真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

外国人から見た江戸の日本

2009年09月03日 21時20分49秒 | 日本のこと



昨日は449人もの人にご訪問いただきまして有難うございました。一昨日も400人近かったのですが、ただ、「アクセス解析」を見ますと、そのほとんどの人が「あるニューズレターから(外国から見た日本のこと)1} だったです。
ということは誰かがどこかでこのページを紹介でもしてくれたのでしょうか?

ただ、それ以前もだいたい日本のことを書いた私のページはよくビューされています。
やはり皆さん、日本のこととなると興味がおありなんですね。
魂がその使命に目覚め始めているのかなぁ。

それでは、今日は幕末の時代に日本を訪れた人が、後で書き残したものを集めて書かれた書である「逝きし世の面影」という本を紹介します。
古き佳き時代の日本のことが、これでもかというほど記されています。

「逝きし世の面影」平凡社ライブラリー(文庫)¥1900(税別)

文庫本なのに600ページ近くもある本です。

私は日本のバブルのころ、何となく豊な近代日本よりも、江戸時代の人々の生活のほうが、より人間的で心豊な生活を送っていたのではないのか? ということを考えることが多かったです。
そしてこの本を読むと、そんな私の考えが正しかったことを確信させてくれます。

そんなことに興味のある方は是非ともこの本をお読みください。
昔の幕末の日本は扉も開けっ放して生活していました。家族団らんで食事をするときも。
江戸時代から始まった銭湯は1791年に「男女入込禁止令」がだされ、後で天保の改革よって混浴が禁止されましたが、あまり守られなかったようです。
明治12年(1879年)になって外国への配慮から混浴は禁止されました。それ以前、元禄時代は道を歩いていると若い娘が庭で行水をしていたりして、その様子が道からみえる光景があったらしいです。

そして何よりも生活は質素でした。余計なものを欲しがりませんでした。
当時から日本は世界の中で最も貧富の差がありませんでした。
そして思いやりに溢れていました。
明るい子ともたちや娘の笑い声が飛び交っていました。

私は以前より外国人が日本を賛美する言葉を度々紹介してきました。
それは贅沢に浸かっていると自分が贅沢しているとは思われなくなってきて、それが普通と思ってしまうように、絶対的な日本の美と誠の本質がとても大切なものであったことに気づかず、新たに触れた西洋的文化がとても新鮮なものとして、次々に受けれてしまっていると思えたからです。

その一方で、日本人が西洋的なものを新鮮なものとして受けとったと同じように、西洋人たちの一部は、日本の文化と民族性に触れ、大きな驚きを受けたのでした。
だから外国人の言葉に耳を傾けることも必要なのです。

もしも西洋人たちが、自分たち(白人)こそが地球上でもっとも優秀な民族だという思い違いを持たなかったら、ただ単に日本を賛美するだけではなく、質素、正直、和に代表される日本の良いところを、西洋文化に取り入れたでしょう。

日本を何度も訪れたり、永住したり、帰化したりした、外国人は多くいますが、それは日本に溶け込むということであり、日本を取り入れるということとは異なるように思えます。結局のところ、多勢に無勢で、日本が西洋化するというところに落ち着いてきたのです。

でも、日本民族のDNAと繋がっている心や集合意識までを変えることは出来ません。心は魂とは違って肉体に近いものです。血液型によってある程度、性格の分類が為されるのは、まさに個性なき魂とは異なって、肉体DNAが個性を運んでいることの裏付にもなると思います。



もっと素朴に生きていた日ということで、江戸時代の日本民族も今の日本民族も、本質は何も変わってはいないのです。
であれば、これから「逝きし世の面影」のような日本人を今後取り戻すことができるのでしょうか? 
それは私にも判りませんが、本質はもっているのは間違いありません。

この本の冒頭に近いところでは、日本が明治維新後、あるいはそれ以前の徳川時代から、西洋によって良き日本の文化が壊されると予測した外国人が多くいたことが記されています。

幾つか引用しますと・・・
近代登山の開拓者ウエストンは1925年に出版した『知られざる日本を旅して』(心人物往来社刊)でこう言います。
「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることは決してあるまい」。
ウエストンは古い日本が死んでいく様子を見つつ、これを書きました。しかしそれ以前に幕末に日本を訪れた異邦人によって、日本文化の衰退は既に予測されていました。

初代駐日米国総領事であったタウンゼン・ハリスは、日記にこう記しています。
「厳粛な反省 ―― 変化の前兆 ―― 疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」と。

また彼の通訳をしていたヘンリー・ヒュースケンは1857年(安政4年)の日記に、
「いまや私がいとしさを覚え始めている国よ。この進歩は本当にお前のための文明なのか。この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り付けのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった私は、おお神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」。
ヒュースケンハ日本に一年二ヵ月滞在後にこれを記しました。

また二年余りを日本で過ごした長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケは1859年の教育隊の帰国に当たって「私は心の中でどうか今一度ここにきてこの美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに希った。
しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出会うかと思えば、恐ろしさに耐えられなかったゆえに、心も自然に暗くなった」『長崎海軍伝習所の日々』(平凡社東洋文庫)と言っています。彼は教育隊の帰国後も三年ほど日本に残り、開国後の日本の堕落を見て嘆いたのでした。

また、機会があればこの本から幾つか紹介してみます。

思うところがあったら Clickしてね。。。
 

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