(平沢峠への道)
注意:横隈山から沢戸への道は不明瞭な上、崩壊地があります。一般の通行は不可です。360.8mの三角点峰から櫓峠にかけては道がありません。コンパス・地形図あるいはGPS機器の使用に慣れた人のみ入山可能です。
荒川左岸の皆野町から北側の山域は北秩父あるいは北武蔵と呼ばれている。城峯山を除けば比較的低い山が多く、代表的な山としては他に破風山や宝登山、鐘撞堂山などがある。「山と高原地図」の西上州版を担当していることで有名な打田鍈一さんが著した山と渓谷社の「分県登山ガイド 埼玉県の山」には北秩父の山として破風山などの著名な山とともに横隈山(よこがいさん)というやや地味な山が選ばれている。地形図「鬼石」を見ると旧児玉町の八殿谷地区と神川町の住居野地区との間に山名の無い593.6mの三角点峰があるのだが、それが横隈山だ。北秩父の山は概してアプローチに難があり、特に横隈山は車道歩きが長くずっと敬遠してきた。しかし古い地形図を見るようになり、古道に興味を持ってみると横隈山に至る途中にある峠道を歩いてみたくなった。そこで分県登山ガイドにもあるように野上駅を出発して出牛峠を越え、平沢峠道を使って横隈山を登る計画を立てた。下山には沢戸地区へと延びている沢道を使い、車道で杉ノ峠を越えた後、櫓峠まで足を延ばす予定だ。
出牛峠越え
朝、小手指駅から電車に乗るとどうにも天気が良くない。確かに週間天気でも曇天続きであった。でも今日はあまり展望を期待する山ではないので、雨にさえ降られなければいい。正丸トンネルを抜けると日向山を眼前に臨む芦ヶ久保駅に着く。以前紅葉の盛りの時期に来たことがあったが、その時に比べるとまだ色付きは進んでいない。西武秩父駅で電車を乗り換え、北へ向かう。秩父盆地を流れる荒川の流れに沿って進む秩父鉄道の車内からは紅葉に彩られた尾根が見えた。長尾根の向こうに見えたところからするとおそらく皆野アルプス辺りだろう。以前訪れたときも広葉樹の多い尾根だと思っていたので、新緑や紅葉の時期はさぞ美しいことだろうなとは思っていた。電車はやがて宝登山を巻いて野上駅に着く。宝登山や長瀞アルプスも広葉樹林が広がる所ではあるが、皆野アルプスと違って紅葉が進んでいる様子はない。
野上駅で降り、まずは長瀞アルプスの登山口である萬福寺まで歩く。住宅街では地元の人達が町内の一斉清掃を行っていた。なるほど綺麗な街はこうして守られてきたわけだ。見覚えのある萬福寺前までやって来ると真新しい公衆トイレがある。5年前に来たときはこんなものはなかったような気がする。公衆トイレのすぐ先の交差点が出牛へ続く道だ。地形図で見ると広い道のように感じるが、実際はただの二車線道路にすぎない。かなり草臥れた感じのラブホテルを過ぎると正面に鋭鋒が見えてきた。地形図で見た感じでは390.1m峰だろう。ということはその右の低くなっている所が出牛峠ということだ。民家が点在する中野上・犬塚地区に入り、埼玉長瀞ゴルフ倶楽部の看板が立つ分岐で、ゴルフ場方面に進む。沢沿いの舗装路には農地が点在し、その一画にベンチが置かれていた。休みなく歩いてきたので、ここで少し休憩を取る。ゴルフ場へ続く道路ということもあり、通り過ぎるクルマは意外と多い。
(長瀞アルプス観光トイレ)
(中野上地区 出牛峠方面を望む)
(ゴルフ場へ続く道 色付きが進んだ樹もある)
車道を歩き続けているとゴルフ場のクラブハウス入口と書かれた看板が見えてくる。その脇にはクルマが通れそうな砂利道が続いている。開かれたゲートには利用者以外の立入禁止と書かれているので、砂利道が出牛峠への峠道なのだろう。砂利道は林の奥へと続き、しばらくは傾斜が緩く広い道を歩いて行ける。砂利道に入ってから15分ほどで草に覆われた門の前に着く。山と高原地図にも書かれている長瀞高原ビレッジの門だ。道は左に曲がり、沢を渡ると二本の山道が延びている。とりあえず上を目指すのが正解だろうと考え、右のやや急な斜面の道を上がるとロープが張られたしっかりとした踏み跡が延びている。これが峠道で間違いない。周辺は竹林となっていて、この辺りは長瀞高原ビレッジの管理地となっていたのかもしれない。傾斜はそれなりに急な所もあるが、古道らしく概ね歩きやすい。ただ途中切り出された大量の竹が詰まれた中を通り抜ける所があり、パンジステークかと思ってしまった。
(砂利道を行く かつて長瀞高原ビレッジが営業していた頃はクルマが通れたという)
(今でも轍が散見されるほど状態は良い)
(長瀞高原ビレッジ門 峠道はここを左に行く)
(右の踏み跡に入るとこんな道が続く)
(両側の竹は斜めに切られているのでちょっと怖い)
竹林を過ぎると九十九折が続く杉林となる。じめっとした林床にはマムシグサが所々で赤い実を付けていた。この実を見ると如何にも奥武蔵の山にいるなという気分になる。やがて周囲が広葉樹林へと変わると車道が乗り越す出牛峠(じうしとうげ又はじゅうしとうげ)に出る。風情はないが、広葉樹が色付き始めていて、雰囲気はそれほど悪い所ではない。峠から北へ車道を上がると東の谷からちょっとした眺めも得られる。曇天なので近くにある大平山くらいしかわからないが、キラキラと光る金属の反射が見られたので思ったよりも遠くの山まで見えているのかもしれない。
(マムシグサ 有毒)
(峠が近づくと広葉樹林へと変わる)
(出牛峠)
(峠から少し車道を上がった所に展望地がある 正面の平たい尾根が大平山)
出牛へも良く踏まれた道が延びている。少し下ると古びた石の道標がある。「左 山道 右 野上樋口道」と彫られているが、山道と示されている方は道形のようなものはあるものの、藪に覆われて廃道状態である。広葉樹林から杉檜の林に変わる辺りには石垣で道に補強を施した所がある。こうした道普請の跡が見られるのも古い峠道を歩く醍醐味だ。小さな梅林が現れると出牛地区は近い。沢沿いを緩やかに下ると出牛地区に着く。「山と旅への招待」の馬場直之さんによると江戸から明治にかけては遊郭のある大きな宿場町だったという。現在の地図を見ても秩父盆地から群馬県や本庄市へ抜けるには日野沢川や小山川によってできた谷間を抜けていくのが道を作る上で都合が良かったことは想像に難くない。大正時代の大火によって宿場町の面影は全て失われてしまったそうだが、現在立ち並ぶ民家の中にはうどん屋や酒屋、饅頭屋など商店があり、それなりの賑わいを残している辺りがかつて栄えた宿場町を偲ばせる光景だ、ともいえる。
(出牛地区への道 右下に道標がある)
(石の道標)
(古い峠道を歩くとついこういう石積みに興味を惹かれる)
(概ね歩きやすい峠道)
(出牛地区を見下ろす 神社前から撮影)
(出牛地区)
(西福寺 観光目的のお寺ではないようだ)
平沢峠を登って横隈山へ
県道前橋長瀞線を北に進み、本庄市の看板が見えてくると横畑地区に入る。光福寺に通ずる道を見送ると平沢(たいらざわ)地区へと延びる道との分岐がある。分岐から横隈山方面を見上げるが、手前の尾根に邪魔されて山頂部は見えない。地形図で見た限りではかなり特徴的な山であるが、皆野町方面からその山容を拝むのは意外と難しいのかもしれない。登山者用の駐車場がある集会場を過ぎると道は徐々に傾斜を増していく。奥の平沢地区までは舗装路が続き、底の硬い山靴では厳しい道だ。本庄市のデマンド交通の平沢下停留所を過ぎてから更にしばらく登るとようやく集落らしき開けた所が現れる。奥に見える台形の山が横隈山だろうか。麓の横畑地区に比べると民家が点在する平沢地区ではあるが、どのお宅にもナンバー付きのクルマが停められていて、生活が営まれているようだ。
(横畑地区の集会場前は登山者用の駐車場となっている)
(石碑群 管理を容易にするためなのかこうして集められていることが多くなった)
(屋根が特徴的な民家 養蚕に使われていたのだろう)
(平沢(上)地区 奥の台形が横隈山と思われる)
老夫婦が手入れをしている山間の畑を過ぎると平沢配水場がある平沢峠の登山口に着く。カウンターが置かれていたのでレバーを押していく。何時からのカウントなのかは不明だが、ボクは71人目とのことだ。地形図を見るとこの登山口から峠まで距離は短いが、その分沢が複雑に入れ込んでいるのもわかる。馬場直之さんが歩いた頃はわかりにくい道だったようだが、現在はどうなっているのだろう。カウンター脇の明瞭な道を進む。沢を高巻く道で特にわかり難くはない。涸れ沢となり、小さな谷の分岐に差し掛かると道は谷間を縫うように進んでいく。奥武蔵の峠道はあちこち歩いているが、これはなかなか珍しい道だ。奥武蔵の峠道は大抵主たる沢沿いに付けられていて、詰めは斜面を九十九折に上がることが多い。しかしこの峠道は更に谷を奥へ奥へと詰めていくのだ。道には下草がかかる所も多いが、崩壊しているような所はなく、歩きやすい。ひたすら杉林を登っていると道標の立つ峠に出る。傍らには古い石の道標もあり、来し方は「本泉村平沢」、峠の反対側は住居野を示している。一方尾根方向には北は「若泉村を経て鬼石」、南は「金澤村更木」と彫られている。現在は平沢からの峠道と尾根道しか残されていないが、古い地形図を見る限りではこの先の住居野・沢戸を結ぶ峠道に接続する形で住居野へ下りる道もあったようだ。
(平沢峠登山口 道は明瞭だった)
(傾斜が緩いうちは沢を高巻いていく 一箇所崩落している所があるが通れないほどではない)
(入り組んだ沢を抜けていく ここは奥へ進んだ後で右の斜面を九十九折に登る)
(こうした沢沿いの道は奥武蔵では珍しい)
(この辺りまで来ると峠は近い)
(平沢峠)
(峠の道標)
横隈山へは「若泉村を経て鬼石」と書かれた方へ進むことになる。比較的傾斜の緩い尾根で、神川町側は杉檜の林、本庄市側は明るい広葉樹林となっている。色付きが大分進み、あと1週間もすれば紅葉は盛りを迎えるだろう。左手に伐採地が見えてくると東に延びる尾根と伐採地の小ピークとの鞍部に着く。東へ続く尾根には明瞭な踏み跡がある。「山の写真集」の金森康夫さんは尾根道を沢戸地区へ続く道と予想しているが、ボクは後に違うルートで沢戸へ下ることになる。伐採された小ピークに上がると頭上のガードレールまで伐採地が広がっているのが見える。眼下には林道が通っており、「画廊天地人」のyasuhiroさんによると住居野へ下る山道に接続しているとのことだ。伐採地脇の道は傾斜が急な上、下草が繁茂し歩き難い。ガードレール脇まで登りきってもまだ道は続いているが、見晴らしの良い林道に出て休憩を取る。伐採地上の林道は南西に開けており、右端には台形に盛り上がった神山が顕著だ。そこから奥の尾根を左に上がっていくとアンテナの立つ城峯山がある。城峯山から左へは鐘掛城・奈良尾峠・風早峠へと尾根が連なり、手前には平沢峠から風早峠へと連なる尾根の途中に採掘場があるのもわかる。
(本庄市側は広葉樹林が広がる)
(東へ延びる踏み跡は木で通せんぼしてある)
(伐採された小ピークから ガードレールが見える 左下に見えるのが住居野へ続くと思われる林道)
(展望の良いガードレールで一息入れる)
(右端に見えるのが神山 背後の尾根の最初の高まりが城峯山 手前に見える尾根は平沢峠から風早峠へと通じている)
(伐採地の辺りは紅葉が大分進んでいる)
道を戻り、藪っぽいトラバース道を上がると山頂へ続く尾根に出る。岩に突き刺さるように武尊大権現の石碑が置かれている以外は特に見所はない。北側の眺めが良いとのことであったが、気が付かなかった。山頂へはフラットな広い尾根が延びており、緩やかに登ると横隈山の頂上(593.6)に出る。三角点と標柱以外は何もなく、北側がちょっと開けて神流川と鬼石の街並みが見下ろせるだけだ。とはいえ、この神流川を見下ろせるというのがこの山の名とも関係しているのではないかと思う。「よこがいさん」という名は周囲が切り立った山容からして要害山が訛ったものであると推測される。しかも軍事上重要な鬼石の街と神流川を見下ろせる位置にあるとあっては物見など何らかの軍事拠点に使われたとしても不思議ではない。もちろん記録等には残されていないので、全くの個人的な想像にすぎないのだが。
(武尊大権現の石碑 この辺りから見晴らしが良いとのことだがよくわからなかった)
(山頂へはフラットな尾根が続く)
(横隈山頂上 写真に写るザックも購入から10年以上経ってしまった)
(山頂から鬼石・神川の街を見下ろす)
沢戸地区へ危険な道を下る
山頂に着いたのが早かったこともあり、のんびりカップラーメンを作って昼食を取る。山頂を辞したのは11時を少し回ったくらいだった。予定通り沢戸地区へと下ってみよう。往路を戻り、ガードレール下の伐採地の小ピークとの鞍部にやって来た。古い地形図を見るとここを沢戸と住居野を結ぶ峠道が越えており、眼下の林道はこの峠道であったことが推測される。沢戸へは縦走路脇に薄い踏み跡があり、そこを進むとピンクテープのマーキングがある。更に沢の源頭へ下りると回り込んで左岸を高巻くように踏み跡が付いている。これで一応沢戸から峠道が上ってきているのは間違いないようだ。問題はこの道が現在も維持されているかどうかだ。以前館川ダム周辺を歩いた際、七重峠から栗山へ峠道を下ったことがあるのだが、その際は比較的傾斜が緩やかだったこともあり、沢の中を渡渉しながら下っていくことができた。しかし今下ろうとしている沢はかなり傾斜が急で、沢の底に下りて下るのは無理だろう。そうなるとこの高巻きの道が維持されていない限り下るのは難しくなる。
(伐採地脇の藪で咲くアザミ)
(やはりこの辺り紅葉が綺麗)
(この辺りから左に薄い踏み跡がある)
(ピンクテープのマーキングがある)
(沢の源頭 ここを回り込むと再びマーキングがある)
(左岸に付けられた高巻の道 右岸に渡ることは無い点に注意)
とりあえず危険なようなら戻ることにして、高巻きの道を下り始める。通る人がいないせいか下草は繁茂しているが、踏み跡自体はしっかりしている。マーキングも点在しているほか、送電鉄塔管理用の黄色いポストもある。ということは鉄塔管理道(の一部)になっているということだろう。下るにつれて道がはっきりとし、安心しきっていると左岸の河原が広がって踏み跡が消えてしまう。歩きやすい所を下っていくが、あまり沢の底に近づきすぎても危険だ。左岸の斜面に目を凝らしながら歩いていると高巻きの道を見つける。これでもう大丈夫だろうと安心していると今度は道が崩壊している。距離にすれば5mほどだが、切り立った斜面だ。幸い沢の底までは3~4mといった高さで、崩壊地の下にも杉の木がしっかりと植わっており、これを伝って何とか突破できそうだ。ずるずると尻を付いて斜面を下り、杉の木伝いにトラバースする。何とか高巻きへ復帰できた。
(鉄塔管理用ポストが立つ)
その後は特に危険な箇所はなく、やがて沢が右手に反れていくと鞍部に出る。ここは横隈山と送電線が通る416m峰との鞍部だ。馬場直之さんは横隈山頂上から直接北東に延びる尾根を下ったというが、この鞍部の辺りで峠道に合流したのではないかと推測される。鞍部を越えると再び沢道となるが、傾斜はだいぶ緩やかになった。鉄塔管理用ポストがある辺りで右に曲がるとクルマが通れそうな広い未舗装路に変わる。その先は使われていなさそうな民家がある。ここまでくればもう安全だろう。未舗装の道もすぐに舗装路へと変わり、暗い林を抜けると民家の点在する沢戸地区に下りてくる。峠からここまで30分弱であるからかなりの短縮にはなったが、崩壊地を直さない限りはエスケープルートとして使うのは困難だろう。
(写真ではわかり難いが正面が416m峰 右手のかなり下のほうに沢が流れている)
(横隈山と416m峰の鞍部)
(横隈山を見上げる 杉が生えた辺りもかなりの急傾斜だがその上部は下からだと垂直に見える)
(鞍部を越えれば緩やかな坂が続く)
(林道のような道を進むと沢戸地区の上部に出る)
(沢戸地区の合祀された神社)
杉ノ峠を越えて櫓峠へ
沢戸地区は神川町と本庄市児玉町の境近くにある集落で、ちょうど境になっている杉ノ峠を越えれば神川町そして藤岡市鬼石へと下りていくことができる。この道は出牛~横畑区間でも歩いた県道前橋長瀞線であり、明治の中頃には車馬が通れるものとして整備されていたという。現在でもこの道を行き交うクルマは多く、歩道のない車道をヒヤヒヤしながら歩く。緩やかに登った先の頂上が杉ノ峠(294)だ。車道が越える峠となってからも杉ノ峠の少し南から下阿久原へ下る道だけがあったようだ。その道も埼玉国際ゴルフカントリーの建設によって完全に消失してしまった。
(杉ノ峠 右に上がる道が続いていた)
風情の無い峠を越え、山間の車道を下っていくとゴルフ場を見下ろせる展望地がある。手前に見える尾根の奥には雨降山と御荷鉾山が見える。こうした眺めが得られるだけでも多少の慰めにはなるだろう。展望地から少し下ると本庄市児玉町稲沢へと続く市道との分岐がある。この分岐で市道に入り、最後の目的地である櫓峠を目指す。舗装路を上がっていくと360.8mの三角点峰を西から巻く林道が延びている。手元の地形図には無い道だが、地理院地図には道形が載っている。そこでスマホの地図ロイドアプリで確認しながら進むことにした。まずはこの道を使って360.8mの三角点峰を登ってみる。未舗装の林道は草が生え放題で、長いこと使われていないことが窺える。藪を避けつつ進むと360.8mの三角点峰の山頂から南西へ下る尾根の末端に側溝に使われるU字ブロックをひっくり返した踏み台が置かれていた。
(展望地からゴルフ場を見下ろす 尾根の奥は御荷鉾山などが見える)
(右が稲沢へと下る市道)
(左手に林道が延びる)
(林道は藪っぽい 疲れもあってか足を捕られることもあった)
(ここから360.8m峰に登れる)
尾根に上がるとマイナーな山にしては珍しく明瞭な踏み跡が山頂へ向かって延びている。但し標高差90mの急斜面の登りが続くので、決して歩きやすい道とはいえない。山頂直下までやって来ると踏み跡が無くなる。山頂の周りが藪で覆われているせいもあって、薄い踏み跡が北へ向かってトラバースしながら延びている。踏み跡を辿ると北西に延びる尾根に合流する。合流点から一登りで360.8mの三角点峰(三角点名は御嶽 「画廊天地人」のyasuhiroさんによると御嶽山とのこと 平成30年11月19日追記)の山頂に到着だ。いくつかの石碑があり、御嶽信仰との関わりが深いものもあるようだ。山頂は藪と樹木に覆われて、あまり居心地の良い所ではない。
(踏み跡はこんな感じ 山頂近くになるとやや薄くなる)
(阿留摩耶天狗と彫られた石碑 御嶽教との関わりがあるようだ)
(大聖不動尊)
(山頂の石碑)
(三角点 樹木に覆われているのでちょっと狭い山頂だ)
三角点峰からは北へ延びる尾根を伝って櫓峠へ行く予定だったが、山頂直下の傾斜が急すぎて下りることができない。そこで北西に延びる尾根を下ることにした。登ってきた南西の尾根と異なり、こちらは踏み跡が薄い。ただ尾根は明瞭で傾斜もやや緩やかなので、特段歩き難さはない。林道へ下りる所は南西の尾根と異なり、しっかりスロープが切ってあった。またそのまま神流川へ下りる道もあるようだが、こちらはかなり藪っぽい感じだ。再び藪の多い林道を北に進む。すると林道が二手に分かれる。地図ロイドで確認すると左手の道を下るのではなく、そのまま正面の道を進んだ方が櫓峠の頂上は近いようだ。林道は尾根上を進み、やがて藪の中へと消えていく。この先は道の無い尾根を行くしかない。尾根は広葉樹に覆われ、杉檜の林のように整然と立ち並んではいない。木を右に左に避けながら進む。尾根上には黄色い境界標が埋まっているので、これを辿っていけば迷うことはない。
(林道へ下りる所 左下にスロープがある)
(藪に消える林道 左奥へ突っ込んでいく形になる)
(尾根は広葉樹林が広がる)
(黄色い境界標が目印)
前方の鞍部に石仏の後ろ姿が見えてくれば櫓峠(やぐらとうげ 矢倉峠とも書く)の頂上(275)に着く。鞍部は意外に広く、往時はかなりの通行があったのだろう。この峠は鬼石・神川と児玉町稲沢を結んでいた。つまり県道前橋長瀞線から櫓峠へ行くのに通った市道と同じ役割を果たしていたのだ。市道が多く利用されていれば、市道が越える鞍部に櫓峠の名が移され、こちらは旧櫓峠と呼ばれていたのかもしれない。しかし市道は稲沢の住民が使う程度だったせいか、幸いにして櫓峠の名がそのまま残っている。「Pass-Hunting!「峠」の世界」によると稲沢側は緩やかな坂道とのことであったが、かなり藪化が進んでいた。また峠には石仏が二体あるはずなのだが、小さなほうの石仏が無い。周囲を探してみると台座だけが残っていた。斜面を覗いてみると下に落っこちていた。そこで石仏を拾い上げたのだが、これがかなり重い。何とか抱きかかえて台座へと戻した。倒木が当たったせいで下に落ちたのだろう。天辺が少し欠けてしまっていたのが残念だ。
(櫓峠)
(のっぺらぼうの石仏)
(児玉町稲沢側はこんな感じ 通ることは可能だろう)
(神川・鬼石側はいくらか道が良い)
(倒木がぶつかった石仏 上部が欠けている)
神川町へ下る
時計を見るともう13時を回っている。計画書では既にバス停に着いている時間なので、家族が心配しているはずだ。急いで下るとしよう。神川町側の峠道は、傾斜は急だが藪化はそれほど進んでいない。まずは急斜面を九十九折に下っていく。古い峠道はこうした配慮があるから歩きやすい。快調に下っていると突如道が無くなる。いや正確にはトラバースする道はある。だがこれはおそらく藪の多い林道へとつながる道だろう。立ち止まって辺りを見回すとトラバース道の下に藪に隠れた峠道がある。これはちょっとわかり難い。この先は傾斜が緩い所を通っているためか、疲れた身体でも膝が痛くなるようなことはない。ただ藪化がかなり進んでおり、しかも蜘蛛の巣だらけで大きな蜘蛛に何度も驚かされる。奥武蔵の峠道でこんなに不快な目に遭うのは珍しい。それでも峠から20分足らずで登山口へと下りてきてしまった。もう少し整備されれば歩く人も増えるかもしれないが、そもそもハイキング対象となるような山が近くにない。このまま藪に埋もれていくのも致し方ないのかもしれない。
(峠を振り返る まずは九十九折に下っていく)
(この道を探すのにちょっと手間取ってしまった)
(トラバース道合流地点より下はかなり藪化が進んでいた 夏場は地獄だろう)
登山口の向かいには有氏神社があり、そこでザックを下ろして家族に連絡を入れる。それほど心配していなかったようで、ちょっと拍子抜けしてしまった。ここから先はずっと車道歩きなので、もう危険な所はない。北へ緩やかな坂道を登ると谷側が神流川を見下ろす位置に出る。遮るものが何も無く、周囲の山を見渡せる良い展望地になっている。しかし谷側には歩道がないため、意外と交通量の多い車道から写真を撮るのは難しい。この絶景を楽しみたい人は実際に歩いていただきたい。セブンイレブンがある渡戸橋交差点を見送り、車道が大きく二又に分かれる所で左に入る。するとすぐに渡戸バス停に着く。商店であったであろう建物の前には停留所の看板と砂利の広場があり、バスの転回場にでも使われているのだろうか。バスが来るまでまだ20分以上あるので、150m先の神流川水辺公園まで行ってトイレを借りる。売店はないので、飲食物を手に入れたかったらセブンイレブンまで戻るほか無さそうだ。セブンイレブンまで歩くのは面倒なので、バス停へ戻る。定刻通りにやって来たバスに乗り込んだが、丹荘駅に着いても高麗川駅行きの列車は40分以上待たされる。北秩父の山は接続の悪さを含めて、どうにも遠い山という印象が更に強まってしまった。
(有氏神社前から 左端が横隈山辺り)
(渡戸バス停)
(神流川水辺公園へ向かう途中で横隈山を望む)
DATA:
野上駅7:56→8:07萬福寺前(長瀞アルプス観光トイレ)→8:24出牛峠入口(ゴルフ場クラブハウス入口)→8:38長瀞高原ビレッジ門→8:53出牛峠→9:13出牛地区→9:30横畑地区(登山者駐車場)→9:44平沢(上)地区→9:55平沢峠入口→10:14平沢峠→10:23伐採地の小ピーク→10:42横隈山11:07→11:20伐採地の小ピークと横隈山との鞍部(沢戸分岐)→11:47沢戸地区→11:58杉ノ峠→12:09櫓峠分岐→12:33 360.8m峰→13:00櫓峠→13:19有氏神社前(櫓峠入口)→13:34渡戸バス停(朝日バス)丹荘駅
地形図 鬼石
トイレ 萬福寺前(長瀞アルプス入口) 神流川水辺公園(渡戸バス停近く)
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 494円
秩父鉄道秩父線 御花畑~野上 500円
朝日バス 渡戸~丹荘駅入口 380円
JR八高線 丹荘~東飯能 972円
西武池袋線 飯能~小手指 237円
渡戸バス停からは若干距離がありますが、北へ道なりに歩けば「おふろcafe白寿の湯」があります。また丹荘駅前にはソフトクリーム屋があり、列車を待つにはちょうど良いでしょう。
注意:横隈山から沢戸への道は不明瞭な上、崩壊地があります。一般の通行は不可です。360.8mの三角点峰から櫓峠にかけては道がありません。コンパス・地形図あるいはGPS機器の使用に慣れた人のみ入山可能です。
荒川左岸の皆野町から北側の山域は北秩父あるいは北武蔵と呼ばれている。城峯山を除けば比較的低い山が多く、代表的な山としては他に破風山や宝登山、鐘撞堂山などがある。「山と高原地図」の西上州版を担当していることで有名な打田鍈一さんが著した山と渓谷社の「分県登山ガイド 埼玉県の山」には北秩父の山として破風山などの著名な山とともに横隈山(よこがいさん)というやや地味な山が選ばれている。地形図「鬼石」を見ると旧児玉町の八殿谷地区と神川町の住居野地区との間に山名の無い593.6mの三角点峰があるのだが、それが横隈山だ。北秩父の山は概してアプローチに難があり、特に横隈山は車道歩きが長くずっと敬遠してきた。しかし古い地形図を見るようになり、古道に興味を持ってみると横隈山に至る途中にある峠道を歩いてみたくなった。そこで分県登山ガイドにもあるように野上駅を出発して出牛峠を越え、平沢峠道を使って横隈山を登る計画を立てた。下山には沢戸地区へと延びている沢道を使い、車道で杉ノ峠を越えた後、櫓峠まで足を延ばす予定だ。
出牛峠越え
朝、小手指駅から電車に乗るとどうにも天気が良くない。確かに週間天気でも曇天続きであった。でも今日はあまり展望を期待する山ではないので、雨にさえ降られなければいい。正丸トンネルを抜けると日向山を眼前に臨む芦ヶ久保駅に着く。以前紅葉の盛りの時期に来たことがあったが、その時に比べるとまだ色付きは進んでいない。西武秩父駅で電車を乗り換え、北へ向かう。秩父盆地を流れる荒川の流れに沿って進む秩父鉄道の車内からは紅葉に彩られた尾根が見えた。長尾根の向こうに見えたところからするとおそらく皆野アルプス辺りだろう。以前訪れたときも広葉樹の多い尾根だと思っていたので、新緑や紅葉の時期はさぞ美しいことだろうなとは思っていた。電車はやがて宝登山を巻いて野上駅に着く。宝登山や長瀞アルプスも広葉樹林が広がる所ではあるが、皆野アルプスと違って紅葉が進んでいる様子はない。
野上駅で降り、まずは長瀞アルプスの登山口である萬福寺まで歩く。住宅街では地元の人達が町内の一斉清掃を行っていた。なるほど綺麗な街はこうして守られてきたわけだ。見覚えのある萬福寺前までやって来ると真新しい公衆トイレがある。5年前に来たときはこんなものはなかったような気がする。公衆トイレのすぐ先の交差点が出牛へ続く道だ。地形図で見ると広い道のように感じるが、実際はただの二車線道路にすぎない。かなり草臥れた感じのラブホテルを過ぎると正面に鋭鋒が見えてきた。地形図で見た感じでは390.1m峰だろう。ということはその右の低くなっている所が出牛峠ということだ。民家が点在する中野上・犬塚地区に入り、埼玉長瀞ゴルフ倶楽部の看板が立つ分岐で、ゴルフ場方面に進む。沢沿いの舗装路には農地が点在し、その一画にベンチが置かれていた。休みなく歩いてきたので、ここで少し休憩を取る。ゴルフ場へ続く道路ということもあり、通り過ぎるクルマは意外と多い。
(長瀞アルプス観光トイレ)
(中野上地区 出牛峠方面を望む)
(ゴルフ場へ続く道 色付きが進んだ樹もある)
車道を歩き続けているとゴルフ場のクラブハウス入口と書かれた看板が見えてくる。その脇にはクルマが通れそうな砂利道が続いている。開かれたゲートには利用者以外の立入禁止と書かれているので、砂利道が出牛峠への峠道なのだろう。砂利道は林の奥へと続き、しばらくは傾斜が緩く広い道を歩いて行ける。砂利道に入ってから15分ほどで草に覆われた門の前に着く。山と高原地図にも書かれている長瀞高原ビレッジの門だ。道は左に曲がり、沢を渡ると二本の山道が延びている。とりあえず上を目指すのが正解だろうと考え、右のやや急な斜面の道を上がるとロープが張られたしっかりとした踏み跡が延びている。これが峠道で間違いない。周辺は竹林となっていて、この辺りは長瀞高原ビレッジの管理地となっていたのかもしれない。傾斜はそれなりに急な所もあるが、古道らしく概ね歩きやすい。ただ途中切り出された大量の竹が詰まれた中を通り抜ける所があり、パンジステークかと思ってしまった。
(砂利道を行く かつて長瀞高原ビレッジが営業していた頃はクルマが通れたという)
(今でも轍が散見されるほど状態は良い)
(長瀞高原ビレッジ門 峠道はここを左に行く)
(右の踏み跡に入るとこんな道が続く)
(両側の竹は斜めに切られているのでちょっと怖い)
竹林を過ぎると九十九折が続く杉林となる。じめっとした林床にはマムシグサが所々で赤い実を付けていた。この実を見ると如何にも奥武蔵の山にいるなという気分になる。やがて周囲が広葉樹林へと変わると車道が乗り越す出牛峠(じうしとうげ又はじゅうしとうげ)に出る。風情はないが、広葉樹が色付き始めていて、雰囲気はそれほど悪い所ではない。峠から北へ車道を上がると東の谷からちょっとした眺めも得られる。曇天なので近くにある大平山くらいしかわからないが、キラキラと光る金属の反射が見られたので思ったよりも遠くの山まで見えているのかもしれない。
(マムシグサ 有毒)
(峠が近づくと広葉樹林へと変わる)
(出牛峠)
(峠から少し車道を上がった所に展望地がある 正面の平たい尾根が大平山)
出牛へも良く踏まれた道が延びている。少し下ると古びた石の道標がある。「左 山道 右 野上樋口道」と彫られているが、山道と示されている方は道形のようなものはあるものの、藪に覆われて廃道状態である。広葉樹林から杉檜の林に変わる辺りには石垣で道に補強を施した所がある。こうした道普請の跡が見られるのも古い峠道を歩く醍醐味だ。小さな梅林が現れると出牛地区は近い。沢沿いを緩やかに下ると出牛地区に着く。「山と旅への招待」の馬場直之さんによると江戸から明治にかけては遊郭のある大きな宿場町だったという。現在の地図を見ても秩父盆地から群馬県や本庄市へ抜けるには日野沢川や小山川によってできた谷間を抜けていくのが道を作る上で都合が良かったことは想像に難くない。大正時代の大火によって宿場町の面影は全て失われてしまったそうだが、現在立ち並ぶ民家の中にはうどん屋や酒屋、饅頭屋など商店があり、それなりの賑わいを残している辺りがかつて栄えた宿場町を偲ばせる光景だ、ともいえる。
(出牛地区への道 右下に道標がある)
(石の道標)
(古い峠道を歩くとついこういう石積みに興味を惹かれる)
(概ね歩きやすい峠道)
(出牛地区を見下ろす 神社前から撮影)
(出牛地区)
(西福寺 観光目的のお寺ではないようだ)
平沢峠を登って横隈山へ
県道前橋長瀞線を北に進み、本庄市の看板が見えてくると横畑地区に入る。光福寺に通ずる道を見送ると平沢(たいらざわ)地区へと延びる道との分岐がある。分岐から横隈山方面を見上げるが、手前の尾根に邪魔されて山頂部は見えない。地形図で見た限りではかなり特徴的な山であるが、皆野町方面からその山容を拝むのは意外と難しいのかもしれない。登山者用の駐車場がある集会場を過ぎると道は徐々に傾斜を増していく。奥の平沢地区までは舗装路が続き、底の硬い山靴では厳しい道だ。本庄市のデマンド交通の平沢下停留所を過ぎてから更にしばらく登るとようやく集落らしき開けた所が現れる。奥に見える台形の山が横隈山だろうか。麓の横畑地区に比べると民家が点在する平沢地区ではあるが、どのお宅にもナンバー付きのクルマが停められていて、生活が営まれているようだ。
(横畑地区の集会場前は登山者用の駐車場となっている)
(石碑群 管理を容易にするためなのかこうして集められていることが多くなった)
(屋根が特徴的な民家 養蚕に使われていたのだろう)
(平沢(上)地区 奥の台形が横隈山と思われる)
老夫婦が手入れをしている山間の畑を過ぎると平沢配水場がある平沢峠の登山口に着く。カウンターが置かれていたのでレバーを押していく。何時からのカウントなのかは不明だが、ボクは71人目とのことだ。地形図を見るとこの登山口から峠まで距離は短いが、その分沢が複雑に入れ込んでいるのもわかる。馬場直之さんが歩いた頃はわかりにくい道だったようだが、現在はどうなっているのだろう。カウンター脇の明瞭な道を進む。沢を高巻く道で特にわかり難くはない。涸れ沢となり、小さな谷の分岐に差し掛かると道は谷間を縫うように進んでいく。奥武蔵の峠道はあちこち歩いているが、これはなかなか珍しい道だ。奥武蔵の峠道は大抵主たる沢沿いに付けられていて、詰めは斜面を九十九折に上がることが多い。しかしこの峠道は更に谷を奥へ奥へと詰めていくのだ。道には下草がかかる所も多いが、崩壊しているような所はなく、歩きやすい。ひたすら杉林を登っていると道標の立つ峠に出る。傍らには古い石の道標もあり、来し方は「本泉村平沢」、峠の反対側は住居野を示している。一方尾根方向には北は「若泉村を経て鬼石」、南は「金澤村更木」と彫られている。現在は平沢からの峠道と尾根道しか残されていないが、古い地形図を見る限りではこの先の住居野・沢戸を結ぶ峠道に接続する形で住居野へ下りる道もあったようだ。
(平沢峠登山口 道は明瞭だった)
(傾斜が緩いうちは沢を高巻いていく 一箇所崩落している所があるが通れないほどではない)
(入り組んだ沢を抜けていく ここは奥へ進んだ後で右の斜面を九十九折に登る)
(こうした沢沿いの道は奥武蔵では珍しい)
(この辺りまで来ると峠は近い)
(平沢峠)
(峠の道標)
横隈山へは「若泉村を経て鬼石」と書かれた方へ進むことになる。比較的傾斜の緩い尾根で、神川町側は杉檜の林、本庄市側は明るい広葉樹林となっている。色付きが大分進み、あと1週間もすれば紅葉は盛りを迎えるだろう。左手に伐採地が見えてくると東に延びる尾根と伐採地の小ピークとの鞍部に着く。東へ続く尾根には明瞭な踏み跡がある。「山の写真集」の金森康夫さんは尾根道を沢戸地区へ続く道と予想しているが、ボクは後に違うルートで沢戸へ下ることになる。伐採された小ピークに上がると頭上のガードレールまで伐採地が広がっているのが見える。眼下には林道が通っており、「画廊天地人」のyasuhiroさんによると住居野へ下る山道に接続しているとのことだ。伐採地脇の道は傾斜が急な上、下草が繁茂し歩き難い。ガードレール脇まで登りきってもまだ道は続いているが、見晴らしの良い林道に出て休憩を取る。伐採地上の林道は南西に開けており、右端には台形に盛り上がった神山が顕著だ。そこから奥の尾根を左に上がっていくとアンテナの立つ城峯山がある。城峯山から左へは鐘掛城・奈良尾峠・風早峠へと尾根が連なり、手前には平沢峠から風早峠へと連なる尾根の途中に採掘場があるのもわかる。
(本庄市側は広葉樹林が広がる)
(東へ延びる踏み跡は木で通せんぼしてある)
(伐採された小ピークから ガードレールが見える 左下に見えるのが住居野へ続くと思われる林道)
(展望の良いガードレールで一息入れる)
(右端に見えるのが神山 背後の尾根の最初の高まりが城峯山 手前に見える尾根は平沢峠から風早峠へと通じている)
(伐採地の辺りは紅葉が大分進んでいる)
道を戻り、藪っぽいトラバース道を上がると山頂へ続く尾根に出る。岩に突き刺さるように武尊大権現の石碑が置かれている以外は特に見所はない。北側の眺めが良いとのことであったが、気が付かなかった。山頂へはフラットな広い尾根が延びており、緩やかに登ると横隈山の頂上(593.6)に出る。三角点と標柱以外は何もなく、北側がちょっと開けて神流川と鬼石の街並みが見下ろせるだけだ。とはいえ、この神流川を見下ろせるというのがこの山の名とも関係しているのではないかと思う。「よこがいさん」という名は周囲が切り立った山容からして要害山が訛ったものであると推測される。しかも軍事上重要な鬼石の街と神流川を見下ろせる位置にあるとあっては物見など何らかの軍事拠点に使われたとしても不思議ではない。もちろん記録等には残されていないので、全くの個人的な想像にすぎないのだが。
(武尊大権現の石碑 この辺りから見晴らしが良いとのことだがよくわからなかった)
(山頂へはフラットな尾根が続く)
(横隈山頂上 写真に写るザックも購入から10年以上経ってしまった)
(山頂から鬼石・神川の街を見下ろす)
沢戸地区へ危険な道を下る
山頂に着いたのが早かったこともあり、のんびりカップラーメンを作って昼食を取る。山頂を辞したのは11時を少し回ったくらいだった。予定通り沢戸地区へと下ってみよう。往路を戻り、ガードレール下の伐採地の小ピークとの鞍部にやって来た。古い地形図を見るとここを沢戸と住居野を結ぶ峠道が越えており、眼下の林道はこの峠道であったことが推測される。沢戸へは縦走路脇に薄い踏み跡があり、そこを進むとピンクテープのマーキングがある。更に沢の源頭へ下りると回り込んで左岸を高巻くように踏み跡が付いている。これで一応沢戸から峠道が上ってきているのは間違いないようだ。問題はこの道が現在も維持されているかどうかだ。以前館川ダム周辺を歩いた際、七重峠から栗山へ峠道を下ったことがあるのだが、その際は比較的傾斜が緩やかだったこともあり、沢の中を渡渉しながら下っていくことができた。しかし今下ろうとしている沢はかなり傾斜が急で、沢の底に下りて下るのは無理だろう。そうなるとこの高巻きの道が維持されていない限り下るのは難しくなる。
(伐採地脇の藪で咲くアザミ)
(やはりこの辺り紅葉が綺麗)
(この辺りから左に薄い踏み跡がある)
(ピンクテープのマーキングがある)
(沢の源頭 ここを回り込むと再びマーキングがある)
(左岸に付けられた高巻の道 右岸に渡ることは無い点に注意)
とりあえず危険なようなら戻ることにして、高巻きの道を下り始める。通る人がいないせいか下草は繁茂しているが、踏み跡自体はしっかりしている。マーキングも点在しているほか、送電鉄塔管理用の黄色いポストもある。ということは鉄塔管理道(の一部)になっているということだろう。下るにつれて道がはっきりとし、安心しきっていると左岸の河原が広がって踏み跡が消えてしまう。歩きやすい所を下っていくが、あまり沢の底に近づきすぎても危険だ。左岸の斜面に目を凝らしながら歩いていると高巻きの道を見つける。これでもう大丈夫だろうと安心していると今度は道が崩壊している。距離にすれば5mほどだが、切り立った斜面だ。幸い沢の底までは3~4mといった高さで、崩壊地の下にも杉の木がしっかりと植わっており、これを伝って何とか突破できそうだ。ずるずると尻を付いて斜面を下り、杉の木伝いにトラバースする。何とか高巻きへ復帰できた。
(鉄塔管理用ポストが立つ)
その後は特に危険な箇所はなく、やがて沢が右手に反れていくと鞍部に出る。ここは横隈山と送電線が通る416m峰との鞍部だ。馬場直之さんは横隈山頂上から直接北東に延びる尾根を下ったというが、この鞍部の辺りで峠道に合流したのではないかと推測される。鞍部を越えると再び沢道となるが、傾斜はだいぶ緩やかになった。鉄塔管理用ポストがある辺りで右に曲がるとクルマが通れそうな広い未舗装路に変わる。その先は使われていなさそうな民家がある。ここまでくればもう安全だろう。未舗装の道もすぐに舗装路へと変わり、暗い林を抜けると民家の点在する沢戸地区に下りてくる。峠からここまで30分弱であるからかなりの短縮にはなったが、崩壊地を直さない限りはエスケープルートとして使うのは困難だろう。
(写真ではわかり難いが正面が416m峰 右手のかなり下のほうに沢が流れている)
(横隈山と416m峰の鞍部)
(横隈山を見上げる 杉が生えた辺りもかなりの急傾斜だがその上部は下からだと垂直に見える)
(鞍部を越えれば緩やかな坂が続く)
(林道のような道を進むと沢戸地区の上部に出る)
(沢戸地区の合祀された神社)
杉ノ峠を越えて櫓峠へ
沢戸地区は神川町と本庄市児玉町の境近くにある集落で、ちょうど境になっている杉ノ峠を越えれば神川町そして藤岡市鬼石へと下りていくことができる。この道は出牛~横畑区間でも歩いた県道前橋長瀞線であり、明治の中頃には車馬が通れるものとして整備されていたという。現在でもこの道を行き交うクルマは多く、歩道のない車道をヒヤヒヤしながら歩く。緩やかに登った先の頂上が杉ノ峠(294)だ。車道が越える峠となってからも杉ノ峠の少し南から下阿久原へ下る道だけがあったようだ。その道も埼玉国際ゴルフカントリーの建設によって完全に消失してしまった。
(杉ノ峠 右に上がる道が続いていた)
風情の無い峠を越え、山間の車道を下っていくとゴルフ場を見下ろせる展望地がある。手前に見える尾根の奥には雨降山と御荷鉾山が見える。こうした眺めが得られるだけでも多少の慰めにはなるだろう。展望地から少し下ると本庄市児玉町稲沢へと続く市道との分岐がある。この分岐で市道に入り、最後の目的地である櫓峠を目指す。舗装路を上がっていくと360.8mの三角点峰を西から巻く林道が延びている。手元の地形図には無い道だが、地理院地図には道形が載っている。そこでスマホの地図ロイドアプリで確認しながら進むことにした。まずはこの道を使って360.8mの三角点峰を登ってみる。未舗装の林道は草が生え放題で、長いこと使われていないことが窺える。藪を避けつつ進むと360.8mの三角点峰の山頂から南西へ下る尾根の末端に側溝に使われるU字ブロックをひっくり返した踏み台が置かれていた。
(展望地からゴルフ場を見下ろす 尾根の奥は御荷鉾山などが見える)
(右が稲沢へと下る市道)
(左手に林道が延びる)
(林道は藪っぽい 疲れもあってか足を捕られることもあった)
(ここから360.8m峰に登れる)
尾根に上がるとマイナーな山にしては珍しく明瞭な踏み跡が山頂へ向かって延びている。但し標高差90mの急斜面の登りが続くので、決して歩きやすい道とはいえない。山頂直下までやって来ると踏み跡が無くなる。山頂の周りが藪で覆われているせいもあって、薄い踏み跡が北へ向かってトラバースしながら延びている。踏み跡を辿ると北西に延びる尾根に合流する。合流点から一登りで360.8mの三角点峰(三角点名は御嶽 「画廊天地人」のyasuhiroさんによると御嶽山とのこと 平成30年11月19日追記)の山頂に到着だ。いくつかの石碑があり、御嶽信仰との関わりが深いものもあるようだ。山頂は藪と樹木に覆われて、あまり居心地の良い所ではない。
(踏み跡はこんな感じ 山頂近くになるとやや薄くなる)
(阿留摩耶天狗と彫られた石碑 御嶽教との関わりがあるようだ)
(大聖不動尊)
(山頂の石碑)
(三角点 樹木に覆われているのでちょっと狭い山頂だ)
三角点峰からは北へ延びる尾根を伝って櫓峠へ行く予定だったが、山頂直下の傾斜が急すぎて下りることができない。そこで北西に延びる尾根を下ることにした。登ってきた南西の尾根と異なり、こちらは踏み跡が薄い。ただ尾根は明瞭で傾斜もやや緩やかなので、特段歩き難さはない。林道へ下りる所は南西の尾根と異なり、しっかりスロープが切ってあった。またそのまま神流川へ下りる道もあるようだが、こちらはかなり藪っぽい感じだ。再び藪の多い林道を北に進む。すると林道が二手に分かれる。地図ロイドで確認すると左手の道を下るのではなく、そのまま正面の道を進んだ方が櫓峠の頂上は近いようだ。林道は尾根上を進み、やがて藪の中へと消えていく。この先は道の無い尾根を行くしかない。尾根は広葉樹に覆われ、杉檜の林のように整然と立ち並んではいない。木を右に左に避けながら進む。尾根上には黄色い境界標が埋まっているので、これを辿っていけば迷うことはない。
(林道へ下りる所 左下にスロープがある)
(藪に消える林道 左奥へ突っ込んでいく形になる)
(尾根は広葉樹林が広がる)
(黄色い境界標が目印)
前方の鞍部に石仏の後ろ姿が見えてくれば櫓峠(やぐらとうげ 矢倉峠とも書く)の頂上(275)に着く。鞍部は意外に広く、往時はかなりの通行があったのだろう。この峠は鬼石・神川と児玉町稲沢を結んでいた。つまり県道前橋長瀞線から櫓峠へ行くのに通った市道と同じ役割を果たしていたのだ。市道が多く利用されていれば、市道が越える鞍部に櫓峠の名が移され、こちらは旧櫓峠と呼ばれていたのかもしれない。しかし市道は稲沢の住民が使う程度だったせいか、幸いにして櫓峠の名がそのまま残っている。「Pass-Hunting!「峠」の世界」によると稲沢側は緩やかな坂道とのことであったが、かなり藪化が進んでいた。また峠には石仏が二体あるはずなのだが、小さなほうの石仏が無い。周囲を探してみると台座だけが残っていた。斜面を覗いてみると下に落っこちていた。そこで石仏を拾い上げたのだが、これがかなり重い。何とか抱きかかえて台座へと戻した。倒木が当たったせいで下に落ちたのだろう。天辺が少し欠けてしまっていたのが残念だ。
(櫓峠)
(のっぺらぼうの石仏)
(児玉町稲沢側はこんな感じ 通ることは可能だろう)
(神川・鬼石側はいくらか道が良い)
(倒木がぶつかった石仏 上部が欠けている)
神川町へ下る
時計を見るともう13時を回っている。計画書では既にバス停に着いている時間なので、家族が心配しているはずだ。急いで下るとしよう。神川町側の峠道は、傾斜は急だが藪化はそれほど進んでいない。まずは急斜面を九十九折に下っていく。古い峠道はこうした配慮があるから歩きやすい。快調に下っていると突如道が無くなる。いや正確にはトラバースする道はある。だがこれはおそらく藪の多い林道へとつながる道だろう。立ち止まって辺りを見回すとトラバース道の下に藪に隠れた峠道がある。これはちょっとわかり難い。この先は傾斜が緩い所を通っているためか、疲れた身体でも膝が痛くなるようなことはない。ただ藪化がかなり進んでおり、しかも蜘蛛の巣だらけで大きな蜘蛛に何度も驚かされる。奥武蔵の峠道でこんなに不快な目に遭うのは珍しい。それでも峠から20分足らずで登山口へと下りてきてしまった。もう少し整備されれば歩く人も増えるかもしれないが、そもそもハイキング対象となるような山が近くにない。このまま藪に埋もれていくのも致し方ないのかもしれない。
(峠を振り返る まずは九十九折に下っていく)
(この道を探すのにちょっと手間取ってしまった)
(トラバース道合流地点より下はかなり藪化が進んでいた 夏場は地獄だろう)
登山口の向かいには有氏神社があり、そこでザックを下ろして家族に連絡を入れる。それほど心配していなかったようで、ちょっと拍子抜けしてしまった。ここから先はずっと車道歩きなので、もう危険な所はない。北へ緩やかな坂道を登ると谷側が神流川を見下ろす位置に出る。遮るものが何も無く、周囲の山を見渡せる良い展望地になっている。しかし谷側には歩道がないため、意外と交通量の多い車道から写真を撮るのは難しい。この絶景を楽しみたい人は実際に歩いていただきたい。セブンイレブンがある渡戸橋交差点を見送り、車道が大きく二又に分かれる所で左に入る。するとすぐに渡戸バス停に着く。商店であったであろう建物の前には停留所の看板と砂利の広場があり、バスの転回場にでも使われているのだろうか。バスが来るまでまだ20分以上あるので、150m先の神流川水辺公園まで行ってトイレを借りる。売店はないので、飲食物を手に入れたかったらセブンイレブンまで戻るほか無さそうだ。セブンイレブンまで歩くのは面倒なので、バス停へ戻る。定刻通りにやって来たバスに乗り込んだが、丹荘駅に着いても高麗川駅行きの列車は40分以上待たされる。北秩父の山は接続の悪さを含めて、どうにも遠い山という印象が更に強まってしまった。
(有氏神社前から 左端が横隈山辺り)
(渡戸バス停)
(神流川水辺公園へ向かう途中で横隈山を望む)
DATA:
野上駅7:56→8:07萬福寺前(長瀞アルプス観光トイレ)→8:24出牛峠入口(ゴルフ場クラブハウス入口)→8:38長瀞高原ビレッジ門→8:53出牛峠→9:13出牛地区→9:30横畑地区(登山者駐車場)→9:44平沢(上)地区→9:55平沢峠入口→10:14平沢峠→10:23伐採地の小ピーク→10:42横隈山11:07→11:20伐採地の小ピークと横隈山との鞍部(沢戸分岐)→11:47沢戸地区→11:58杉ノ峠→12:09櫓峠分岐→12:33 360.8m峰→13:00櫓峠→13:19有氏神社前(櫓峠入口)→13:34渡戸バス停(朝日バス)丹荘駅
地形図 鬼石
トイレ 萬福寺前(長瀞アルプス入口) 神流川水辺公園(渡戸バス停近く)
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 494円
秩父鉄道秩父線 御花畑~野上 500円
朝日バス 渡戸~丹荘駅入口 380円
JR八高線 丹荘~東飯能 972円
西武池袋線 飯能~小手指 237円
渡戸バス停からは若干距離がありますが、北へ道なりに歩けば「おふろcafe白寿の湯」があります。また丹荘駅前にはソフトクリーム屋があり、列車を待つにはちょうど良いでしょう。