《6/12読了 弦書房 2011年刊 【日本のエッセイ】 むらた・きよこ(1945~)》
この表紙の兎の彫刻(土屋仁応「兎」)、
村田喜代子本人の所蔵なんだそうで、
なんだかとろんとしていて、なまめかしくて、
かわいいんだけど怖い、怖いんだけど惹きつけられる。
そして、タイトルからして、あぁ 村田喜代子だなあというかんじ。
わたしたちはどこか遠くからつかの間この世を訪れた客にすぎないから。
人も犬も猫も松の木も恐竜も、
滞在時間に若干の差とズレがあるだけで、みんな同じだ。
この世に来る前にいた場所に、いつかは帰るから。
村田喜代子の小説は、なんだかそういう輪廻みたいなものを思い起こさせる。
で、このエッセイ集は、そんな彼女の頭や胸の中の断片がかき集めてある福袋みたいな本。
大河内昭爾氏との対談では、完全に文学少女に戻っていてかわいらしいし、
いくつかの書評と、いくつかの名画(絵)鑑賞もおもしろかった。
とくに、人間の女と犬が混ざった絵(奥山民枝「犬になった日」)なんて、夢に出てきそう。
毛は生えておらず、しっとりした肌なのがまた何ともいえない。
村田喜代子って、実際に目にした現実から一気に想像の世界に飛躍する、その飛距離は何万光年もあって、そのスピードは気が遠くなるほど。
だから、読む度にちょっと酔ってしまいます。
/「この世ランドの眺め」村田喜代子
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この表紙の兎の彫刻(土屋仁応「兎」)、
村田喜代子本人の所蔵なんだそうで、
なんだかとろんとしていて、なまめかしくて、
かわいいんだけど怖い、怖いんだけど惹きつけられる。
そして、タイトルからして、あぁ 村田喜代子だなあというかんじ。
わたしたちはどこか遠くからつかの間この世を訪れた客にすぎないから。
人も犬も猫も松の木も恐竜も、
滞在時間に若干の差とズレがあるだけで、みんな同じだ。
この世に来る前にいた場所に、いつかは帰るから。
村田喜代子の小説は、なんだかそういう輪廻みたいなものを思い起こさせる。
で、このエッセイ集は、そんな彼女の頭や胸の中の断片がかき集めてある福袋みたいな本。
大河内昭爾氏との対談では、完全に文学少女に戻っていてかわいらしいし、
いくつかの書評と、いくつかの名画(絵)鑑賞もおもしろかった。
とくに、人間の女と犬が混ざった絵(奥山民枝「犬になった日」)なんて、夢に出てきそう。
毛は生えておらず、しっとりした肌なのがまた何ともいえない。
村田喜代子って、実際に目にした現実から一気に想像の世界に飛躍する、その飛距離は何万光年もあって、そのスピードは気が遠くなるほど。
だから、読む度にちょっと酔ってしまいます。
/「この世ランドの眺め」村田喜代子
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