たまには和を感じる歴史的建造物を見に行こう。
神奈川県でお城と言えば...小田原城。
一度目は昭和の頃で写真は残っていません。
記憶もだいぶ薄れました(^_^)
二度目は2013年(平成25年)で息子と一緒に行きました。
あれから10年かぁ...。
今回は三度目。
天候は曇りで肌寒い一日でした。
馬出門(うまだしもん)...二の丸から三の丸へ通じています。
とても新鮮な気持ちで場内を散策します。
だいぶ改修工事が進んだ模様でキレイ。ほとんど初めて状態。
敷地内には巨木が植えられています。樹齢何年ぐらいでしょうか。
奥に天守閣が見えます。はるか遠い。
巨木の下を園児が駆け回ります。
敷地内はとても広く、近所の保育園・幼稚園児の遊び場です。
旧小田原町図書館...1933年(昭和8年) 築。現在は二の丸観光案内所 。
【小田原城の歴史】小田原城公式ホームページより抜粋
小田原城は、室町時代に西相模に進出した大森氏が築いた城郭が前身とされます。城の規模や築城年は明らかになっていませんが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられています。
1500年頃、伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え、城と城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
しかし、天正18年(1590)、石垣山(一夜城)の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。
1500年頃、伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え、城と城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。
しかし、天正18年(1590)、石垣山(一夜城)の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。
小田原駅西口ロータリーには、戦国時代に相模国(現在の神奈川県)を統一した人物で小田原城の城主 、北条早雲(ほうじょうそううん)の像が建てられています。
令和4年(2022年)のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で取り上げられる北条氏とは残念ながら無関係。鎌倉時代の北条氏と分けるため、北条早雲をはじめとする戦国時代の北条氏のことを後北条氏あるいは小田原北条氏と呼んでいます。
銅門(あかがねもん)...二の丸の表門、とても大きな扉です。
天守閣が近づきましたが、まだ遠い。
スゴイ豪邸(?)です。
紅梅や蝋梅が咲いていました。
常盤木門(ときわぎもん)小田原城の本丸正門になります。
小田原城は全国の天守閣高さランキングで7位だそうです。
上位は①大阪城、②名古屋城、③島原城、④熊本城、⑤姫路城、⑥小倉城の順になります。
天守閣内には歴史的文化財が展示されています。
一つ一つをゆっくり見て回ると1時間ぐらいかかると思います。
展示物や歴史解説がとても多いです。
写真撮影不可のため、天守閣からの眺めに飛びます↓
真鶴半島・熱海方面。晴れた日には伊豆大島が見えるそうです。
相模湾方面。人が米粒のように見えます。松の背丈がなんと高いこと。
小田原駅方面。西湘地域のターミナル駅。
JR東海道線、新幹線、小田急小田原線、箱根登山鉄道線、伊豆箱根鉄道大雄山線と多数の鉄道が乗り入れています。
天守閣まで登るには数多くの階段を登ることになります。
エレベーターやエスカレーターなどはありませんので、車椅子利用の方や階段昇降が困難の方は見学できないのが難点です。
2013年11月へジャンプ↓
良く晴れた秋の日。
天守閣の展望台にて。
落ち葉と少年。
お堀には何がいるかな?
今では信じられないほどチビッコ。常盤木門の大きさが際立ちます。
青空・少年・天守閣。(平成25年=2013年→源次郎5歳=保育園年中クラス)
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お城から徒歩10分少々の小田原駅。
小田原駅にて電車待ち。
ここから1時間20分ほどかけて帰宅します。
最初は寒かったのですが、広大な小田原城址公園を歩き回って汗ダクです。
いつものニット帽は暑くて被っていられないほど(^_^;)
桜、紫陽花、花しょうぶが見ごろの季節が最も映えそうです。
それと青空も『映え』には必須ですね。
階段をたくさん登って、翌日には筋肉痛になりました(>_<)
写真は全て小田原城および小田原駅で撮影しました。