶飯事

私たち夫婦も、ともに水戸市のワクチン接種を迎えます。2回目については、1回目接種の際に、3週間後の接種を予約できることになりました。7月中には終了できそうです。


「父の日」や「古稀」の誕生日と、人生や年間の節目を迎えますが、コロナ禍の現実では、心弾むことはなさそうです。

 

古稀迎え 

短夜の夢も 

虚ろなり
                                     

3年越しで厳寒に耐え、冬越ししてきたハイビスカス色のように、これから自分がしたいものを見つけ、生きがいにして情熱を傾けたいものです。

 


                        ジャガイモ(インカの目覚め)

 


タマネギ(白・紅)

 


                       

初採りキューリ
                                      

【余 録】

「人は環境に作られる」というが、作られるのを待っているだけでは、環境に対して受け身になってしまう。個性も人間性も創造性も、その人特有な資質は限られたものになる。そういう意味で、環境も自らが構築するという意識が必要になる。

古稀を迎える年齢になってようやく分かってきたことは、人生の経験は、喜怒哀楽、艱難辛苦、栄枯盛衰などの事実と正対すること。その経験値により、自分の信念を築き、修正しながら、年齢を重ねていくか。その体験こそが、「環境」であり、その中でいかに自己形成を図って、強い信念を導くかに尽きる。

 

 まもなく収穫ブルーベリー

 

最近テレビなどを観ていて思うことがある。それは、「笑い」とか「落ち」を取ろうとするあまり、言葉遣いが乱れていることである。「ら抜き」とかではなく、略語の言葉や、感情を表現する言葉などに顕著にみられる。その傾向は、タレントばかりでなく、若者たちの間でも、若いお父さん、お母さんなども。我が子の前でそのような言葉を使っていたならば、子どもたちはその言葉を受け入れてしまうだろう。

一番身近な環境は「言葉」だと思う。私たち世代は、幼少時より「読書しなさい」と、親からも、先生からも薦められた。本も個人ではなかなか買えない時代に。読書の魅力は、登場人物や、作者と、文字という言葉を通して語り合うこと。その素晴らしい言葉を話す主人公や著者にリスペクトし、次の作品に導かれる。そう考えると、言葉は人格だと思う。

日々の出来事をどういう言葉で話しているか。躾や教えを我が子に伝える言葉は、人生や世界観を伝える言葉は。使われた言葉の質こそが、話し相手が自分の人生を拓くことを考える機会につながる。言葉という環境では、親、年長者、教師、友人など、誰もが会話をするときに使われる言葉の質により、話し手の人格が、聞き手に伝わる。その言葉によって、リスペクトが生まれる。当然、言葉だけでなく、内容も大切だ。これは平素の鍛錬の積み重ねしかないが。

 

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シャクヤク

2021年05月18日 | 茶飯事

昨年の退職記念に頂いた3本仕立ての胡蝶蘭。一本ずつ植え替えして面倒を見てきた。感謝し続けなければ。

 

シャクヤク

 

シャクヤクを


活けて茶の間に


孫の声

 

カーネーション

 

母の日を迎えて、子どもたちからの感謝

 

 

 

 

 

 

旅行のお土産も兼ねて

 

「母の日」は、孫たちも一緒に定番のちらし寿司

 

筑西市の小玉スイカと常総市の黒沢鶏肉の若鶏丸焼き

 

 

二重虹 5月2日(日)

 

【余 録】

小説家は、登場人物に人格を与え、事件を投げかける。登場者は、与えられた人格に応じて、言葉の意味や内容、言語的情報の「言語的コミュニケーション」や、表情、視線、動作などの視覚的情報と、声の調子、強弱などの聴覚的情報により、事件に対応する。

主人公は、自己中心的な思いを巡らし、様々なことを「想像」し、時には「創造」につなげる。体験や読書など学びにより「人格」が築かれる。そして、主人公を取り巻く「環境」や、「運命」も、自分自身が構築していく。

 

カクタス

 

終活を迎える現在の境遇は、誰かがつくったのではなく、自分自身が創りあげてきたもの。これまでの学習や体験、読書など多くのことから学び得た知識による「思い」の結果。

 

我が家特製グリンピースご飯(豆をミキサーでクラッシュ)

 

若いとき、人生が、仕事が上手くいかないと、誰かに責任転嫁し、自分自身が原因だということに全く至らなかった。「何と不幸な運命なのか?」

「不幸な運命」は、小説家が創作するものではなく、主人公に与えられた「人格」に基づいて、自分自身が導いた結果。先(ま)ずは「積小」から。

 

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春の昼

2021年04月29日 | 茶飯事

先日、剪定(せんてい)のため河原子に。10年前の災害被害の対応で、日立市が梶沢川補強工事をしていた。

 

補強工事中

 


  白砂青松は何処へ消えてしまったのやら河原子海岸

 

前回のブログ更新は4月初め、もう今月が終わる。今年も3分の1が。「古稀」も間近になり、時間の進みが早い。「終活」という言葉が、どこからか聞こえる。

 

 

老妻は、午前中は家庭菜園の仕事に勤しむ。最近は、除草作業に追われる毎日。加えて、夏野菜の植え付けと、暇なく動いている。畑仕事で身体を動かすことが、病気対策と考えている。

 

春の菜園全景  夏野菜はオクラを残すだけ

 

今日は祝日「昭和の日」、朝からの雨風で外での作業ができない。こういう日は、ゆっくりすればいい。

 

家内が愛してやまない黄色のフリージヤ

 


老妻は 

うつらうつらの 

春の昼

 

退職祝いに頂いた2年目の胡蝶蘭

 

【余 録】

若いときに気づけなかったことの一つに、自分で「無理」と決めてしまうと、絶対に駄目な結果につながる。しかし、「何とかなるかも」と楽観的に希望を抱いて行動すると、それなりに自分に納得できる結果がついてくる。

都忘れ

 

心でイメージしたことは、必ず「形」をもたらすことに思い至らなかった勉強不足を悔やむ。人間は、自分で「想像」すると、自分なりに「創造」していくのではないか、早く気づいていれは、人生少し変わっていたかも。

 

日本桜草

 

「東日本大震災」の直後に、テレビで金子みすゞの『こだまでしょうか』というCMが流れた。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

子どもにも、大人にも癒やしの時間を提供してくれた。

 

香りいっぱいのダルマふじ

 

優しい言葉で語りかければ、人間もこだまのように優しく対応してくれる。コロナ禍の日常で忘れていけないことは、大震災のときと同じで、相手を傷つけるような言葉で接するのではなく、相手を気遣った優しい言葉で接すること。

 

オオデマリ

 

気づいたでしょうか。「優しい」の「優」、「憂い」の隣に、「にんべん」の人が寄り添っている。「コロナ禍」により、私たちの日常は、それまでの「非日常」になってしまった。

 

クレマチスの一種「モンタナ」

 

「こだま」は、「うなずく」という仕草。挨拶や、感謝の言葉をかけられたら、言葉や仕草で対応し、お互いに「優しい」気持ちでと思う。

 

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朝桜

2021年04月04日 | 茶飯事

紅白の花桃、我が家のシンボルツリー。樹高が伸び強風時には、折れるのではと懸念。切断するか、残すか。紅白とも、太い幹を切除し、細い枝を残した。

 

 

家内と娘のぶらり旅。自慢げに咲き誇る桜山の桜。桜山から偕楽園の好文亭を眺める

 

 

朝桜

散るには未だ

日は残る

 

 

                                      
4日間ほど入院した家内から、家族へのお礼。ウナギは娘のリクエスト

 

春始まり「三樂菜園」

 

 

椿二種

 

 

 

【雑 録】

馬齢を重ねて後悔。我が子や職場での教育や指導を振り返ると、どのようにして育てるか。「褒めて育てる」「叱って育てる」。

「褒める」よりも「叱る」ことの方が多かった。私は、親に、先生に、先輩に、上司に、○○に叱られて育ってきたので、疑問も感じなかった。現在でも間違っていたとは思っていない。しかし、最近は「私は褒められて伸びるタイプです」と言い切る人が増えている気がする。一線から身を引き傍観者として眺めていると、自分の今までの人との対応に、少し疑問を感じるようになった。

 

水仙

 

叱ることにより、鍛えられることは事実。叱ることは、緊張した意識で臨むことになる。従って、言葉かけにより他人に教えられことなので、自意識はなかなか芽生えない。結果として、より早く環境に馴染むことは事実だろう。

 

暖かくなり、家族で家キャン

 

潮干狩り

 

褒められることは、自己満足を促し、自分で次の領域を目指すことにつながる。そこには、「創造」があり「伸長」が期待される。そのため、指導的立場にある人は、どのような視点で寄り添うかが求められる。

叱る場面なのか、褒める場面なのか、指導者には、指導をされる者以上に、選択の難しさがある。「良い点」を観るのか、「悪い点」を観るのか両方を使い分けることにより、対応は選択され、人間は正しく成長していく。

 

冬知らず

ただ、どちらを選択しても、助言や行動、仕草は、必要な指導になる。適切な指導の選択と助言が、創造性や人間性を形成していくことは間違いない。指導に当たる者には、批判の視点でなく、愛でる視点で人を見ることが求められる。何を観るのか、どこを観るのか、どの視点で観るのか。

 

クリスマスローズは4種類が群生。今年は花が終わったら、家内が剪定を予定。最近、YouTubeで学ぶ。

 

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冬日

2021年01月26日 | 茶飯事

みぞれや小雪混じりの寒い日が続いた。昨日から春めいた暖かな日和で、清々(すがすが)しい爽やかな気分になる。家内が孫を連れて近くの大塚池に散歩。白鳥や鴨がたくさんいて、孫たちも大喜び。

 

 

庭の「三楽菜園」にも、季節の変化が観られる。クリスマスローズが花芽、母が面倒見て増やしたものを株分けしていただき、母にならって地植えで栽培。今では株数も増え、新たに購入した株もあり、最盛期は華やいだ光景を見せてくれる。

 

 

「福寿草」も、母からの株分けの遺産。今では株も増え、最初に春の到来を教えてくれ、心弾ませてくれる。母から頂いた宿根草の草花や、木などを家内も大切に面倒見て手入れをしている。しかし、時間の経過とともに枯れてしまったり消滅してしまう草花もある。自然の摂理なのかもしれない。

 

冬日照り

菜園野菜

緑濃し

 

 

 

花以外にも春の兆しに気づく。紗をかけ手間を惜しまないで育成の「ほうれん草」

 

 

「タマネギ」は、白も紫も今年は順調

 

【 余 録 】

岳父はよく「報恩感謝」という言葉を口にした。生まれつき身体が弱かったため、すぐ近くの愛宕神社に七歳から日参し、無病息災を祈願。出征や、晩年体調不良による入院時を除き、八十年近く続けた。古灯具の収集、俳句、俳画などに勤しみ、多趣味多才の父。

 

 

無理無謀な発言、行動をすることなく、自然に反するような行為をすることもない。人の悪口や噂話を嫌い、軽妙で穏やかな口調で分かりやすく、相手への気遣いを忘れない話し方をする話し好きで、誰にでも親しまれた父。

浅学の上に出来の良くない娘婿だったので、直接、「報恩感謝」等、生き方について聴く機会はなかった。今思うに、我が身に起こる不運な悪いことや想定外のことは、道理や自然の理に反する行為行動が原因であり、自ら招く「応報」である。

 

 

従って、無理なことや、不自然な行為などはしないで、後悔することなく「報恩」と思える結果につながることをして、感謝の日々となるようにすること。愛宕山の神々から、そのような生き方をすることが天命と、学んだのではないか。

 

【 おまけ 】 ーーー銚子行3ーーー

 

 

妙福寺をあとに空模様を気にし、自分の注意力散漫の軽率な判断を悔やみ、圓福寺に向かう。「ほととぎす、銚子は国のとっぱずれ」江戸時代俳人古帳庵作。句碑は圓福寺本坊の庭にある。坂東33観音霊場 第27番札所、ご本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)。

 

 

すぐ裏にある、「ちょうしのかんのんさま」として親しまれた「飯沼観音」。銚子市のシンボルとなっている平成21年に完成した五重塔があり、その脇には「銚子大仏」と親しまれる、1711年に造立された阿弥陀如来座像(露仏)。

境内には、日本における河川測量の原点である「飯沼水準原標石」がある。銚子港のなかにある市営駐車場に急ぐ。

 

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初詣

2021年01月10日 | 茶飯事

年が明け1月3日、開催が危ぶまれたが、那珂市の一乗院に恒例となった初参り。昨年買っただるまに目を入れ、毘沙門堂(びしゃもんどう)に納めた。今年はだるま市でだるまを買うだけの予定。護摩祈とうや、子どもたちのかわいい七福神さまより福豆をいただき、1年の息災を祈る行事には不参加。

「毘」の文字の入っただるまと、干支(えと)の丑(うし)人形、御朱印をいただき帰路。2013年お正月から、花の寺法満山一乗院にお参りするようになり、だるまを買うようになった。毎年、青空を背景にした日本一の毘沙門天(びしゃもんてん)を掲載。それだけでお福分け。

 

 

全長16mの毘沙門天像、足で邪鬼を踏みつけている。毘沙門天は武人からの信仰があつく、水戸城の鬼門除けとして佐竹氏や水戸徳川家にも崇拝。となりは吉祥天(きしょうてん 毘沙門天の妃)と、善尼師(ぜんにし童子 毘沙門天の子)とのこと。

毘沙門堂は、1000年以上前の桓武天皇の時代に創建。毘沙門堂に安置された像を大きくしたのが巨大な毘沙門天像。元になった像は鎌倉時代に運慶がまつったもの。長らく常陸国(いまの茨城県)の信仰を集め、県の指定文化財。800年近い歴史のある像とのこと。(HP参考)

 

 

だるま買い

福豆いただく

初詣

 

今までは、駐車場に止めることはできなくて、路上駐車。今年はコロナ禍の影響なのか、それとも早く行ったためか、正面の駐車場に駐車。30分ほどで帰路についたが、そのときは駐車場は満車、しかし路上駐車はなかった。

 

 

【余 録】

社会の発展には、「欲望」がなければならない。利己なしに発展はない。傍観者面の表面だけの論理では、見せかけだけの発展しか望めない。本物の幸せにはならない。自分の欲望の結果得たものを、どう社会還元するか。社会の豊かさのために、周りの人たちと何をするのか。「自分が」ではなく、「みんなが」・「社会が」という視点で、先ずは小さな行動することが求められている。挨拶からでいい!

 

 

【おまけ】 ーーー銚子行2ーーー

「常陸」で憧れの海鮮丼をいただいて、近くにある「妙福寺」に御朱印参りの予定でいた。Google で調べたならば「10分」ほどだったので、駐車場に戻らず徒歩でお参り。歩けども歩けども到着できず。改めて、携帯でGoogle 検索。大失敗! 車で10分! ショック! 家内は運動運動と急ぎ足! 空には黒い雨雲が!

 

 

境内には、4つの藤棚があり、樹齢約740年を超えるものもある。根元が龍のねている姿に似ていることから「臥龍(がりゅう)の藤」といわれ、見事な紫の花すだれを見せる。その時期に再び訪ねたい。

 

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初昔

2021年01月01日 | 茶飯事

『福寿海無量』 禅語。「福聚海無量」を改変したもの。福徳が海のように広大に集まること。福寿 … 幸福と長生き。また、幸福で長命なこと。

 

部屋からの初日

 

穏やかな新年。「コロナ禍」がなければ。昨年は新型コロナウィルスの流行が発端となり、日常が非日常となり、日々をどう過ごせば良いのか不安に押しつぶされそう。しかし、家族や多くの人たちの協力により、無事に新しい年を迎えることができた。まだ完全なる収束が見えない中、最近はワクチン開発も進み、世界の国々の対応がニュースになり、わずかながら明るい兆しもある。

第99代新内閣総理大臣に就任した菅義偉(すが よしひで)総理は、党総裁選のときから、政策理念として「自助・共助・公助」を掲げ、就任演説でも、「まず自分でできることは自分でやってみる」と、「自助」の必要性を強調。この状況に限らず、これからは、「自助」が先ずは行動の基本。

「コロナ禍」がもたらした影響として、「自助」は、一人ひとりが自ら取り組むこと、「共助」は、地域や身近にいる人どうしが一緒に取り組むこと、「公助」は、国や地方公共団体などが取り組むこと、という概略的な考え方が非日常の中で突きつけられている。

「欲望」を抱いたとき、「利己」を排除して、どれだけ「利他」の心で行動できるか、「私心」を「無」にすることは絶対に無理。従って、いかに「利己」、「私心」を押さえた行動ができるか。究極的な日常を生活しなければならなくなった今日、受け入れなければならない使命のような気がする。

 

大洗 磯前神社

 

初昔 

髪染めた妻 

煌めきあり

 

非日常の日々に、どれだけの楽しみを見つけられるか。当たり前のことを「楽しみ」として行動できる年にしたい。そのためにも、孔子の『論語』 で説かれている「恕(じょ)」の実践だと思う。「相手を思いやって許す。思いやり。同情」だが、どのようにすれば良いのかと考えると、なかなか具体的な行動が浮かばない。

「許し」は、「やっていいよ」という許可を与えること。すでにやってしまった場合は、事後承諾を与えること。「赦(ゆる)し」は、怒りや恨み、あるいは、相手をとがめる感情を抱かないこと。今まで相手の言葉や行動などに腹を立て、間違いを徹底的に糾弾し、二度と同じ過ちを起こさないようにと、善意で相手と向き合っていることが多々あった。これからは、たとえ過ちであっても、「許し」でなく、赦すことができるのか、これが「従心」(自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなった)の年に、コロナ禍のなかでしなければと考えたこと。

 

これからの 道はと問わば

 とにかくに 

夫婦睦みて 孫と楽しむ

 

大洗 磯前神社

 

【おまけ】 ーーー銚子行1ーーー

昨年11月が結婚記念日で、Go To Travelを利用し、銚子、白子方面に旅行。すぐに更新できないで、年を越してしまった。少しずつ掲載予定。

 

 

銚子の「常陸」での昼食から始まり。ほかの店も予定していたが、休業日のため、リストアップしていた、この店の「海鮮丼」。この後、徒歩で銚子市内を御朱印巡り。次回へ。
 

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