今日は先日の記事「言霊」の参考とさせていただいたサイトから幾つか抜粋させていただきます。
私たちが思い出さねばならない真実の日本とは、何と神秘に包まれている国なのでしょうか。
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「あいうえおかきくけこさしすせそ……」
日本語を学んだ外国人の多くが、整然とした五十音の構成に感心し、母音の美しい響きに感嘆する。また、実際に日本を訪れた外国人たちは日本人の親切さや街の清潔さに心打たれるともいわれ、どうやら、外国の人々の目には、日本人は美しい言葉を話し、美しい生き方を実践する存在として映っているようである。
これを正当な評価と見るか過大な評価と見るかは別として、日本語の美しさについては異論のない方がほとんどだろう。そして、その日本語をより美しく話す人ほど、美しい生き方をしていることにも同意していただけるはずだ。
では、どうして日本語は美しいか?
改めて五十音表を眺めてみると、各音を構成する母音と子音が一目瞭然であることに気づかされる。
これは当たり前のようでいて当たり前ではなく、これほど整然と各音が整理された言語はほかにないといっていいだろう。現在の五十音の並びはサンスクリット語の音韻学に由来するといわれるが、日本語のルーツそのものは1万年以上前にさかのぼることができるという。
(ム―とアトランティスの沈没後辺りだろうか?=とびら)
また、外国語と比較したときには、母音や子音に濁(にご)った響きのないことにも気づかされる。五十音のことを清音(せいおん)と呼ぶが、まさにその名の通り、清い響きがそこには感じられるはずだ。
「母音がきれいに分けられているのが古代から伝わる言語の特長です。日本語のようにはっきりとした母音を持っている言語―古代ポリネシア語、レプチャ語など―は、1万年を超えて今なお原型をとどめる数少ない言語だといえるでしょう」
そう語るのは七沢研究所代表の七沢賢治(ななさわけんじ)氏。
半世紀以上にわたり、「日本語」の研究に取り組んできた氏によると、これらの言語のうち、言語と関連して発達した文化が現在まで残っているのは日本だけだという。これは日本が島国であり、そこで芽生えた文化が、侵略者によって断絶させられることなく連綿と継承されてきたことに関係するのだろう。
その日本文化の根幹となっているのは神道(しんとう)という自然発生的な宗教であり、さらに神道の深層に連綿と流れる「言霊(ことだま)」という考え方は、そのまま日本語や日本人特有の感性にも連結してきた。
『万葉集』収載のいくつかの歌に「言霊の幸(さき)はふ国」という記述が見られるように、日本はまさに言霊の国であったのだ。
その言霊の考え方を簡単にいうと、「言葉には現実の出来事を引き起こす力がある」となる。そこで、神道においては祝詞(のりと)を奏上するときには絶対に誤読があってはならないとされ、また現代でも、「切れる」「終わる」といった言葉は結婚式などで忌み言葉とされている。
つまり、言霊は単に宗教的概念というだけでなく、日本人の感性や文化、そして日本語の性質にも深くかかわる考え方なのだ。
このような「良い言葉を口にすると良いことが起きる、悪い言葉を口にすると悪いことが起きる」という考え方は日本人の自然な感覚であり、それは漢字が伝来したときに、「言」と「事」の音が区別されなかったことにも表れている。
つまり、「言葉」がそのまま「出来事」を引き起こすと考えられていたのである。
(知れば知るほど、学べば学ぶほどに、心に刻まねばならないことと思います=とびら)
明治時代以降に日本語のローマ字表記が始まったことが一つの刺激となり、言霊学における五十音の体系的な理解が推し進められることになった。
(明治維新は古くからある日本の良き文化を叩き壊してきたが、良いこともあったよう=とびら)
ローマ字表記では日本語の一音を子音と母音の組み合わせで表すが、言霊学では父韻(ふいん)と母音の組み合わせが子音を生むと考える。そこでいわれる「父韻」とは、一般にいう子音であり、「子音」とは一般にいう子音と母音の組み合わせによって生まれる五十音の各音のことを指す(そうなんだ、知りませんでした=とびら)。つまり、結果的にはローマ字の考え方と同じことを言っているのであり、この両者の説明に根本的な違いはない。
言霊学では、どうしてそのような用語の言い換えがなされたのか?
七沢氏はこう説明する。
「父と母が結婚することで子ができるというのが有性生殖(ゆうせいせいしょく)の基本ですから、その意味で、言霊学では父韻と母音が子音を生み出すという考え方をします。これは一見すると、ローマ字に触発されて生まれてきた概念であるように思えますが、そうではなく、ローマ字が入ってくるまで封印された概念であるとも考えられます」
そう、言霊学は言葉を大切に扱う学問であるからこそ、「子音」ではなく「父韻」でなければならなかったのだ。
では、五十音の意味について言霊学はどう答えるのか?
言霊学では、五つの母音「アオウエイ」を自己の心の五階層の働きを表すものとし、五つの半母音「ワヲウヱヰ」をその心を伝える相手の心の働きを表すと説く。「アオウエイ」は主体・主観を表し、「ワヲウヱヰ」は客体・客観を表すといってもいいだろう。
そして、八つの父韻「チキミヒリニイシ(TKMHRNYS)」は相手に心を伝える際の理想的な心の働きを表し、残り三十二の子音は、母音・半母音と父韻との組み合わせによって生じる現象を表していると考える。
つまり、五十音には理想的な心のあり方や他者との接し方が、ある種の行動規範として組み込まれているというのが言霊学における理解である。
加えて、その五十音がそのまま古層和語圏へ地続きとなっていることはいうまでもない。
五十音を考えることは、古代の日本文化、精神性、祭祀などに触れていくことに等しく、それは同時に、1万年を超えて今に残されたユーラシア大陸全域の叡智のデータベースにアクセスすることにもつながってくるのだ。
もちろん、ほかの言語であっても、それがある種のデータベースであることにはちがいない。だが、日本語にはほかの言語にない有利な特長があるという。
「アルファベットは26文字ですが、日本語は五十音であり、しかもその一音ごとに複数の意味が備わっています。そのため、より客観的に、より多くの情報を扱えるという点で、日本語は最も進化した言語であるといえるでしょう」
さらに七沢氏は、五十音から母音を除き、「ん」を加えた四十六音についても独自の見解を持つ。
「四十六という数が染色体の23対(つい)の倍の数と一致しているという事実は大変興味深いものです。私はこのことから、小笠原先生がよく『染色体の振動を増幅したら、きっと五十音になる』とおっしゃっていたことを思い出します。そして、日本語には染色体を構成するDNAに働きかける言語エネルギーのようなものが備わっているのではないかとも考えています」
七沢氏による、言語エネルギーの応用に関する研究成果は後の章でご紹介することにして、ここでは言霊学の深奥(しんおう)へとさらに歩みを進めることにしよう。
(古事記原文)
天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成りし神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。
小笠原氏の著書『言霊百神』では、ここに描かれる神々の誕生を言葉の誕生として捉え、次のように解釈する。
(言霊百神注釈)
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)ウは渾然たる一者であるが、この一者から初めて天地が剖判(ほうはん)を開始する。天地が剖(わ)かれてアとワに対立すると云うことは、吾(ア)と我(ワ)(汝)の二つに剖れると云うことである。(中略)初め宇宙が剖判すると高御産巣日神(たかみむすびのかみ)(アオウエ・イ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)(ワヲウヱ・ヰ)に分かれる。
天地創造の過程において最初に生まれた天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は言霊でいうと「ウ」にあたり、そこから「ア」と「ワ」の二つが生じる。すなわち、混沌(こんとん)とした宇宙に生まれた意識を天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)「ウ」、宇宙を照らす意識の光を高御産巣日神(たかみむすびのかみ)「ア」、その光によって照らされた客体としての宇宙を神産巣日神(かみむすびのかみ)「ワ」としてそれぞれ定義づけたのである。
これらの神は造化三神(ぞうかさんしん)と呼ばれ、「ウ」「ア」「ワ」は言霊の出発地点でもある。老荘(ろうそう)思想ではこれと同じことを数で表しており、「一、二を生じ、二、三を生ず」という老子の言葉がそれに該当する。
さらに、「ア」「ワ」の両者からは母音(アオウエイ)と半母音(ワヲウヱヰ)、そして八つの父韻(八律(はちりつ)父韻)が生じていく。
(この記事も参考にしてください→ 宇宙は「ウ」の音から創られた )
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