小学生の給食で、月に1回くらいメニューにソフトめんがありました。
当時、自分は大きく生まれて(4000g超)、小さく育っていたので、給食で量が足りないと感じた事は1度もなかったです。
むしろ、コッペパンとか食パンは残すことが多く、給食袋に入れて家に持って帰り、ワンコにやったりしました。
ところが、ソフトめんは持って帰れません。
全部食べ終わるまで、先生が見張っていて、席を立てません。
体調が良ければ完食できるんですが、普通は全部食べることが出来ずに、昼休みいつまでも食べていて、泣きそうでした。
ですので、ソフトめんの日は、前日夜から緊張気味で、朝ごはんは抜いて、登校していました。
いまでも、袋を開けたときの独特の臭いは思い出せます。まれーに、同系の臭いを感じることがあります。
ビニル袋に入った何かを湯せんした時かなぁ。
そのソフトめんを現在も給食で提供しているところはほとんど残っておらず、本物のパスタや麺になっているそうです。
本物のって、ソフトめんは何だったんだ!と思いますが、それはそれで良かったと思います。
6年の頃には、校舎が一新され、水洗トイレになったので、残したソフトめんをトイレに捨てに行くことができるようになりました。
思えば、それまでは水洗トイレではなかったんですねぇ。手が出てきて、おしりを触るとかトイレの怪談話が、怖かったです。
残しても捨てられるようになって、プレッシャーから解放されたせいか、6年生で少しは胃袋が大きくなったのか、残さずに食べられるようになったと思います。
それでも、高学年になるまでのソフトめんの恐怖は50年経っても忘れないですねぇ。
今なら、3袋くらいはペロッと食べられそうですが。^^
当時、自分は大きく生まれて(4000g超)、小さく育っていたので、給食で量が足りないと感じた事は1度もなかったです。
むしろ、コッペパンとか食パンは残すことが多く、給食袋に入れて家に持って帰り、ワンコにやったりしました。
ところが、ソフトめんは持って帰れません。
全部食べ終わるまで、先生が見張っていて、席を立てません。
体調が良ければ完食できるんですが、普通は全部食べることが出来ずに、昼休みいつまでも食べていて、泣きそうでした。
ですので、ソフトめんの日は、前日夜から緊張気味で、朝ごはんは抜いて、登校していました。
いまでも、袋を開けたときの独特の臭いは思い出せます。まれーに、同系の臭いを感じることがあります。
ビニル袋に入った何かを湯せんした時かなぁ。
そのソフトめんを現在も給食で提供しているところはほとんど残っておらず、本物のパスタや麺になっているそうです。
本物のって、ソフトめんは何だったんだ!と思いますが、それはそれで良かったと思います。
6年の頃には、校舎が一新され、水洗トイレになったので、残したソフトめんをトイレに捨てに行くことができるようになりました。
思えば、それまでは水洗トイレではなかったんですねぇ。手が出てきて、おしりを触るとかトイレの怪談話が、怖かったです。
残しても捨てられるようになって、プレッシャーから解放されたせいか、6年生で少しは胃袋が大きくなったのか、残さずに食べられるようになったと思います。
それでも、高学年になるまでのソフトめんの恐怖は50年経っても忘れないですねぇ。
今なら、3袋くらいはペロッと食べられそうですが。^^
いえいえ、25期と29期ですから4年違いです。
ソフトめんは4年生の頃から始まった気がします。
3年生の時は、担任が産休で超優しい臨時の先生が来て、ソフトめんの恐怖は記憶にないので、たぶん4年からかと。
だから、kumiさんが小学生の時にギリギリ間に合わなかったみたい。
ラッキーですよ。
>三郎丸小
でしたか。
でも脱脂粉乳は覚えておられたようで。
ザラザラしてるのに、膜が張って。
栄養的に良かったんですかね。
5年の頃に、ビン牛乳になって、脱脂粉乳は終わった気がします。
ビン牛乳にしては薄い感じがしたけど、粉乳に比べたら御の字でした。
>母乳の出を良くしようと産後1リットル飲んでいたら保健婦に叱られました。
自分なりに考えて・・・・ていうのが、逆に悪かったりしますね。
保健婦さんに白状されてよかったですよ。
黙っていたら、おおごとになってたかも。
ちなみに私も、牛乳は若者の飲み物で、不惑過ぎたら飲むべきでないと注意されました。^^
>好きなものもあったのでしょうけど
わたしは、くじらのなんとか揚げが好きでした。
みんな、「まずいまずい」と言ってて、私も「ホントまずいね」とかいいながら、心の中で「うまいやん」と思いながら食べてました。
残せなかったのでみんなも食べていましたが、もしかしたらみんなも「うまいやん」と思っていたかも。
当時、鶏肉よりくじらのほうが、グラム単価が安かったです。今はねぇ。
とほさんとはとほさんが早生まれだから5学年違っているからかな?
北九州市が政令指定都市になったのが調べたら昭和38年2月だそうで私は9歳でした。
その時はまだ越境入学していなくて三郎丸小だったけど全く給食のことは覚えていません。
脱脂粉乳で牛乳嫌いになりました。
アルマイトのカップに注がれた脱脂粉乳は臭くて鼻をつまんで飲んでいました。
大人になって北海道に住んでからは牛乳がないと駄目になりました。
母乳の出を良くしようと産後1リットル飲んでいたら保健婦に叱られました。
母親が太るだけですからと・・・
主人は青森市内で街中に住んでいたからか小学校で一番最初の給食学校で美味しかったと話しています。
好きなものもあったのでしょうけど今となっては全く思い出せません。
当時は、奈良県ですよね。メニューに採用されなかったのかな。
>検索しましたが、やはり見たことないです。
私も検索してみましたが、当時はビニル袋に入った、茹でチャンポン麺って感じでした。
実際は、細うどんくらいの太さで、うどんとチャンポン麺の中間みたいな感じかな。
でも、食感はグニュグニュでコシなんてなかったです。
>私は給食を食べるのが遅くて、
ゆっくり食べたほうが、体にいいですよね。
>昼休みにみんなが遊びに行くのを羨ましく見てた
そうそう。食べ終わったら、校庭でボール遊びや鬼ごっこなど、遊びまくってました。
遊びたくて、いい加減に食べてた気もします。
>好き嫌いも多かったしなあ。
友人は「不味いまずい」と言いながら食べてました。
私は、「美味しいやん」と心で思いながら、話を合わせていました。
>お昼休みに掃除するか何かで、机や椅子を教室の後ろに移動させるんですが
掃除のときにそうしてましたね。
掃除は、朝か放課後かで、お昼にやった記憶はないのですが、お昼に机椅子を移動させた記憶はあります。
午後イチの授業が教室外だったときに、昼休みで机を後ろに移動させてたのかな。
>それに混じって後ろに下げられたことも。
ありゃー、ひどいですね。
食べるのに、いよいよ時間かかってしまいますよ。
いやがらせの一種なんでしょうね。
>早く食べる子が偉いわけでもないのに
なんかくだらんことでも、秀でてたら、「スゲー」とわけもなく感心してました。σ(^^)
早く食べられるのはスゴイと思いますが、「食べるのが遅い」と虐げるのはイカンです。
大人になって遅いと、酒のあてを食べられちゃいません?^^
検索しましたが、やはり見たことないです。
私は給食を食べるのが遅くて、
昼休みにみんなが遊びに行くのを羨ましく見てた記憶があります。
好き嫌いも多かったしなあ。
お昼休みに掃除するか何かで、机や椅子を教室の後ろに移動させるんですが、
それに混じって後ろに下げられたことも。
わざと遅く食べてるわけじゃないし、早く食べる子が偉いわけでもないのに。
食の細い児童には、地獄でした。
もともと伸びてるような麺なんですが、薄いカレー味のあんをかけると、さらに伸びて、食べても食べても減らなくて。
ほんと恐怖でしたヨ。
ウィキでは九州対象外なんですね。
私は、北九州市の市立小学校だったので、恐らく市内の小学校はソフトめん出てたと思います。
当時、既に政令指定都市になっていたので、給食も東京に倣ったのかもしれません。
>食の細い児童に無理やり完食させる教師って、今ならパワハラ、イジメですよね。
脱脂粉乳は、多くの児童が苦戦していました。
恐らく、先生も。同じ給食を食べてました。
普通のメニューなら、給食係に頼んで、少なめにしてもらえましたが、ソフトめんは全員同量できつかったです。
でも、もしかしたらそのおかげで、ちいさく育っていたのが、最終的にはでかくなったのかもしれません。^^
当時、先生の気配りなかったです。
検便の結果、陽性だった児童を名指しして、みんなの前で虫下し薬を本人に渡していました。
それを理由にイジメる児童がいなかったのが救いです。
(1960年代、当時パンのみであった学校給食の主食を増やすために開発され、東京都が学校給食に採用をしてから各地で採用されていった。それゆえ関東地方や東海地方と、中国地方の一部ではよく知られている一方、東北、関西、四国、九州(沖縄県を含む)、北海道(札幌市を除く)、北陸・甲信越の各地方ではほとんど知られていない・・)
大きく生まれて小さく育ったとほさんの給食時代はどちらで過ごされたのでしょうか?
それにしても食の細い児童に無理やり完食させる教師って、今ならパワハラ、イジメですよね。