快読日記

日々の読書記録

「「カルト宗教」取材したらこうだった」藤倉喜郎

2012年08月23日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
《8/22読了 宝島社新書 2012年刊 【カルト】 ふじくら・よしろう(1974~)》

「あとがき」で筆者も述べているように、サイト(やや日刊カルト新聞)運営のための取材を通して得たカルト団体との交流エピソード集、というかんじ。
潜入ルポみたいなのを期待しているとちょっと肩すかしです。

まず冒頭、(エビと蕎麦しか食べないことで有名なあの人率いる)某団体からの“電波メール”をおちょくる雰囲気に違和感を持ちました。
たしかに笑わずにいられない内容だし、笑うことで対象との距離を保ち、客観的な視点を手放さないことが重要なのはわかるけど、実際に被害を受ける側からしたら笑い事じゃないからなあ、と思うんです。
もう少しゴリゴリと攻めてもらいたいなあ、と。

しかし、“カルトと笑い”の関係について、とても納得した一節もありました。

「人々を笑わせてくれる宗教団体は、それと反比例するかのように、常識と良識と羞恥心を失っている。だからこそ、その裏では常識では予想できない被害が生まれる。(略)宗教団体が素人目に見ても「面白い」ということは、一種の危険信号だ」(40p)

なるほど、自分たちの異常さや滑稽さが完全に見えなくなったら、犯罪まであと一歩かもしれない。
そういう団体や人物を、今までわたしたちはどのくらい見てきたでしょう。
先にあげたエビの人、渦巻き白装束の集団、歌いまくり踊りまくる教祖、仏陀の生まれ変わりを自称する人たち(もう生まれ変わらないから“仏陀”なんだけど…)、空中からSEIKOの腕時計を出すファンキーな手品師など、次々と思い出す。
彼らが登場するたびに、みんなで笑い、恐れ、消費して、忘れ去りました。
そんな中、筆者のように“その後”を監視し、追跡する仕事は大事ですよね。
例えば、オウムの残党の中でも穏健派のような印象があるJ率いる“ひかりの輪”。
サリン事件被害者を支援するNPOに対してアレフが「償い金」を毎年200万円送っている一方で、“ひかり”はたった一度しか入金していない、なんて情報ももっと欲しいです。

今、高校生くらいになると「オウム事件って何?」という状態になっています。
だからカルトは餌食に事欠かないわけです。
それを防ぐには記憶を風化させないこと、しつこく“その後”を追いかけること、名前や顔を変えて襲いかかるカルトをできるだけ早く見つけて世の中に知らしめること。
そんなわけで、筆者の活動は支持したいです。

/「「カルト宗教」取材したらこうだった」藤倉喜郎
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