かつて横浜に、メリーさんと呼ばれる伝説の街娼がいたことは、私も知っていました。
このたび、メリーさんの足跡を追ったドキュメンタリー「ヨコハマメリー」を鑑賞しました。
歌舞伎役者のように顔を真っ白に塗り、純白のドレスを着て横浜の町に立ち続けたメリーさん。
終戦直後は米軍将校相手に春を売る、いわゆるパンパンでした。
その当時はそういう女性はたくさんいて、メリーさんも目立たぬ存在だったに違いありません。
驚くべきは、1995年、74歳までホームレスの街娼であり続けたこと。メリーさんです。
映画は彼女と交流があった、ゲイで男娼経験もある、飲食店経営をしながらシャンソン歌手を続ける元次郎さんへのインタビューを中心に構成され、メリーさんその人が出てくることはほとんどありません。
地元の人はメリーさんの他に、その気位の高さから皇后陛下と呼んだり、その奇抜な衣装からキンキラキンさんと呼んだりしていたようです。
一説には恋仲になった米軍将校が国に帰ってしまい、しかしいつかは日本に迎えに来てくれるかもしれないと、横浜を離れられなかったとか。
いずれにせよ、そのミステリアスな生き方は、多くの人の関心を引きました。 雑居ビルの廊下で眠るメリーさんです。
1995年に姿を消したとき、地元の人は死んだんだとか、田舎に帰ったのだとか、様ざまに噂したそうです。
この映画が撮影されたのはそれから10年後のこと。
メリーさんはすっかり過去の伝説と化していました。
映画のラスト、片田舎の老人ホームに慰問に向かう元次郎さんが映し出されます。
その老人ホームには、メリーさんが本名で暮らしており、元次郎さんのシャンソンが聞きたいと手紙を書き、元次郎さんはそこに向かったのです。
最後に数分間だけメリーさんその人が映し出されます。
もう白塗りは止めて、ずっと街娼をしてきたとは思えない上品な笑顔で登場します。
しかしメリーさんは、もう一度横浜に立ちたいという夢を捨てきれずにいました。
何が彼女をそこまでの衝動に駆り立てるのでしょうね。
執着と言ってしまえばそれまでですが、人間には欲望というものがあり、それは様ざまな方向に向かいます。
ひたすら金儲けに走る人。
政治家になって権力を握りたいと思う人。
学者を目指して研究を続ける人。
スポーツや芸能界での成功を夢見る人。
また、平穏な暮らしをもとめて密やかに社会の片隅で生きる圧倒的多数の人々。
それら人間精神が巻き起こす運動は、時に滑稽であり、時に悲劇的です。
私はかつて人間精神の悲喜劇を小説にしたいと願い、いくつかの作品を書きましたが、それは世に受け入れられることはありませんでした。
そういう意味では、私自身の精神の運動は止まったのだと思います。
精神病にも罹患し、私の精神は運動よりも休養を求めるようになり、今はただ、他人が引き起こす精神の運動を見聞することで、わずかな慰めを得ています。
メリーさんに限らず、人間精神の運動というものは永遠の謎だと言ってよいでしょう。
私は自身の運動が止まったにせよ、運動の不思議から目を離すことはできません。
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