先日、テレビにあまり関心のない私だが、ふと目にした番組がある。それは今では遠い過去の話になるが、映画「影武者」での主役交代劇のドキュメンタリー番組だった。 久しぶりに時代劇のメガホンをとった黒沢監督が満を持して主役の武田信玄役に勝新太郎を指名した。 勝はよく指名してくれたとばかり、やる気満々で撮影に挑んだ。ところが勝つという人は、典型的な個人主義的な考え方の人だった。一出演者たる勝は監督に先んじて、自分のイメージしたやり方でやろうとした。たとえ監督であろうとも自分の映画に対する信念を貫く。それが俺のやり方だと。これはいかにも無頼の個性派俳優らしい、取りようによれば、与えられた役に心底没頭するという意味においては、見上げた役者根性ともとれる。だが相手は名うての映画人、天皇、黒沢明には通じなかった。スクリーンの隅々まで映画作りのポリシーをいきわたらせようとする黒沢監督にとっては、言語道断な行為であった。 結局は監督の怒りに触れて、勝は降板を余儀なくされた。以上がその当時、黒沢監督の傍で映画製作にかかわったスタッフたちの証言である。
そこで私の手前勝手な感想ではあるが、映画そのものはさすが黒沢の映画だけに、よくできた作品ではある。急遽、代役を託された仲代達也もさすがは名優、立派にこなしていたと思う。だがやはりこの映画は仲代より、勝が演じるべきだったと、詮方ないことながら思ったものだ。 仲代も決して失敗ではないが、勝がやればこの映画に更なる深みと、リアリティを与えられたと推測する。
世間一般の観点からも、経営者と有能な部下との確執はよく起こりがちである。 黒沢さんの立場、状況としての正当性もよく理解できるが、ここは天皇、黒沢であろうとも、一旦譲歩して、勝の言い分を聞いてやるべきじゃなかったかと考える。黒沢さんの映画が好きで、黒沢さんに対し、尊敬の目で見ているからこそそうあるべきだったと今更ながら惜しいことをしたと思う。