快読日記

日々の読書記録

読書中『「思いやり」という暴力』中島義道

2016年03月01日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
2月29日(月)

常にその場の空気を読んで自分の言動を決める、主張しない、思いを口にしない、という暗黙のルールが支配する「世の中」は、小学校ですでに始まっていたと思う。
一方で“曖昧な態度はよくない。YESかNOかはっきりしない日本人は外国人に誤解される。しっかり意思表示できる国際人たれ”という教育も確かにあった。
しかし、今思えばあれは建て前だった。
純朴な小学生だったから“将来はそう変わっていくんだ!”とぼんやり信じていたのだ。
30年経ってもそういう日本社会の体質は全く変わらないどころか悪化している--『「思いやり」という暴力』(中島義道/PHP文庫)を読みながらつくづく思った。

「言葉を尊重しない・信頼しない」(90p)日本人は「対話」を避け、空気読みに労力を費やし、“言葉を与えられなかった思い”は飲み込まれたまま胸に溜まり腐敗して爆発する。

「ウソでもいいから、すべて正確な言葉にしなさい」(42p)

しっかり言葉にする訓練を幼いころからしていればモヤモヤも軽減するし、若い人にかぎらず中年も年寄りも救われるはずだ。
自殺者も減ると思う。

“空気読み”とか“しがらみ”にがんじからめになり、さらに無神経なことにはその自覚もなく、なんなら居心地のよさすら感じている老若男女の善人たちを糾弾する中島義道のこの主張は、ひろさちやと同じだ。

哲学の中島義道と、仏教のひろさちや、真反対のようで実はものすごく共通点が多い(もちろん決定的に違うところはある)…ということを改めて確認して寝る。
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