私の話のくどさは職業病と思っています。
社会人になってからの数年間、本当に鍛われました。
どちらにもとれるような曖昧な発言や文章を作ると、上司はわざと本意でないほうの内容で認識します。
そうやって、曖昧な部分を私に知らしめる、ひとつの教育方法です。
おかげで当初に比べると、本意が伝わる発言や文書ができるようになったと思います。
しかし、その代償として、会話や文章がくどく、長くなりました。
代名詞がどれをさしているか誤解されないように気をつけますし、曲解されないように説明も増えます。
そんな習慣が、普段の家族の会話でも発揮され、嫌がられます。
でも、いいかげんに話すと、やっぱり間違って伝わっていたりして、ストレスです。
逆に、かみさんと話すと、その代名詞がどれをさしているのか、誰の発言なのか、発言なのか伝聞なのか、「私」は誰なのかわからず、
内容がさっぱりわからなくなります。
不確定な部分がどんどん蓄積していって、内容がさっぱりわかりません。
内容を要約してかみさんに確認すると、やっぱり間違っています。
世間話なら真剣に聞くのはやめて、適当に相槌を打っています。
大事な用件は、時間がかかっても都度確認しながら、理解に努めます。
適当に相槌を打った話が後日大事な用件に変わり、「聞いてないヨ」「前に話した」で喧嘩になることが起こり始めました。
かみさんが話し方を変えるわけではないので、こちらも適当な相槌は変わりません。
でも、現状がお互いのストレスが一番少ない方法だと思っています。
社会人になってからの数年間、本当に鍛われました。
どちらにもとれるような曖昧な発言や文章を作ると、上司はわざと本意でないほうの内容で認識します。
そうやって、曖昧な部分を私に知らしめる、ひとつの教育方法です。
おかげで当初に比べると、本意が伝わる発言や文書ができるようになったと思います。
しかし、その代償として、会話や文章がくどく、長くなりました。
代名詞がどれをさしているか誤解されないように気をつけますし、曲解されないように説明も増えます。
そんな習慣が、普段の家族の会話でも発揮され、嫌がられます。
でも、いいかげんに話すと、やっぱり間違って伝わっていたりして、ストレスです。
逆に、かみさんと話すと、その代名詞がどれをさしているのか、誰の発言なのか、発言なのか伝聞なのか、「私」は誰なのかわからず、
内容がさっぱりわからなくなります。
不確定な部分がどんどん蓄積していって、内容がさっぱりわかりません。
内容を要約してかみさんに確認すると、やっぱり間違っています。
世間話なら真剣に聞くのはやめて、適当に相槌を打っています。
大事な用件は、時間がかかっても都度確認しながら、理解に努めます。
適当に相槌を打った話が後日大事な用件に変わり、「聞いてないヨ」「前に話した」で喧嘩になることが起こり始めました。
かみさんが話し方を変えるわけではないので、こちらも適当な相槌は変わりません。
でも、現状がお互いのストレスが一番少ない方法だと思っています。
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