街道を行け!

街道を行く日記

70年も山を登れば!(45)オールドエベレスト街道踏査復路

2024-11-30 14:49:54 | 旅行

 家を守る番牛!番犬では無く!

 ジュンベシの街に宿泊を予定していたが、山火事で不穏なので、一時間先のロッジを探し当てて泊まった。これが又、愉快なロッジであった。まず玄関先を「番犬」ならぬ「番牛」が守っている。玄関先の黒牛はずっとそこに立っていて、人間は構わないが、ロッジに近づく他の動物がいると角で威嚇して追い払う。ロッジのオーナーは65才で、シンガーの『泉谷茂」さんにそっくりの顔立ちをしていた。大ぼら吹きだった。泉谷さんは語る『ここは景色がよく、リラックスでき、食べ物も美味しい。静かで、火が暖かくて、可愛い動物がいて、野菜もとれて幸せだ。』。番牛の黒牛とその子牛二頭、犬、猫と泉谷さんは暮らしていた。動物は皆、人懐こく可愛かった。泉谷さんの育てた野菜と、黒牛のミルクは美味しかった。ロキシーを頼むと、泉谷さんは空のボトルを抱えて、30分下の民家まで買いに行った。『5分で返って来る。』と言ったが、30分懸かって帰って来た。

 ロキシーを飲んだ犬

泉谷さんが調達してきたロキシーを炉の傍で飲んでいた。飼い犬がやって来て、飲んでいるロキシーを欲しがった。泉谷さんに内緒で、ロキシーを飲ませた。ベロベロとかなりの量を舐めた。その夜、泉谷さんがいくら呼んでも飼い犬が帰ってこなかった。


70年も山を登れば!(44)オールドエベレスト街道踏査復路四日目

2024-11-29 10:52:53 | 旅行

 復路四日目 山火事だあ!

 7時に宿を出発。ジリへの道は街道を右折する。右折しない「主街道」はパプルの街へ降りていく。「パプル」の街は空港があり、ジリから道路も伸びて来ている。物流の中心なので、パプルへ向かう道は「幹線道路」である。人通りも多い。右折する道はガラガラである。今日はジュンベシの街まで行く予定。吊り橋でベニ河を渡り、エベレストの見える3040mの峠を越えて2700mまで下るとジュンベシだ。河からかなり登って展望の利く所に出た。新しいロッジを建設している三人組がいた。内一人が、日本語で話しかけてきた。ロッジを建てる人は、その資金を登山ガイドで調達する人が多い。この人もそうやって資金を調達したのだろう。日本語は、その祭覚えたと考えられた。少し進むと、農家の庭先に少年がいた。『どこへいくの?』と、少年が尋ねて来た。『ジュンベシだよ!』と、答えた。『この道より、上の道の方が真っすぐで歩き易いよ』と、少年が教えてくれた。気付かぬ内に、農家の作業道に入り込んでいた。お礼と言って、上の道に移った。峠に達し、エベレスト山群の景観を愛でながら、コーヒーを入れる。十分休んでからジュンベシへ下る。ジュンベシ入り口の吊り橋の向こうに、一軒のロッジがある。ロッジの6人家族が、外に出て騒いでいた。『うん?』何か様子が変だ。『山にジャガーでもいるのか。』と、後ろの山を振り返る。『山火事だあ!』。山を大きな白い煙が覆っていた。まもなく、たくさんの人がこちらに向かってやて来た。手に、鉈や錆びたピッケルを持っている。消化ヘリや消防隊がいないので、人海戦術の手作業消化が唯一の消化法らしい。


70年も山を登れば!(43)オールドエベレスト街道踏査復路三日目

2024-11-29 09:30:33 | 旅行

 復路三日目『なんだ!シェルパかと思った。』

 今日の宿泊予定地は「リンモ(2740m)」だ。まず「ドウドウコシ河(1200m)」まで下る。次に「タクシンドゥ峠(2930m)」まで長い上り。河を渡ると見通しが良くなった。遥か向こうに学校が見え、音を遮る建物が無いので、学校の子供たちの楽しく騒ぐ声がこちらまで聞こえてきた。のどかだ。周りは正に『耕して天に至る。』段々畑。腐葉土をたくさん入れる農法なので、畑の土がホカホカしている。二時間で宿泊地との中間に位置する「ヌンタラ」の町に着いた。ヌンタラには、電気屋さんもあった。往路で立ち寄った茶店に寄ると、働き者の兄がホームメイドロキシーを仕込んでいた。ここから「タクシンドゥ峠」まで3時間。途中長い休みを取り、なんとか峠に達する。

 峠を下っていると、登って来る5人家族と出会う。おじいさんが、ネパール語でなにやら話しかけて来た。『私は日本人で、ネパールの言葉は分からない。』と話す。英語が分かる孫娘がお爺さんにその事を伝える。『お爺さんは、シェルパかと思ったみたい。』と、孫娘が私に英語で言った。以前フランスのシャルドネ針峰を登山した。アルベール小屋まで下山した際、同泊者が『貴方のことを、彼はシェルパに違いない。』とみな言ってるよ、話してくれた事があった。登山愛好者として、シェルパと間違えられるのは嬉しい。疲れが一遍に吹き飛んだ。『アイ ム シェルパ!アイ ム シェルパ!』と唱え、背筋を伸ばして往路で泊まったリンモのロッジに入った。冬休みに入ったため、往路では出会えなかった高校生の妹二人もいた。妹二人は私には1㎜の興味もなく、髪梳き、マニキュア塗り、メイクに没頭していた。兄、姉、弟は大歓迎してくれて救われた。


70年も山を登れば!(42)オールドエベレスト街道踏査復路

2024-11-29 06:00:49 | 旅行

 復路二日目その3!長野のカレーやさん&蜜柑売り少年

 ブクサの町中を歩いていると、眼鏡をかけた中年男性が片言の日本語で、『私は、長野のカレー屋で三年働いていた。』『私のカレーは美味しいので、日本人はみな喜んでくれた。日本は、良い国だ。』と、話しかけてきた。彼の話はここから本題に入る。『日本のビザは取りにくい。私は知人がいるのでビザがとれる。』『私には娘がいて、娘も日本に行きたい。けれど、中々ビザが取れない。』。彼の話は核心部に入る。『娘のビザ取得を手伝ってくれないか?』『この先に私の家がある。来て、お茶を飲まないか?』。彼は、日本人の通過者を待っていて、誰にも同じ話をしているのであろう。けれど、害がある訳でも、悪意がある訳でもないのでお茶は断ったが、色々と話し込んだ。

 カリ・コーラのマリを通り過ぎて一時間半下り、今日泊まる予定のジュビンの村に入った。往路に泊まったロッジより手前に、雑貨屋も兼ねている板作りの宿があった。一泊50円。喜ぶな!宿は、主、奥さんとも若く、子供は男女二人づつの計4人。子供たちは仲良しで、賢く、可愛い子供達だった。牛を飼っていて『フレッシュミルク』があると言うので、頼んだ。新鮮で濃くってうまい。近くのレストランへ行って、ロキシーを頼む。蜜柑売りの少年が食事をしていた。15才だが、身の振る舞いがいっぱしの大人だ。毎日30kgのミカンを担ぎ行商する「ストロングボーイ」だ。態度が大人なのは当たり前。


70年も山を登れば!(41)オールドエベレスト街道踏査復路Ⅴ

2024-11-28 07:20:08 | 旅行

復路の二日目その2、資材を背負う男達

 オールドエベレスト街道踏査の復路二日目その2

 上の写真は、建設現場に「資材」を運ぶ男達である。長尺の壁材・屋根材だと思われるものを運んでいる。さすがに重いのか、100m位行っては休んでいる。荷に弁当や生活具を括り付けてもいるから、これが一日を要する仕事と推定される。車で来れる荷の集積地から現場まで、場合によっては5日程かかるケースもあろう。何と過酷な労働であろうか。私がこの「オールドエベレスト街道踏査」を行っていた同時期、ある登山家が『最高齢エベレスト登頂』にチャレンジ中であった。私はこの人も尊敬している。けれど、私は『この男たちの方が、最高齢チャレンジャーより偉業をなしている!』と考える。登山は一過性のものであり、逃げ場もある。しかし、この男たちの仕事はちがう。一生続くのだ。

 昨日泊まったロッジは、一泊50円だった。男達の過酷な労働貢献によって、ロッジは建てられた。『安い!』などと言って喜んでいた私の頭を、誰か叩いてくれ。『ポーターは、カトマンズで無く山で雇え!』と言っていた、マネージャーの言葉も頷けた。