いま、「宇宙の理」という雑誌で「昼下がりのコーヒーブレイク」という枠をいただいていて、今年の7月から「聖書に学ぶ」という内容の連載をしています(既に「宇宙の理」への寄稿は終了しています)。
私は以前から聖書の預言について興味を持っていて、いろいろと書籍を読んだりしていましたが、本格的にそれを探ろうと学び始めたのは昨年の秋からHEAVENESEの石井希尚氏の「聖書がわかると世界が読める」というオンライン講座を受けてからです。
連載にはこの講座も参考文献の一つにしています。
この講座は有料のため、当然、石井氏から内容を記事に書くことの了解を取っています。
石井氏からは掲載前に内容を確認させて欲しいとの依頼があり、毎号初稿を発行元と同時に石井氏に送りチェックしていただいています。
講座は有料ということでこのブログで講義内容を書くことはできませんが、講座からの引用が殆どない、或いは一般的に言われていることを私が記している号に関しては問題ないと思いますので、取り敢えず問題がないと思われる初回号の内容を紹介します。
この講座は月2回の開催で、1回2時間強の内容で会費は1か月7500円ところ今は4500円です。
ご興味ある方はここをクリックして内容をご覧ください。
記事はブログ掲載に当たり、加筆しています。
昼下がりのコーヒーブレイク 7月号
聖書に学ぶ1
今月から定期になるか、不定期になるか分かりませんが、聖書の預言などから今後の心構えなどに必要なものを学んでいこうと思います。
昨年の秋から石井希尚氏の「聖書がわかると世界が読める」というオンライン講座を受けています。
石井氏はミュージシャンとして外務省の後援を受けて世界ツァーをしている他、フリースクールを日本で初めて開設し、多数の著書ではベストセラーを出す傍ら、カリフォルニア州で牧師となり帰国され、聖書預言の研究において他の方とは違った視点から解説します。
今月から連載する「聖書に学ぶ」は石井氏の講座だけでなく、他にも飯山陽(あかり)氏の中東関連書籍、聖書解説誌の「月間レムナント」や日本書紀と古事記なども参考にします。
イエス・キリストとキリスト教
聖書というと皆さんはどのような印象を持ちますか?
今から30年近く前のことですが、私が会社員時代にキリスト教徒の部下の女性に「イエス・キリストは教会を建てろとは言っていないし、イエスとキリスト教は本来関係ない」と言ったことがあり、とても嫌な顔をされました。今考えればキリスト教徒に向かって言ってはいけない言葉でした。
しかし聖書とキリスト教は本来関係ないことは歴史の事実から見れば当たり前なのですが、理解している人は前述した石井希尚氏などほんの一握りです。
実際の聖書の中では「教会」というように訳された語彙を使用している場合がありますが、「集いの場」と理解してください。
キリスト教会の創設時期を特定するのは難しいようですが、一般には伝道者パウロが教会の設立に大きく関わったとされています。
キリスト教会はイエスが没したのちに設立されましたし、自由を説いたイエスが組織という縛りを望むはずがありません。
キリスト教には大きく分けて正教会、カトリック、プロテスタントがあり、それぞれが聖書を経典としていますが、そもそも宇宙の根源において宗教は別れてはいないもので、宗教は分割された組織によって営まれてはならないのです。
本来宗教は、宗教という言葉もなく自然に存在しているものです。
キリスト教会の設立にはイエスの意思は入っていないのです。
イエスと聖書
それぞれの教会の経典となっている聖書は、旧約・新約共に元々はキリスト教やユダヤ教の経典ではなく、独立したものです。
キリスト教もユダヤ教も後から人間が勝手に聖書を経典として関係を持っただけで、聖書は聖書側からしてみれば、それら宗教組織とは何の関係もありません。
この認識はとても大切なものです。私たちが聖書に触れるときキリスト教の経典を読んでいるとの意識は払拭しなければなりません。その意識が人を聖書から遠ざけているからです。
だから仏教徒も、宗教と関わりたくない人も安心して聖書を読んで良いのです。
聖書は、石井希尚氏曰く、人間が記した歴史書とは違って世界で最も信頼のおける神の啓示による過去と未来の歴史書です。
人間には正しいことは判らないので、基本的には間違いを記すことも多いのですが、聖書は間違いを記しません。
何故、いま聖書なのか
聖書は神が全人類のために書き残した過去と未来の歴史書であり、人類すべてに平等に残したメッセージです。
私たちに聖書が宗教組織とは無関係との認識がないため、聖書の神聖さに触れる人が少なくなっていて、その真理を知る人も少なくなってしまっています。
しかしながら聖書で言う産みの苦しみである「終りのとき」の裾野に既に人類が踏み入り、尾根に踏み入った今、終のときの意味を正しく理解する必要が出てきました。
また日ユ同祖論や神道とユダヤ文化の類似性を鑑みると、今それを探求する時なのかもしれません。
イスラエルのラビ、エリヤフ・アビハイル氏が三笠宮親王から聞いた話として、日本の皇室に生まれた男子は、ユダヤ民族と同じで生後8日目に割礼を入れると講演会で語りました。
これなども皇室がユダヤと繋がっているという大きな証拠にもなるのではないでしょうか。その繋がりは更に遠くシュメール時代に遡ると思われます。
聖書は前述した理由で私たちに触れる機会を与えなかったのも事実ですが、物事を知るにはそれにふさわしい時期というのがあるのも事実です。
宗教の壁を超越する者だけが触れることのできる真実なのかもしれません。
その者はキリスト教徒に於いて触れることのできない領域をも触れることが出来るかもしれません。
聖書の預言はオカルトではない
「1999年7の月、空から恐怖の大王が来るだろう」という地球の滅亡を預言したというノストラダムスの「大預言」が刊行され大ベストセラーになり、オカルトブームの火付けとなりました。
しかし地球滅亡は実現せず、次は2012年12月マヤ暦の世界の終わりが、名の知れたスターたちが演ずるハリウッド映画になる程に世の関心が持たれました。それも外れました。
2012年の時は、霊的世界に造詣の深い中丸薫氏や故 桑原啓善氏が、そのとき地球と人類が一斉にアセンションするという夢を語っていましたが、それも実現しませんでした。
キリスト教の神父や牧師たちにもキリスト者としてイエスを信じていれば救われる(*空中軽挙される)と教えている人が多くいて、罪深きことだと思います。空中軽挙は聖書の中には直接の言葉では記されていませんが、そのように解釈しているようです。
*(空中携挙は一時地球は住めなくなるので心を洗って心の浄化を終えた人間のみを宇宙船に待機させるために引き上げること。最後の審判である)
実際に空中携挙があるかどうかは私には判りません。
しかし空中軽挙が仮にあったとしても、イエスをどんなに信じても信仰だけで救われるという安易な救済は有り得ません。
ユートピアに移行できる人はユートピアの心を有した者というのが十分条件です。
イエスに限らず神への信仰を持つことはアセンションの必要条件であっても十分条件ではありません。
十分条件となるのは洗心による慈悲と愛の育成です。換言すれば「アミ、小さな宇宙人(徳間書店)」の語る「愛の度数」です。
その存在自体が奇跡
聖書は「信じるか信じないかはあなた次第」といういい加減な都市伝説とも異なります。
ノストラダムスの預言は書物に書かれていますが、ノストラダムスは聖書と占星術によって書いたと語っています。ところが彼の預言が聖書と根本的に異なるのは、彼の預言はノストラダムス一人が記したもので、日本でそれを訳したのは五島勉氏のみでした。
しかし約40人によって記された聖書の写本は世界中で訳されていて、その内容はほぼ一致しています。
聖書を読み始めるとこういう奇跡が聖書に散りばめられていることに氣づきます。
新約聖書にしてもイエス没後にバラバラに散った12人の使徒が、伝道師としてイエスの言葉を伝道し、福音書も生まれました。
電話の無い時代に、バラバラになった彼らは同じ事を記そうとしても連絡の取りようがありません。
そういう奇跡がイエス以前のBC1600年前から続いているのです。
旧約39巻、新約27巻の全66巻ある聖書は考古学的な事実に立脚している神の意思を記した第一級の資料です。
しかもこれを書いたのは約40人です。初めに書かれた聖書は今から3500年前のモーセによる創世記です。
最後の聖書は1900年前のヨハネの黙示録です。
ですから書かれた期間は実に1600年間。その間の66巻が一貫したストーリー性を以って創世記で書かれたことが黙示論で完結するのです。
これが神の手によらず誰の仕業でしょうか?
聖書の預言はその殆どが成就しています。
今後、機会があればブログ用にも書き綴りたいと思っています。