景気が上向き始めて、転職市場も好転してきたらしいです。
といっても、転職市場は転職希望者がいないと商売あがったりですから、話半分で聞かないとダメですが。
ネットで、転職理由のランク付け記事がでていました。転職理由なんて、人それぞれじゃん!と思いましたが、世相を反映しているのかも知れません。
というわけで、自分の転職理由をまとめてみました。
最初の転職理由は、仕事の割り振りに対する不満でした。
当初は5人の職場でした。サービス残業は当たり前で、もし現代ならば行政指導が入るレベルでした。
しかしながら、それだけ働いても、仕事は後手後手にまわり、苦戦していました。
そこで責任者は、ものすごい決断をしました。5人でやっていた仕事を2人で行い、他の3人は先手先手の仕事を行うものでした。
5人でやっていても一人当たり月100時間レベルのサービス残業が発生していた仕事です。2人で行うのは、殺人的でした。
σ(・・)はその2人のうちの1人でした。
それでも、後手後手で仕事を行うのではなく、先手をうつことが大切であることは職場の共通認識だったので、我慢して仕事を続けました。
この頃は、会社にいるか、寮に寝に帰っているかの生活でした。TV番組やヒットソングなど、この時期のものは、ぽっかり欠落しています。
先手先手の仕事を指示する責任者には、所属部署に配属経験のあるAが特命でやってきました。
3人を引き連れて、先手先手の仕事をやっていきました。それについては文句ありませんでした。むしろ望ましいことでした。
しかし、月日が経過するにつれて、様子が変になりました。
Aは、若い頃σ(・・)以上にサービス残業をしていたそうです。そして、そんな働き方に疑問を持っていたようです。
先手仕事が軌道に乗ると、Aが理想に思う働き方を具現化しはじめました。
それは、放課後は職場仲間で勉強会を行う。レクリエーションをする。休みにはゴルフに行く。労働すべき時間以外を人生に有効に活用する生き方です。それは羨ましい働き方でした。
しかし、それは5人の仕事量を2人でこなしている我々の労働の上で成り立っている話です。
そんな時間があるなら、こちらの仕事を手伝って欲しいと直訴しましたが、手伝おうとはしませんでした。
Aの下で働く3人の中に2年後輩のBがいました。Bは、わたしらの苦労がわかるので、手伝わないのは悪いと感じているのがわかりました。
ある日、σ(・・)はAに対し、Bが手伝うことを許可して欲しいと依頼しました。
それに対し、Aの回答は「そんな仕事はBにさせない」でした。
この一言でσ(・・)転職を決意しました。
σ(・・)も若かったから、今で言う円満退職ではなかったと思います。
後日、知り合いから会社側に登録されたσ(・・)の転職理由を教えてもらいました。
「遊び好きで、楽な仕事がしたいから」でした。まぁ、そう言えなくもないかな(笑)。
ちなみに、一緒に頑張った2人のうちの1人もσ(・・)とは違う会社に転職しました。
そちらの方は、会社側からかなり引きとめられたらしいです。
σ(^^)全く引きとめられませんでした。ま、どうでもいいですが。
というわけで、最初の転職理由は、「処遇に不満」です。
次に入社した会社は、15年くらい居たでしょうか。結果としては、一番長く在籍しました。
最初は順調に働いていましたが、5年くらいしたときに就任した重役Cとのソリがあいませんでした。
一言で言えば、勉強していないのにえらそうなことを言う。σ(-_-;)反論しても、勉強していないから理解できず、感覚だけで意見をいう。
感覚による意見は、論拠がないから、議論になりません。
結局、あるプロジェクトで大喧嘩をしてしまいました。ま、サラリーマンとしてはσ(^^)失格ですね。
以降、派遣の仕事が増え、会社に居ることは激減しました。
インドネシアに行ったのもこの時期です。
決定的だったのは、かつての同僚でこの会社を転職していった社員Dが、再就職してきて私の上司になったことです。
Dとは仲が良く、一緒に良く飲みましたし、優秀でしたから、また同じ会社で働けるのは喜ばしかったですが、辞めずに働いている
かつての同僚社員である私の上司に据えるのは、ありえないでしょう?!
まぁ、その後も派遣で社外に出ていることがほとんどだったので、自分の上司が誰だか意識することは少なかったのですが、Dを雇用し
上司のポジションにしたのが、重役Cだったので、例の大喧嘩の報復人事の一部だなぁと思っていました。
それから数年後、重役Cは退任しましたが、σ(・・)の派遣人生は変わりませんでした。
逆に、派遣が終わって、自社に戻っても、仕事を一緒にした人間がほとんどおらず、居場所がない感じで、次の派遣先を待っているような働き方でした。
そんなとき事件が起きました。会社が買収されると社内発表されたのです。
買収会社は、現社員全員をグループ会社内で引き続き雇用するとのことでした。
ただし、転職したい社員についても、その手助けを現会社が行うとのことでした。
多くの社員が動揺しましたが、それなりの職位にいた方々は、買収会社に異動を選択しました。
実力のある若手は、転職を選ぶ人もそれなりにいたと思います。
σ(^^)は現会社の評価が買収会社に引き継がれ、ろくなことにならないと考え、転職することにしました。
ということで、2度目の転職理由は、「評価が低い会社で、買収が発生したから」ですかね。
転職先については、会社が親身になってくれました。
重役Cによる処遇を異常に感じている方が、社内におられたおかげだと思います。
これまでの2社とは、全く業界が異なりましたが、これまでの経験が活かせる職場だったので、決めました。
この会社の仕事で常陸大宮市に出張していました。
ところが今度はその会社が買収されてしまいました。
ほとんどの社員は、日経新聞朝刊で買収の事実を知り、その日の朝は騒然としていました。
今回も、買収会社がほぼ全社員を雇用するとの話でした。
ただし、σ(^^)は転職して在籍期間が短いせいか、条件がつきました。
この時点で転職を選択することも可能でしたが、買収会社に興味があったので可能な限り、在籍することにしました。
というわけで、3度目の転職理由は、「買収されたまま、買収先に転職」です。
このときの買収の際、大量の有用なごみが出て、パソコンやら時計やらを自宅に持ち帰ったのでした(笑)。
というわけで、条件付きで転職しましたが、買収メリットをあげるには、管理部門が2社分ある無駄を排除する必要があります。
途中1年延長してくれましたが、タイムリミットがきてしまいました。
というわけで、4度目の転職理由は、いわゆる「リストラ」ですね。
世の中、リストラされたっていうとショックでしょうが、なんだかもう転職慣れしてしまいました。
運よく、前任者が退職予定で後任を探している会社にめぐり合い、お世話になることができました。
この通算5社目の会社が、一番σ(^^)を評価してくれたように思います。
上司となった役員が、とてもかわいがってくれました。そのまま勤めていて、功をなせば役員に抜擢されそうな勢いでした。
しかし、残念なことに、父が亡くなり、実家に戻ることを決意し、退職しました。
期待されていた分、結果として一番迷惑をかけてしまったのかもしれません。
そうして、実家に戻って父の遺した家業をほそぼそと継続しようと思ったところ、かみさんがそれを許してくれませんでした。
声をかけてくれた会社にお世話になることになり、現在に至ります。
5度目の転職理由は、「老親介護」といっていいでしょう。
現在の会社の仕事は、これまで経験した中では、一番残念な内容であり、直前の会社での期待のされ方と比べたら、月とスッポンです。
ま、いろいろありましたけど、典型的転職理由の多くを経験したといえそうです(笑)。
といっても、転職市場は転職希望者がいないと商売あがったりですから、話半分で聞かないとダメですが。
ネットで、転職理由のランク付け記事がでていました。転職理由なんて、人それぞれじゃん!と思いましたが、世相を反映しているのかも知れません。
というわけで、自分の転職理由をまとめてみました。
最初の転職理由は、仕事の割り振りに対する不満でした。
当初は5人の職場でした。サービス残業は当たり前で、もし現代ならば行政指導が入るレベルでした。
しかしながら、それだけ働いても、仕事は後手後手にまわり、苦戦していました。
そこで責任者は、ものすごい決断をしました。5人でやっていた仕事を2人で行い、他の3人は先手先手の仕事を行うものでした。
5人でやっていても一人当たり月100時間レベルのサービス残業が発生していた仕事です。2人で行うのは、殺人的でした。
σ(・・)はその2人のうちの1人でした。
それでも、後手後手で仕事を行うのではなく、先手をうつことが大切であることは職場の共通認識だったので、我慢して仕事を続けました。
この頃は、会社にいるか、寮に寝に帰っているかの生活でした。TV番組やヒットソングなど、この時期のものは、ぽっかり欠落しています。
先手先手の仕事を指示する責任者には、所属部署に配属経験のあるAが特命でやってきました。
3人を引き連れて、先手先手の仕事をやっていきました。それについては文句ありませんでした。むしろ望ましいことでした。
しかし、月日が経過するにつれて、様子が変になりました。
Aは、若い頃σ(・・)以上にサービス残業をしていたそうです。そして、そんな働き方に疑問を持っていたようです。
先手仕事が軌道に乗ると、Aが理想に思う働き方を具現化しはじめました。
それは、放課後は職場仲間で勉強会を行う。レクリエーションをする。休みにはゴルフに行く。労働すべき時間以外を人生に有効に活用する生き方です。それは羨ましい働き方でした。
しかし、それは5人の仕事量を2人でこなしている我々の労働の上で成り立っている話です。
そんな時間があるなら、こちらの仕事を手伝って欲しいと直訴しましたが、手伝おうとはしませんでした。
Aの下で働く3人の中に2年後輩のBがいました。Bは、わたしらの苦労がわかるので、手伝わないのは悪いと感じているのがわかりました。
ある日、σ(・・)はAに対し、Bが手伝うことを許可して欲しいと依頼しました。
それに対し、Aの回答は「そんな仕事はBにさせない」でした。
この一言でσ(・・)転職を決意しました。
σ(・・)も若かったから、今で言う円満退職ではなかったと思います。
後日、知り合いから会社側に登録されたσ(・・)の転職理由を教えてもらいました。
「遊び好きで、楽な仕事がしたいから」でした。まぁ、そう言えなくもないかな(笑)。
ちなみに、一緒に頑張った2人のうちの1人もσ(・・)とは違う会社に転職しました。
そちらの方は、会社側からかなり引きとめられたらしいです。
σ(^^)全く引きとめられませんでした。ま、どうでもいいですが。
というわけで、最初の転職理由は、「処遇に不満」です。
次に入社した会社は、15年くらい居たでしょうか。結果としては、一番長く在籍しました。
最初は順調に働いていましたが、5年くらいしたときに就任した重役Cとのソリがあいませんでした。
一言で言えば、勉強していないのにえらそうなことを言う。σ(-_-;)反論しても、勉強していないから理解できず、感覚だけで意見をいう。
感覚による意見は、論拠がないから、議論になりません。
結局、あるプロジェクトで大喧嘩をしてしまいました。ま、サラリーマンとしてはσ(^^)失格ですね。
以降、派遣の仕事が増え、会社に居ることは激減しました。
インドネシアに行ったのもこの時期です。
決定的だったのは、かつての同僚でこの会社を転職していった社員Dが、再就職してきて私の上司になったことです。
Dとは仲が良く、一緒に良く飲みましたし、優秀でしたから、また同じ会社で働けるのは喜ばしかったですが、辞めずに働いている
かつての同僚社員である私の上司に据えるのは、ありえないでしょう?!
まぁ、その後も派遣で社外に出ていることがほとんどだったので、自分の上司が誰だか意識することは少なかったのですが、Dを雇用し
上司のポジションにしたのが、重役Cだったので、例の大喧嘩の報復人事の一部だなぁと思っていました。
それから数年後、重役Cは退任しましたが、σ(・・)の派遣人生は変わりませんでした。
逆に、派遣が終わって、自社に戻っても、仕事を一緒にした人間がほとんどおらず、居場所がない感じで、次の派遣先を待っているような働き方でした。
そんなとき事件が起きました。会社が買収されると社内発表されたのです。
買収会社は、現社員全員をグループ会社内で引き続き雇用するとのことでした。
ただし、転職したい社員についても、その手助けを現会社が行うとのことでした。
多くの社員が動揺しましたが、それなりの職位にいた方々は、買収会社に異動を選択しました。
実力のある若手は、転職を選ぶ人もそれなりにいたと思います。
σ(^^)は現会社の評価が買収会社に引き継がれ、ろくなことにならないと考え、転職することにしました。
ということで、2度目の転職理由は、「評価が低い会社で、買収が発生したから」ですかね。
転職先については、会社が親身になってくれました。
重役Cによる処遇を異常に感じている方が、社内におられたおかげだと思います。
これまでの2社とは、全く業界が異なりましたが、これまでの経験が活かせる職場だったので、決めました。
この会社の仕事で常陸大宮市に出張していました。
ところが今度はその会社が買収されてしまいました。
ほとんどの社員は、日経新聞朝刊で買収の事実を知り、その日の朝は騒然としていました。
今回も、買収会社がほぼ全社員を雇用するとの話でした。
ただし、σ(^^)は転職して在籍期間が短いせいか、条件がつきました。
この時点で転職を選択することも可能でしたが、買収会社に興味があったので可能な限り、在籍することにしました。
というわけで、3度目の転職理由は、「買収されたまま、買収先に転職」です。
このときの買収の際、大量の有用なごみが出て、パソコンやら時計やらを自宅に持ち帰ったのでした(笑)。
というわけで、条件付きで転職しましたが、買収メリットをあげるには、管理部門が2社分ある無駄を排除する必要があります。
途中1年延長してくれましたが、タイムリミットがきてしまいました。
というわけで、4度目の転職理由は、いわゆる「リストラ」ですね。
世の中、リストラされたっていうとショックでしょうが、なんだかもう転職慣れしてしまいました。
運よく、前任者が退職予定で後任を探している会社にめぐり合い、お世話になることができました。
この通算5社目の会社が、一番σ(^^)を評価してくれたように思います。
上司となった役員が、とてもかわいがってくれました。そのまま勤めていて、功をなせば役員に抜擢されそうな勢いでした。
しかし、残念なことに、父が亡くなり、実家に戻ることを決意し、退職しました。
期待されていた分、結果として一番迷惑をかけてしまったのかもしれません。
そうして、実家に戻って父の遺した家業をほそぼそと継続しようと思ったところ、かみさんがそれを許してくれませんでした。
声をかけてくれた会社にお世話になることになり、現在に至ります。
5度目の転職理由は、「老親介護」といっていいでしょう。
現在の会社の仕事は、これまで経験した中では、一番残念な内容であり、直前の会社での期待のされ方と比べたら、月とスッポンです。
ま、いろいろありましたけど、典型的転職理由の多くを経験したといえそうです(笑)。
18歳、高卒で就職、1年で退職を決意、二十歳までの1年で貯えをして、その軍資金で、成人と当時に外の世界を見たくなった・・・
何も見つからなかったら、大工か左官の職人になるつもりだった。
景気の良い時期で、高卒でも大手の就職先は結構あり、1年間、サラリーマン生活をして、自分に向いてないことが判明、好奇心も手伝って退職。
退職届を提出、其の時の役員さんが、会社の取引先でもある店舗で後継者を探しているそうだが、君はどうかね?
当時の私の夢、おぼろげに一国一城の主が目標でもあり、今思えば、その時が人生の岐路でした。
それから、今に至っています。(結構苦労しました)
転職を繰り返してきた方達を見ると、精神的な免疫力の強さを感じます、私には眩しくて、尊敬に値する。
今になっては、違う仕事もしたくなって、この仕事を80くらいまでして、それから再就職できませんかね・・・「道地の駅」が好きで、そんな所で仕事出来たら最高です。
と、妄想をしていますが、そんな人生設計をしていると、いつかそうなるようです?
宝くじも買わないと当らない!のと一緒で、理想も妄想も、思ったり、話したり、書いたりしないとそこには行けそうもありません、人生もそうだと思います。
まあ、大それた妄想でもありませんが(笑)!
ほんのり甘いかりんとう、苦いコーヒーはいいですよ。
>おぼろげに一国一城の主が目標でもあり、
一国一城の主として後継者を選択されたのですね。
>転職を繰り返してきた方達を見ると、精神的な免疫力の強さを感じます
今回、整理してみて、自分の意志は、最初と最後しかないことに気がつきました。
他は、企業買収だったり、リストラが原因で、変わらざるをえませんでした。
それで、転職回数が多い割りに、精神的には弱い私です。
>違う仕事もしたくなって、この仕事を80くらいまでして、それから再就職できませんかね・
すごいです。トトさん、働きたいんですねぇ。
私は隠居したいです。隠居してやりたいことをしたい。
やりたくないことは少しでいいです。
トトさんは今の仕事も楽しんで取り組めるから80くらい継続されるのでしょう。
お金のためだけでは、とても80まで続かないと思います。
>、そんな人生設計をしていると、いつかそうなるようです?
同感です。こうなるだろうなぁ・・・とか、こうするしかないかなぁとか思っていると、ホントにそうなります。
想念というか願いというか・・・。
自分も豊かな将来を夢見て、今は将来のためにできることをやっていこうと。
>ほんのり甘いかりんとう、苦いコーヒーはいいですよ。
日本人の楽しみ方ですよね。
インドネシアは甘甘のコーヒーまたはお菓子に、火のでるような激辛唐辛子の組み合わせが好まれます。
そちらもいかが?