今日は、かつて梅ヶ渕不動堂の、ご本尊であった不動明王立像について、ご紹介します。
今から150年前、薩摩藩では徹底した廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)を断行し寺院仏閣や仏像、仏具などを取り壊す歴史がありました。
鹿児島県には 150年前より以前の仏像や仏画、寺院書物などは皆無に等しいほど残っていません。
その廃仏棄釈の最中、梅ヶ渕不動堂の仏像を密かに守り抜いた人々がおり、現在もなお大事にお祀りされているのです。
梅ヶ渕不動堂の滝の左上に安置されている石仏の波切不動明王像と観世音菩薩像。
また、石仏を壊された後に修復し再度、安置された薬師如来像。
現在、子安観音が祀られている道祖神の石は廃仏棄釈以前からのものです。
もちろんこれらの石仏などは今でも梅ヶ渕不動堂に安置され、参詣することができます。
もう一つ、密かに隠され現在に遺る仏像があります。それが鹿児島市 南林寺町にある南洲寺に安置されてある、不動明王立像です。
南洲寺はもともと、町名の由来である南林寺があった跡地に建てられた お寺です。南林寺も、また廃仏棄釈で壊され廃寺となりました。
江戸幕府から追われ西郷隆盛と共に入水自殺した
月照上人の墓があることでも有名です。
南洲寺は明治9年に相国寺 鹿児島別院として建立され、明治40年に既に亡くなっていた西郷隆盛(南洲翁)に勧請開基(かんじょうかいき)となっていただき南洲寺と改名したことが由来。
勧請とは神仏の降臨を請うことであり開基とは、
神社仏閣を創建した人のことです。
前置きが長くなりました。
それでは、かつての梅ヶ渕不動堂のご本尊が祀られている、お堂に、ご案内します。
こちらが、その不動明王立像です。
圧倒的な存在感です。
よくぞ、遺していただけました。
150年前に死を覚悟してまでも密かに仏像を隠された人々に感謝!また今、現在、大事に見守られている南洲寺と、その檀家の方々に感謝です!
こうして今でも、お詣りすることができることに感謝!感激です!
解説の看板があります。
解説には明治36年頃までは上伊敷村の不動堂にあったが…と書かれいます。梅ヶ渕不動堂のことです。
この仏像は平安時代後期(12世紀)頃に造られたものです。
度々、修復を重ね近年では、平成20年に九州国立博物館の文化財修復施設において解体修理がおこなわれ現在に至った経緯が書かれています。
先の大戦中では寺の床下で釣鐘の中に不動明王像を納め戦火を逃れたと文献で読んだ覚えがあります。
この不動明王立像は様々な難を、かいくぐり、その時代折々に、ご縁のある方々に守られて現在もなお、その お姿を遺し続けています。
解説の最後に『鹿児島に限らず南九州の、かけがえのない歴史遺産として、わたしたちが後世に継承してゆかなければなりません。』と締めくくっています。
我々、梅ヶ渕不動堂保存会も同様な志で梅ヶ渕不動堂を後世に…という気持ちと重なります。
鹿児島市に、お立ち寄りの際には、南洲寺、境内の中にある不動明王を訪ねてみられませんか?
天文館からも近い街中にある、お寺です。
南洲寺
鹿児島市 南林寺町 23-22
勿論、梅ヶ渕不動堂にも重ねて、お越しくださいませ(^ ^)/
では!またのお越しを、お待ちしています。