今日は珍しく千葉県立美術館に出かけました。
ここは箱物は立派ですが、何しろ予算が涙金ほどのため、通常、県内の中高生や美術サークルの人々の貸し会場みたいになっています。
ここで学芸員をやっている友人がおり、彼から聞いた年間予算では、とても大規模な企画展示など出来ようはずもありません。
それに比べ、千葉市美術館は、どういうからくりか、小規模ながら興味深い企画展示をたびたび行っているため、よく出かけます。
貧乏な千葉県立美術館が、なんと平山郁夫展を開催したというのですから、さしてかの画家に興味がない私としても、出向かざるを得なかったというしだい。
平山郁夫というと、なんとなく茶色っぽい、砂漠を行くシルクロードの絵画を思い浮かべますが、多くの画業の間には、様々な作品を残しています。
シルクロードの絵もそうですが、仏画、日本の風景画、人物画、果ては抽象画まで。
中でも私は、飛天という作品に心惹かれました。
飛天です。
飛天とは、如来の周りを飛び回って仏を礼賛する、一種の天使です。
古くは翼が描かれていたという説がありますが、今見られる仏教美術の飛天には翼はなく、ただひらひらと飛んでいます。
そしてまた、飛天は如来の周辺を固める脇役というイメージが強いですが、上の絵には如来が描かれておらず、飛天だけが描かれているのが特徴的です。
画像では分かりにくいですが、実際に絵を見ると、非常に躍動感があふれ、さらに金と青のコントラストも見事なうえ、幻想的な雰囲気を醸し出し、良い感じです。
ただ、展覧会全体を俯瞰してみると、平山郁夫という人は東京藝術大学の学長を務めたくらいで、純粋な芸術家という感じがしません。
どこか批評家っぽいというか。
それが、私を欣喜させる力強さの不足に繋がっているように思います。
もちろん、それは私の好みの問題で、この画家に感応する力を持ち合わせなかったというに過ぎず、この人が現代美術界の巨人であったことは間違いないでしょう。
展覧会のなかに、平山郁夫の言葉として、建物であれ自然であれ、そこに長い人々の営みや歴史を感じた時、絵筆を取る気力がわく、といった意味の言葉が掲示されていました。
なるほど、それなら私の美的感覚と合うはずがありません。
私は生身の人間の激しい営みを感じると興味が失せ、うそ臭い偽物にこそ現われる純粋な美を好むのですから。
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