街道を行け!

街道を行く日記

70年も山を登れば!(1)

2024-11-10 07:47:34 | 旅行

 

 谷川岳を見つめる六平ちゃんのお父さん背中と横顔!

 六平ちゃん

 私が建設省高崎工事事務所に勤め始めた18,19の頃、下豊岡の独身寮の隣の部屋に同じ山岳会に所属する六平ちゃんがいた。私より10歳程年上で赤城村の出身だった。登山に頭からのめり込んでいた六平ちゃんは『土屋君見てみな!』、自分の部屋の木の柱にバイルを打ち込んで片手ぶら下がる、呆れたウラ大技を時々見せてくれた。

 奥秩父

 二人で幾つかの山行を実施したが、50年以上たった今でも思い出す一つの山行がある。50数年前の11月、私たちは雲取山から雁坂峠への一泊二日の縦走をおこなった。しかし、下山時ショートカットをしようとして道に迷った。奥秩父は古い登山道、作業道、トロッコ道、獣道と沢が交錯し、とても迷いやすい。沢に降りて滝に行き詰まり、藪を漕いで尾根に這い上がり、斜面を下り、とうとう夜になった。斜面の太い木の根元でビバークする事にした。当時は一斗缶に食料を詰めて持って行った。ビバーク準備中に一斗缶が『ペコペコ!』鳴る。『土屋君うるさいよ!』六平ちゃんが言った。『六平ちゃん無理だよ。一斗缶はペコペコ言うんだよ!』と、私は無言で必要以上に鳴らした。

 墜落

 この後、谷川岳一の倉沢衝立岩正面壁を完登した六平ちゃんは、下山時に空中を300m程舞い帰らぬ人となった。

 谷川を見つめる六平ちゃんのお父さんの背中と横顔

 土合駅前の茶店が連絡本部となり、六平ちゃん家族も集合した。お父さんは外に出て谷川を見つめた。労働で鍛え上げたお父さんの小さな背中と横顔を今でも忘れない。

 浄土でビール買って!

 六平ちゃんの体は実家の柿の木の下に安置された。私は持ち金の幾ばくかの鐚銭を添えた。先輩達のイカさま麻雀で何時も金の無い私は、山行時の電車賃を何時も六平ちゃんに借りていた。『六平ちゃん。浄土でビールでも買って!』。六平ちゃんは困り顔でほほ笑んだ。

 

 



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