《6/9読了 講談社+α文庫 2009年刊(講談社より2008年に刊行された「オーラの素顔 美輪明宏のいきかた」に一部加筆・修正して文庫化) 【ノンフィクション】 とよだ・まさよし(1966~)》
本屋では平積みになっている「美輪様本」だけど、いわゆる自叙伝となると、美輪明宏が33歳のとき(1968年)に刊行された半生記「紫の履歴書」だけ。
意外なことに、第三者が書いた客観的な評伝が1冊も出ていない!という「まえがき」の指摘にハッとして、つい購入。
実はわたしもいわゆる「美輪信者」だったんです。
何がきっかけだったかは忘れましたが、本はもちろん、音楽会、お芝居とすっかり「きゃー! 美輪様v」だったわけです。
あの江原某と「オーラの泉」に出るまでは。
江原氏を信じるくらいなら泉アツノ(こんなんでましたけど~の人。懐かしい)の方がマシじゃ!とテレビに毒づいておりました。
では完全に「脱・美輪様」したかというと全然そうではない、そんなわたしが求めていたのも「評伝」なわけです。
前置きが長くなりました。
感想を一言で言えば「いまいち期待はずれ」です。なんだか淡泊で。
筆者は美輪自身にもインタビューを重ね、関わりのあった多くの人たちに取材し、物故者に関しては彼らが残した資料にあたり、確かに公平かつ冷静な作品にはなっています。
美輪ファンなら誰でも知っている初恋の相手「アポロ」氏の現在を追い、コメント(これが切ない)を取ってきているのもすごい。
でもなんだか全体的にコクがないんですよね、この本。
「オーラの泉」の出演を依頼されたとき、美輪自身が霊能者のポジションにつくのではなく、そこに江原氏を推したという老獪さを指摘したところがありますが、こういう部分をもっと書いてくれてもいいのでは?
あらゆる面をもっとグイグイ調べてよ~!!美輪様が嫌がるようなところまで掘り下げてよ~!!と注文したい。
身も蓋もない言い方かもしれないけど、
美輪様は、40をちょいと過ぎたあたりの若い筆者の手には到底負えない「怪物」なんだろうなあ、というのがわたしの結論です。
あとがきで、筆者が真剣に美輪明宏との親密な関係を否定しているのがちょっと面白かったです。
/「オーラの素顔」豊田正義
このブログに投票してやってもいいよ
本屋では平積みになっている「美輪様本」だけど、いわゆる自叙伝となると、美輪明宏が33歳のとき(1968年)に刊行された半生記「紫の履歴書」だけ。
意外なことに、第三者が書いた客観的な評伝が1冊も出ていない!という「まえがき」の指摘にハッとして、つい購入。
実はわたしもいわゆる「美輪信者」だったんです。
何がきっかけだったかは忘れましたが、本はもちろん、音楽会、お芝居とすっかり「きゃー! 美輪様v」だったわけです。
あの江原某と「オーラの泉」に出るまでは。
江原氏を信じるくらいなら泉アツノ(こんなんでましたけど~の人。懐かしい)の方がマシじゃ!とテレビに毒づいておりました。
では完全に「脱・美輪様」したかというと全然そうではない、そんなわたしが求めていたのも「評伝」なわけです。
前置きが長くなりました。
感想を一言で言えば「いまいち期待はずれ」です。なんだか淡泊で。
筆者は美輪自身にもインタビューを重ね、関わりのあった多くの人たちに取材し、物故者に関しては彼らが残した資料にあたり、確かに公平かつ冷静な作品にはなっています。
美輪ファンなら誰でも知っている初恋の相手「アポロ」氏の現在を追い、コメント(これが切ない)を取ってきているのもすごい。
でもなんだか全体的にコクがないんですよね、この本。
「オーラの泉」の出演を依頼されたとき、美輪自身が霊能者のポジションにつくのではなく、そこに江原氏を推したという老獪さを指摘したところがありますが、こういう部分をもっと書いてくれてもいいのでは?
あらゆる面をもっとグイグイ調べてよ~!!美輪様が嫌がるようなところまで掘り下げてよ~!!と注文したい。
身も蓋もない言い方かもしれないけど、
美輪様は、40をちょいと過ぎたあたりの若い筆者の手には到底負えない「怪物」なんだろうなあ、というのがわたしの結論です。
あとがきで、筆者が真剣に美輪明宏との親密な関係を否定しているのがちょっと面白かったです。
/「オーラの素顔」豊田正義
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