昨夜の ハッケン伝
オリラジさんの 中田さんが
宮崎駿さんの 「風立ちぬ」の
コピー(宣伝文句)に
チャレンジしていた。
へぇ~~
オリラジの 台本は いつも 中田さんが
考えられていたそうで
スタジオジブリの プロデューサーの 鈴木さんと
タッグマッチで 中田さんに風立ちぬ のコピーを作ってもらうことになり
接触する上司役として
鈴木さんと やりとり をして
鈴木さんの感性とか 話とかを たくさんされることになる。
色々な言葉を 研ぎ澄まされて いらっしゃる
鈴木さんから OKをもらう つもりで
映画にぴったりな言葉を 探して探して…探している
中田さん。
忙しい方なので 普段の仕事が 終わってから。
夜9時あたりから
いつもの 喫茶店を利用して 考えまくる。
自分一人で 考えるのを やめて
誰か(スタッフさんとか)に 前に座ってもらって
その人に話しながら アイデアを 出していく
言葉を探していく。
でも 独り言になってたり。
夢中になってたり(笑)
最後の最後 プレゼンテーションをするのに
まとめる言葉は 鈴木さんが かつて 話した言葉から
中田さんは 選んで作っていた。
でも
自分なら 素人である 人の 言葉よりも 鈴木さん自身から
出た言葉が 良いはず。と 切り返して決めたつもりが。
鈴木さんが 用意していたのは 何度か話し合った時に出てきていた
中田さんが 語っていた言葉を
使ったポスターだった!!!
部署外の自分を信じてくれた こと。
中田さんは 驚いていたし 信じられていたことに 感動していた。
ずっと 色々 最適の言葉を 探していた 中田さん。
信じてくれていた という 事に 彼は 驚いて でも
とても うれしそうだった。
色々 何パターンも 出した言葉を 鈴木さんは
色紙に書いて いてくれていた。
それを 何枚も 中田さんに プレゼントしてくれた。
色紙には 宮崎駿さんが ハンコがいるね。と
サインのような 絵のような 額絵にある ハンコのような
ものを 一枚一枚書いて下さっていた。
束になった 色紙を見て
うれしく感動していた中田さん。
風たちぬ の 試写で 宮崎駿さんの斜め後ろで
涙ぐんでいた シーンを 放送されていた 中田さんだったけれど
昨日の ハッケン伝を 見て
ああ。 こういうお付き合いがあったからこそ。
試写に行って 泣いた経緯というものが 何となくわかったw
昨夜の ハッケン伝は 今までの
ハッケン伝とは ちょっと違った。。。。
だいたい いつもは 普段の仕事を すっぱり しないで
突然その世界に 飛び込んで 一週間ほど
その仕事をして 苦労する様を 放送する場合が
多かった。
中田さんのハッケン伝は ちがう。
w
という ハッケン伝でした。
今日 午後2時から 宮崎駿さんの 引退会見が あった。
なんとなく
宮崎駿さんの お話 年を とらない 腕白坊主が
したいことあるんだ~~ と
言っているように 思えたw
72歳 の 若い心w
「僕は自由です」(宮崎監督のことば)
「今回は本気です。」(宮崎監督のことば)
ちなみに 鈴木さんは65歳だそうです。
ちょうど 会見の時に おっしゃっていました。
これからも がんばってくださいね~
ジブリの美術館 も 色があせてしまった部屋や
コンテなどちょっと手を入れたら 子供たちが食いついて見ていたから
やっぱり 10年ほどたって 色あせている 絵を
元気にしていきたいと 宮崎駿さんはおっしゃっていた。
私も ジブリの美術館 行きたい~~w
行きたいなぁ!!
いくぞー~~^^
TAKE
オリラジさんの 中田さんが
宮崎駿さんの 「風立ちぬ」の
コピー(宣伝文句)に
チャレンジしていた。
へぇ~~
オリラジの 台本は いつも 中田さんが
考えられていたそうで
スタジオジブリの プロデューサーの 鈴木さんと
タッグマッチで 中田さんに風立ちぬ のコピーを作ってもらうことになり
接触する上司役として
鈴木さんと やりとり をして
鈴木さんの感性とか 話とかを たくさんされることになる。
色々な言葉を 研ぎ澄まされて いらっしゃる
鈴木さんから OKをもらう つもりで
映画にぴったりな言葉を 探して探して…探している
中田さん。
忙しい方なので 普段の仕事が 終わってから。
夜9時あたりから
いつもの 喫茶店を利用して 考えまくる。
自分一人で 考えるのを やめて
誰か(スタッフさんとか)に 前に座ってもらって
その人に話しながら アイデアを 出していく
言葉を探していく。
でも 独り言になってたり。
夢中になってたり(笑)
最後の最後 プレゼンテーションをするのに
まとめる言葉は 鈴木さんが かつて 話した言葉から
中田さんは 選んで作っていた。
でも
自分なら 素人である 人の 言葉よりも 鈴木さん自身から
出た言葉が 良いはず。と 切り返して決めたつもりが。
鈴木さんが 用意していたのは 何度か話し合った時に出てきていた
中田さんが 語っていた言葉を
使ったポスターだった!!!
部署外の自分を信じてくれた こと。
中田さんは 驚いていたし 信じられていたことに 感動していた。
ずっと 色々 最適の言葉を 探していた 中田さん。
信じてくれていた という 事に 彼は 驚いて でも
とても うれしそうだった。
色々 何パターンも 出した言葉を 鈴木さんは
色紙に書いて いてくれていた。
それを 何枚も 中田さんに プレゼントしてくれた。
色紙には 宮崎駿さんが ハンコがいるね。と
サインのような 絵のような 額絵にある ハンコのような
ものを 一枚一枚書いて下さっていた。
束になった 色紙を見て
うれしく感動していた中田さん。
風たちぬ の 試写で 宮崎駿さんの斜め後ろで
涙ぐんでいた シーンを 放送されていた 中田さんだったけれど
昨日の ハッケン伝を 見て
ああ。 こういうお付き合いがあったからこそ。
試写に行って 泣いた経緯というものが 何となくわかったw
昨夜の ハッケン伝は 今までの
ハッケン伝とは ちょっと違った。。。。
だいたい いつもは 普段の仕事を すっぱり しないで
突然その世界に 飛び込んで 一週間ほど
その仕事をして 苦労する様を 放送する場合が
多かった。
中田さんのハッケン伝は ちがう。
w
という ハッケン伝でした。
今日 午後2時から 宮崎駿さんの 引退会見が あった。
なんとなく
宮崎駿さんの お話 年を とらない 腕白坊主が
したいことあるんだ~~ と
言っているように 思えたw
72歳 の 若い心w
「僕は自由です」(宮崎監督のことば)
「今回は本気です。」(宮崎監督のことば)
ちなみに 鈴木さんは65歳だそうです。
ちょうど 会見の時に おっしゃっていました。
これからも がんばってくださいね~
ジブリの美術館 も 色があせてしまった部屋や
コンテなどちょっと手を入れたら 子供たちが食いついて見ていたから
やっぱり 10年ほどたって 色あせている 絵を
元気にしていきたいと 宮崎駿さんはおっしゃっていた。
私も ジブリの美術館 行きたい~~w
行きたいなぁ!!
いくぞー~~^^
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