(滝ノ入タブの木)
飯能市の南部に南高麗という地域がある。青梅市に接し、成木川・直竹川沿いに集落が形成されている。奥武蔵ハイキングのメインルートからは外れた地域で、観光施設もゴルフ場が主なものとなっている。それでも昨年歩いた赤根ヶ峠や大高谷山などのルートは以前から歩かれていたようだ。今回はさらに奥地にある間野富士山から大仁田山まで歩き、時間が許せば都県境尾根を歩く予定だ。このルートは比較的古いものだと「峠のむこうへ」に記録があり、最近では「山と温泉の風」のリブルさんが歩いている。また「画廊天地人」のyassさんが詳しいレポート(成木尾根 富士浅間神社~滝ノ入タブの木~四十八曲峠~細田~成木尾根~間野 周遊)を残しており、大いに参考にさせていただいた。
間野富士山の登山口である富士浅間神社へは飯能駅から出ている国際興業バスの間野黒指行きを使うことが出来る。この路線は南高麗地域で最も人口の多い岩渕地区と奥まった所にある苅生地区を除く6地区(下畑・上畑・申渕・直竹・下分・上分)を通る。富士浅間神社は下分、大仁田山周辺は上分に当たる。バスは天覧山下までは名郷行きと同じ道を通り、岩根橋から美杉台方面に入る。すっかり馴染みとなった美杉台を越えると南高麗地域だ。途中バス一台がやっと通れるほどの細い道を抜け、山王峠への道を分けると下分・上分への細い道に入る。この道は細田集落で行き止まりとなっており、街から近いながらも山深い印象を受ける。それにしてもバスを利用するのはボクだけで、路線の維持が心配である。
(弁天前バス停)
富士浅間神社最寄りの弁天前バス停で降り、さらに西へ進むと住宅街の一画に鳥居が見えてきた。鳥居のそばには富士浅間神社と書かれた石柱と滝ノ入タブの木と書かれた木柱が立っている。間野富士山頂上付近には大きなタブの木があり、今回の山旅の大きな見所でもある。境内に入ると社務所の奥に神楽殿があり、裏手にはトイレがある。神楽殿の向かいには大きな銀杏の木があり、秋ならさぞ見事な紅葉を見せてくれるのだろう。参道を進むと拝殿脇に芙蓉の滝がある。水量はあまりないが、巨大な岩壁を抉った跡がくっきりと浮かび上がっている。南高麗地区まちづくり推進委員会のHPによると大雨の後なら迫力のある光景が見られるそうだ。
(富士浅間神社入口)
(神社案内図)
(大銀杏)
(芙蓉の滝)
拝殿の右脇から奥ノ院・タブの木への道が延びる。土留めの木段が設置された急斜面で朝一の運動としてはきつい。旧拝殿跡を過ぎると常緑の広葉樹が混じる杉林となる。大きな古木が結構多い。急斜面を登りきると石祠とベンチの置かれた小平地に出る。木に嫗ヶ嶽(うばがたけ)と書かれたプレートが括り付けられている。「嫗」はおうなと読むのが一般的だと思うが、老女を指す言葉としては姥もそう変わらないのだろう。ここからはタブの木方面と山頂方面へ道が分かれているので、とりあえずタブの木へと進む。
(常緑の広葉樹が混じる)
(杉の古木)
(嫗ヶ嶽)
トラバース道を行くと伐採された東斜面に出る。一本だけ残されたタブの木が朝日を浴びている。案内板によると樹高20m、目通り5.5m、根回り7m、枝張り東西27m、樹齢は700年だという。タブの木はイヌグスとも呼ばれ、温暖地に自生する種だというが、これだけ生長していることを考えるとこの辺りは冬場も比較的温暖な気候なのかもしれない。道はタブの木の根元へ下りるとそのまま斜面を山頂方面へと上がっていく。タブの木を見下ろす伐採地からは申渕(地理院地図には申淵となっている)・直竹地区辺りが見えるようだ。
(タブの木)
(タブの木と申淵・直竹集落)
間野富士山(290)頂上は富士浅間神社の奥ノ院が置かれ、立派な小屋掛けの祠がある。樹木に覆われた山頂ではあるが、タブの木方面だけが小さく伐採され、タブの木が見下ろせる。祠のそばには時を経た道標があり、そう新しくない時代から細田へと歩かれていたことを窺わせる。祠の裏手にある石祠からは明瞭な踏み跡が延び、それなりに整備が入っているようだ。
(間野富士山)
地理院地図を西へ延びる尾根伝いに見ていくと麓から延びてきた実線路が尾根に食い込んでいるのがわかる。この実線路の末端近くには東京電力の新飯能変電所があり、道標にもしばしば変電所という文字が現れる。尾根道は終始緩やかかつ明瞭で、その分現在地の把握は難しい。唯一急傾斜のアップダウンがある小ピークでようやく現在地が把握できた。次のピークは尾根が分かれ、左は沢に下るルートにつながっているらしい。右の道を進むと雪の残る車道に出る。
(道標 但し尾根が分岐する所には無いのが残念)
(周囲が急斜面のピーク上)
(尾根が分かれる所 標石の字は沢と読むのだろうか)
(変電所への車道)
車道に出る手前には道標があり、山王峠と細田・変電所を指している。山王峠を指しているところを見ると細田へも車道を進めということなのだろう。実際リブルさんは車道を進んでいる。他方yassさんは366のピークに上がっているようだが、変電所手前に出る所で藪が酷いらしい。そこで車道を進むことにした。しばらく歩くと紅白に塗り分けられた変電所の鉄塔が見えてくる。尾根道からも木の間越しに見えていた鉄塔だ。変電所の門が見えてくると地理院地図にもある送電鉄塔が見えてくる。何の変哲もない鉄塔だが、一つ気になることがあった。南西へ向かう送電線が途中で切れていることだ。本来なら下山地を予定している349のピーク辺りまで延びているはずなのだが…。
(右が送電鉄塔、左が変電所の鉄塔)
変電所の右のフェンス沿いに人が通れるスペースがあり、そこを回り込んでいく。途中変電所越しに雪を被った山並みが見える。手前に送電線が延びているのを考えると棒ノ折山辺りだろうか?尾根をまたいで下る所で変電所のフェンスが切れる。ベンチ代わりに石が置かれ、枝垂桜の木が植えられているようだ。水路沿いに道が登ってきているので、南側から登ってこられるルートもあるのだろう。
(変電所から雪の被った山を見る 棒ノ折山辺りか?)
(鉄塔の右は天覚山で、鉄塔左奥は越上山だろうか)
(石のベンチがある所 右手の林から登る)
リブルさんも見かけた背負子の脇から土留めの木段が延びる。短いながらも急な斜面を登り、尾根に出る。地理院地図には反映されていないが、変電所は394のピークを削って造られており、ここは394のピークから一つ西へ行った小ピークに当たる。尾根伝いに行くと原市場への分岐に出る。410mほどある小ピークの手前から北へ延びる尾根が原市場への道なのだろう。410mの小ピークを越えると送電鉄塔新所沢線49号下に着く。道なりに下っていくと広い鞍部に出る。道標があり、四十八曲りとの分岐になっている。
(新所沢線49号鉄塔)
(四十八曲りへの分岐)
鞍部から急な斜面を登ると小ピーク上に着く。山頂標識が掛けられ、唐竹の峰(仮称)と書かれている。北に唐竹集落があるので、そこから取ったのだろう。唐竹の峰からはよく整備されたフラットな尾根が続く。この気持ちの良い杉檜の道がいかにも奥武蔵らしい。408のピークには鉄塔管理用のポストが立ち、尾根のすぐ下に送電鉄塔が立っている。さらにフラットな道を行くと47号鉄塔へのポストが立ち、間野集落への道が延びている。「峠のむこうへ」によるとここはトウノスというそうだ。間野分岐を過ぎると道は小ピークを巻いていくようになる。黒指分岐には大正十三年に建立された石造りの道標が立つ。原市場村、成木村といった表記が歴史を感じさせる。
(唐竹の峰)
(仏像の写真 どんな意図なのだろうか)
(408のピークへ向かって 緩やかな道)
(408のピーク下)
(トウノス 間野集落への分岐でもある 左が間野方面)
(フラットな道 よく整備されている)
(大正十三年の道標 左は黒指を指す)
(左は原市場村、右は細田・成木村)
黒指分岐のすぐ先にある412のピークが愛宕山であったようだが、巻き道が歩きやすくてついカットしてしまった。次のピーク手前には管理用ポストがあり、左から巻いていくと小屋掛けが見えてくる。正面に回るといぼとりじぞうと書かれたお地蔵様が安置されている。傍らには大仁田山を示す道標がある。大仁田山への道は急な感じに思えたのだが、実際はただ右から巻いていくだけであった。小ピークを巻き終わると細田集落の最上部に当たる広い農地の上に出る。
(いぼとり地蔵 左脇から大仁田山へ行ける)
(杉の古木)
この細田の農地は棒ノ折山から大仁田山へ縦走したときに訪れた所で、大仁田山周辺の大きな見所である。道標が立ち、農地を抜けて大仁田山へと行けるようなので、もちろん農地へと入っていく。茶畑やミカン畑が広がる農地は綺麗に草刈りがされている。以前は立入禁止の看板が立っていたはずだが、今回は見当たらなかった。農地から林に入り、小ピークを右に巻いて尾根に上がる。尾根を進むとすぐに大仁田山への分岐だ。ここを緩やかに上がると大仁田山(505.4)の頂上に出る。山頂は東側が少し切り開かれ、以前より明るい雰囲気となっていた。
(細田の農地)
(大仁田山)
(東側の眺め)
気分的にはここで縦走を中止して赤沢へ下るのも良さそうな気がしたのだが、時計を見るとまだ10時を少し回った程度だ。予定通り都県境尾根を歩くことにしよう。往路を戻り、大仁田山分岐から小沢峠・成木へと向かう。この辺りは尾根が広いため、どうも現在地がわかりにくい。それでも踏み跡は明瞭なので、成木方面への分岐さえ見落とさなければよいだけの話だ。雪が残る広い尾根の所に成木への分岐を示す看板がある。看板には安楽寺と書かれているが、これは都県境尾根を末端まで進んだ所にある集落の名で、成木(なりき)のさらに先にある。
(都県境尾根分岐近く 奥への道は小沢峠方面)
都県境尾根に足を踏み入れると途端に道は藪っぽくなる。大仁田山周辺はリーマンショック後の雇用対策として飯能市が登山道の整備に入ったようなのだが、都県境尾根は主に青梅市が管理しているものの、整備に手が回っていないようだ。藪を抜けると木の根が張り出した急坂が待ち受ける。巻き道の無い厳しいアップダウンがある辺りが如何にも奥多摩の道という感じがする。奥武蔵の山はたいていフラットな尾根と浅い谷で構成されているのに対し、奥多摩の山は標高差の大きな尾根と深い谷で出来ている。ボクの印象としては奥多摩の山のほうが数倍難しいと思う。急坂を登りきった先は504のピーク。南西へ延びる尾根から高土戸(たかっと)集落へと下れるらしい。
(藪っぽい道 504のピーク直下までは歩きにくい)
(504のピーク 高土戸分岐)
踏み跡明瞭な尾根を下るとすぐに送電鉄塔下に着く。南側の眺めが得られ、採掘によって大きく抉られた山が見える。「峠のむこうへ」の記事によると青梅丘陵の雷電山であるとのこと。送電鉄塔から緩やかに下ると尾根が三つに分かれる。右奥の尾根が間違いなのは良いとして、左へ下る尾根がある程度下っていかないとわかりにくい。この辺りも奥多摩らしいなと思う。下りきった鞍部が水のもと(水口峠 みのくちとうげ)だ。公的には水口峠と呼んでいるようだが、地元では水のもとと呼ばれているらしい。峠の北西側に二本の杉があり、かつては股の部分と洞にそれぞれ石祠があった。現在は麓に下ろされ、杉だけが残されている。峠道は藪っぽいとのことだったが、見た感じどちら側も踏み跡ははっきりしている。
(504のピーク東の鉄塔下)
(雷電山を望む)
(水のもとにある杉の古木)
(細田へ)
(高土戸へ)
水のもとからはやや急な斜面の登り。ここをこなすと広葉常緑樹の自生する尾根となる。昼前の強い日差しはまるで新緑の頃のような光景を醸し出している。いくらかなだらかになった尾根を進むと青梅市の設置した看板があり、ここが都県境成木尾根ハイキングコースであることがわかる。しかしこれが役所公認のルートなのか…。奥武蔵なら十分バリエーション扱いされてもおかしくない。採掘地を有する奥多摩工業の看板を時折目にしながら進むと梅ヶ平へと書かれた道標がある。南に明瞭な尾根が延びる辺りで、梅ヶ平とは採掘地の東にある台地を指すのだろう。
(常緑の広葉樹 この日は暖かく、春のような陽気であった)
(都県境成木尾根ハイキングコースの看板 安楽寺~小沢峠となっている)
(梅ヶ平分岐)
梅ヶ平分岐からやや急な斜面を下ると尾根上に門のように木が生えた鞍部へ着く。栂のもと(黄楊峠 つげのきとうげ)と呼ばれる所で、峠の南側は緩斜面となっており、薄い踏み跡が下っている。ここも公的には黄楊峠となっているが、地元では栂の木があったので、栂のもとと呼んでいるそうだ。門のように生えた木の根元には祠が残されていて、踏み跡は薄くなっても峠の名残はあると云えよう。
(栂のもと)
(都道へとある 成木街道へ下れるのだろう)
(根元にある祠)
栂のもとからはまたも急な登り。間野富士山から大仁田山に比べると距離は短いが、アップダウンはかなり厳しい。登りきった所がトヤハケ(477)というピークだ。尾根上の瘤にすぎないと云えるが、立派な道標が掛けられている。それにしても黒山と安楽寺という表記が凄まじい。どれだけ長い距離を歩こうというのだろう。普通なら小沢峠辺りで分けても良さそうなものだが。
(トヤハケ 道標の作者は黒山と安楽寺に拘りがあるらしい)
トヤハケから下ると尾根は南へ鋭角に曲がり、急坂を下る。道標があるので迷うことは無いだろうが、漫然と東の尾根を下ったら危険だ。ここを下ると穏やかな広めの尾根が続く。やれやれ、久しぶりに奥武蔵へと戻ってきた感じだ。この辺りは細い檜や杉が目立ち、うっかり摑まると根元から倒れてしまいそうだ。小ピークを越えると安楽寺を示す道標が右に下る尾根を指している。ここは堂所という所で所久保観音堂の旧地だったとされている。確かに広い尾根なので建物があったとしてもおかしくはない。ここから安楽寺方面へ下るのが成木尾根で、北東へ延びる明瞭な尾根が都県境尾根だ。今日は349のピーク近くの鉄塔巡視路を使って下山する予定なので、このまま都県境尾根を進む。
(ここを鋭角に曲がり急坂を下りる)
(堂所を示す道標)
(堂所から安楽寺つまり成木尾根への道が延びる なおこの先は一旦間野へと迂回するようだ)
都県境尾根には明瞭な踏み跡があり、尾根が北に分かれる所でもしっかり東へ下る道が造られている。杉檜の林が終わって、開けた鉄塔下の原っぱへと出る。この鉄塔は青梅線50号だ。藪っぽい原だが、切り開きがあり、歩くのに支障はない。ただ何だか違和感がある。鉄塔を見上げると…送電線が無い!? ということはこの鉄塔は最早使われていないということだろうか。鉄塔が使われているから巡視路が整備されているのであって、使われていないとすれば巡視路が荒れている可能性もある。大丈夫だろうか?
(都県境尾根 尾根が北に分かれる所 右の踏み跡を下ればいい)
(青梅線50号鉄塔 送電線が張られていない)
50号鉄塔の近くには黒指方面へ下る巡視路は無く、さらに尾根を進んでいく。最悪の場合には画廊天地人のyassさんが使った沢道を使う手もあるので、とにかく都県境を行くしかない。349のピーク手前に小平地があり、その北側に51号鉄塔がある。ここも送電線は外され、既に使われていないようだ。鉄塔下の原っぱからは朝歩いた新飯能変電所の紅白に塗り分けられた鉄塔が見える。その原っぱにも切り開きがあり、明らかに黒指方面へと下っている。
(青梅線51号鉄塔 こちらも送電線はない)
(鉄塔下から新飯能変電所の鉄塔を望む 左部分に見える切り分けを進む)
切り開きを下っていくと杉林へと入っていく。人為的に杉林を切り開いたような踏み跡らしきものが続いており、どうやらこれが鉄塔巡視路で間違いなさそうだ。問題は今日の行程で最も急な斜面を直線的に下っていることだ。滑り落ちないように慎重に下っていくと黄色の管理ポストが見えてきた。眼下には雪の残る車道も見える。所々巡視路であったことを示す土留めの木段も埋まっている。やがてトラバースしながらジグザグに下っていく。大分車道が近づいてきた。あと一息で車道へ下りられるという所で伐採された丸太に行く手を阻まれる。太い木なので乗っかっても動き出すことは無いと思うが、念のため余計な体重を掛けないように跨っていく。雪が残っている所はカチカチに凍っており、乗り上げるとツルツルと滑る。しかしわざわざアイゼンを付けるほどでもないので、そろりそろりと下って車道へ下り立つ。
(巡視路を下る)
(車道が見えてきたが標高差はかなりある)
(凍った雪 最後がしんどかった)
ここからは最寄りのバス停まで車道歩きだ。間野黒指と間野、二つのバス停があり、距離は間野の方が1.5倍くらいありそうだ。だが下っていく方が楽だろうと考え、間野バス停へ向かって歩き出す。途中民家などは全くなく、直竹川沿いを独り歩いていく。林道石ざく線を過ぎた辺りで間野黒指行きのバスとすれ違う。ということはあのバスが戻ってくるのだろう。バス停は近くにあるはずだが、どのくらい余裕があるだろうか。左手が開けてくると民家が点在する間野集落だ。集落の中ほどに間野バス停があり、時間を見ると10分ぐらいの余裕がある。間に合って良かった。デコポンを食べて待っていると少し遅れてバスがやって来た。お婆さんが一人乗っているだけで、やはり利用する人は少ない。間野富士山から大仁田山へのルートがもう少し知られてくるとバスを利用する人も増えてくるのかもしれない。今回の記事がその一助となることを願うばかりだ。
(馬頭観音)
(直竹川)
(間野バス停)
DATA:
飯能駅(国際興業バス)弁天前バス停7:26~7:29富士浅間神社~7:57間野富士山~8:38新飯能変電所~10:08大仁田山10:16~10:41水のもと~11:00栂のもと~11:27堂所~12:09間野バス停(国際興業バス)飯能駅
地形図 飯能 原市場
トイレ 富士浅間神社
バス 国際興業 飯能駅~弁天前(間野黒指行き)400円
間野~飯能駅(飯能駅行き)440円
間野富士山から大仁田山の間は踏み跡明瞭で道標も十分備えてあり、一般ルートに準ずるレベル。地形図があるとわかりやすい。都県境尾根は奥武蔵の山を基準とするなら間違いなくバリエーション扱いでしょう。地形図・コンパス持参を推奨します。なお堂所から安楽寺方面へ下りたほうが安全だと思われます。
飯能市の南部に南高麗という地域がある。青梅市に接し、成木川・直竹川沿いに集落が形成されている。奥武蔵ハイキングのメインルートからは外れた地域で、観光施設もゴルフ場が主なものとなっている。それでも昨年歩いた赤根ヶ峠や大高谷山などのルートは以前から歩かれていたようだ。今回はさらに奥地にある間野富士山から大仁田山まで歩き、時間が許せば都県境尾根を歩く予定だ。このルートは比較的古いものだと「峠のむこうへ」に記録があり、最近では「山と温泉の風」のリブルさんが歩いている。また「画廊天地人」のyassさんが詳しいレポート(成木尾根 富士浅間神社~滝ノ入タブの木~四十八曲峠~細田~成木尾根~間野 周遊)を残しており、大いに参考にさせていただいた。
間野富士山の登山口である富士浅間神社へは飯能駅から出ている国際興業バスの間野黒指行きを使うことが出来る。この路線は南高麗地域で最も人口の多い岩渕地区と奥まった所にある苅生地区を除く6地区(下畑・上畑・申渕・直竹・下分・上分)を通る。富士浅間神社は下分、大仁田山周辺は上分に当たる。バスは天覧山下までは名郷行きと同じ道を通り、岩根橋から美杉台方面に入る。すっかり馴染みとなった美杉台を越えると南高麗地域だ。途中バス一台がやっと通れるほどの細い道を抜け、山王峠への道を分けると下分・上分への細い道に入る。この道は細田集落で行き止まりとなっており、街から近いながらも山深い印象を受ける。それにしてもバスを利用するのはボクだけで、路線の維持が心配である。
(弁天前バス停)
富士浅間神社最寄りの弁天前バス停で降り、さらに西へ進むと住宅街の一画に鳥居が見えてきた。鳥居のそばには富士浅間神社と書かれた石柱と滝ノ入タブの木と書かれた木柱が立っている。間野富士山頂上付近には大きなタブの木があり、今回の山旅の大きな見所でもある。境内に入ると社務所の奥に神楽殿があり、裏手にはトイレがある。神楽殿の向かいには大きな銀杏の木があり、秋ならさぞ見事な紅葉を見せてくれるのだろう。参道を進むと拝殿脇に芙蓉の滝がある。水量はあまりないが、巨大な岩壁を抉った跡がくっきりと浮かび上がっている。南高麗地区まちづくり推進委員会のHPによると大雨の後なら迫力のある光景が見られるそうだ。
(富士浅間神社入口)
(神社案内図)
(大銀杏)
(芙蓉の滝)
拝殿の右脇から奥ノ院・タブの木への道が延びる。土留めの木段が設置された急斜面で朝一の運動としてはきつい。旧拝殿跡を過ぎると常緑の広葉樹が混じる杉林となる。大きな古木が結構多い。急斜面を登りきると石祠とベンチの置かれた小平地に出る。木に嫗ヶ嶽(うばがたけ)と書かれたプレートが括り付けられている。「嫗」はおうなと読むのが一般的だと思うが、老女を指す言葉としては姥もそう変わらないのだろう。ここからはタブの木方面と山頂方面へ道が分かれているので、とりあえずタブの木へと進む。
(常緑の広葉樹が混じる)
(杉の古木)
(嫗ヶ嶽)
トラバース道を行くと伐採された東斜面に出る。一本だけ残されたタブの木が朝日を浴びている。案内板によると樹高20m、目通り5.5m、根回り7m、枝張り東西27m、樹齢は700年だという。タブの木はイヌグスとも呼ばれ、温暖地に自生する種だというが、これだけ生長していることを考えるとこの辺りは冬場も比較的温暖な気候なのかもしれない。道はタブの木の根元へ下りるとそのまま斜面を山頂方面へと上がっていく。タブの木を見下ろす伐採地からは申渕(地理院地図には申淵となっている)・直竹地区辺りが見えるようだ。
(タブの木)
(タブの木と申淵・直竹集落)
間野富士山(290)頂上は富士浅間神社の奥ノ院が置かれ、立派な小屋掛けの祠がある。樹木に覆われた山頂ではあるが、タブの木方面だけが小さく伐採され、タブの木が見下ろせる。祠のそばには時を経た道標があり、そう新しくない時代から細田へと歩かれていたことを窺わせる。祠の裏手にある石祠からは明瞭な踏み跡が延び、それなりに整備が入っているようだ。
(間野富士山)
地理院地図を西へ延びる尾根伝いに見ていくと麓から延びてきた実線路が尾根に食い込んでいるのがわかる。この実線路の末端近くには東京電力の新飯能変電所があり、道標にもしばしば変電所という文字が現れる。尾根道は終始緩やかかつ明瞭で、その分現在地の把握は難しい。唯一急傾斜のアップダウンがある小ピークでようやく現在地が把握できた。次のピークは尾根が分かれ、左は沢に下るルートにつながっているらしい。右の道を進むと雪の残る車道に出る。
(道標 但し尾根が分岐する所には無いのが残念)
(周囲が急斜面のピーク上)
(尾根が分かれる所 標石の字は沢と読むのだろうか)
(変電所への車道)
車道に出る手前には道標があり、山王峠と細田・変電所を指している。山王峠を指しているところを見ると細田へも車道を進めということなのだろう。実際リブルさんは車道を進んでいる。他方yassさんは366のピークに上がっているようだが、変電所手前に出る所で藪が酷いらしい。そこで車道を進むことにした。しばらく歩くと紅白に塗り分けられた変電所の鉄塔が見えてくる。尾根道からも木の間越しに見えていた鉄塔だ。変電所の門が見えてくると地理院地図にもある送電鉄塔が見えてくる。何の変哲もない鉄塔だが、一つ気になることがあった。南西へ向かう送電線が途中で切れていることだ。本来なら下山地を予定している349のピーク辺りまで延びているはずなのだが…。
(右が送電鉄塔、左が変電所の鉄塔)
変電所の右のフェンス沿いに人が通れるスペースがあり、そこを回り込んでいく。途中変電所越しに雪を被った山並みが見える。手前に送電線が延びているのを考えると棒ノ折山辺りだろうか?尾根をまたいで下る所で変電所のフェンスが切れる。ベンチ代わりに石が置かれ、枝垂桜の木が植えられているようだ。水路沿いに道が登ってきているので、南側から登ってこられるルートもあるのだろう。
(変電所から雪の被った山を見る 棒ノ折山辺りか?)
(鉄塔の右は天覚山で、鉄塔左奥は越上山だろうか)
(石のベンチがある所 右手の林から登る)
リブルさんも見かけた背負子の脇から土留めの木段が延びる。短いながらも急な斜面を登り、尾根に出る。地理院地図には反映されていないが、変電所は394のピークを削って造られており、ここは394のピークから一つ西へ行った小ピークに当たる。尾根伝いに行くと原市場への分岐に出る。410mほどある小ピークの手前から北へ延びる尾根が原市場への道なのだろう。410mの小ピークを越えると送電鉄塔新所沢線49号下に着く。道なりに下っていくと広い鞍部に出る。道標があり、四十八曲りとの分岐になっている。
(新所沢線49号鉄塔)
(四十八曲りへの分岐)
鞍部から急な斜面を登ると小ピーク上に着く。山頂標識が掛けられ、唐竹の峰(仮称)と書かれている。北に唐竹集落があるので、そこから取ったのだろう。唐竹の峰からはよく整備されたフラットな尾根が続く。この気持ちの良い杉檜の道がいかにも奥武蔵らしい。408のピークには鉄塔管理用のポストが立ち、尾根のすぐ下に送電鉄塔が立っている。さらにフラットな道を行くと47号鉄塔へのポストが立ち、間野集落への道が延びている。「峠のむこうへ」によるとここはトウノスというそうだ。間野分岐を過ぎると道は小ピークを巻いていくようになる。黒指分岐には大正十三年に建立された石造りの道標が立つ。原市場村、成木村といった表記が歴史を感じさせる。
(唐竹の峰)
(仏像の写真 どんな意図なのだろうか)
(408のピークへ向かって 緩やかな道)
(408のピーク下)
(トウノス 間野集落への分岐でもある 左が間野方面)
(フラットな道 よく整備されている)
(大正十三年の道標 左は黒指を指す)
(左は原市場村、右は細田・成木村)
黒指分岐のすぐ先にある412のピークが愛宕山であったようだが、巻き道が歩きやすくてついカットしてしまった。次のピーク手前には管理用ポストがあり、左から巻いていくと小屋掛けが見えてくる。正面に回るといぼとりじぞうと書かれたお地蔵様が安置されている。傍らには大仁田山を示す道標がある。大仁田山への道は急な感じに思えたのだが、実際はただ右から巻いていくだけであった。小ピークを巻き終わると細田集落の最上部に当たる広い農地の上に出る。
(いぼとり地蔵 左脇から大仁田山へ行ける)
(杉の古木)
この細田の農地は棒ノ折山から大仁田山へ縦走したときに訪れた所で、大仁田山周辺の大きな見所である。道標が立ち、農地を抜けて大仁田山へと行けるようなので、もちろん農地へと入っていく。茶畑やミカン畑が広がる農地は綺麗に草刈りがされている。以前は立入禁止の看板が立っていたはずだが、今回は見当たらなかった。農地から林に入り、小ピークを右に巻いて尾根に上がる。尾根を進むとすぐに大仁田山への分岐だ。ここを緩やかに上がると大仁田山(505.4)の頂上に出る。山頂は東側が少し切り開かれ、以前より明るい雰囲気となっていた。
(細田の農地)
(大仁田山)
(東側の眺め)
気分的にはここで縦走を中止して赤沢へ下るのも良さそうな気がしたのだが、時計を見るとまだ10時を少し回った程度だ。予定通り都県境尾根を歩くことにしよう。往路を戻り、大仁田山分岐から小沢峠・成木へと向かう。この辺りは尾根が広いため、どうも現在地がわかりにくい。それでも踏み跡は明瞭なので、成木方面への分岐さえ見落とさなければよいだけの話だ。雪が残る広い尾根の所に成木への分岐を示す看板がある。看板には安楽寺と書かれているが、これは都県境尾根を末端まで進んだ所にある集落の名で、成木(なりき)のさらに先にある。
(都県境尾根分岐近く 奥への道は小沢峠方面)
都県境尾根に足を踏み入れると途端に道は藪っぽくなる。大仁田山周辺はリーマンショック後の雇用対策として飯能市が登山道の整備に入ったようなのだが、都県境尾根は主に青梅市が管理しているものの、整備に手が回っていないようだ。藪を抜けると木の根が張り出した急坂が待ち受ける。巻き道の無い厳しいアップダウンがある辺りが如何にも奥多摩の道という感じがする。奥武蔵の山はたいていフラットな尾根と浅い谷で構成されているのに対し、奥多摩の山は標高差の大きな尾根と深い谷で出来ている。ボクの印象としては奥多摩の山のほうが数倍難しいと思う。急坂を登りきった先は504のピーク。南西へ延びる尾根から高土戸(たかっと)集落へと下れるらしい。
(藪っぽい道 504のピーク直下までは歩きにくい)
(504のピーク 高土戸分岐)
踏み跡明瞭な尾根を下るとすぐに送電鉄塔下に着く。南側の眺めが得られ、採掘によって大きく抉られた山が見える。「峠のむこうへ」の記事によると青梅丘陵の雷電山であるとのこと。送電鉄塔から緩やかに下ると尾根が三つに分かれる。右奥の尾根が間違いなのは良いとして、左へ下る尾根がある程度下っていかないとわかりにくい。この辺りも奥多摩らしいなと思う。下りきった鞍部が水のもと(水口峠 みのくちとうげ)だ。公的には水口峠と呼んでいるようだが、地元では水のもとと呼ばれているらしい。峠の北西側に二本の杉があり、かつては股の部分と洞にそれぞれ石祠があった。現在は麓に下ろされ、杉だけが残されている。峠道は藪っぽいとのことだったが、見た感じどちら側も踏み跡ははっきりしている。
(504のピーク東の鉄塔下)
(雷電山を望む)
(水のもとにある杉の古木)
(細田へ)
(高土戸へ)
水のもとからはやや急な斜面の登り。ここをこなすと広葉常緑樹の自生する尾根となる。昼前の強い日差しはまるで新緑の頃のような光景を醸し出している。いくらかなだらかになった尾根を進むと青梅市の設置した看板があり、ここが都県境成木尾根ハイキングコースであることがわかる。しかしこれが役所公認のルートなのか…。奥武蔵なら十分バリエーション扱いされてもおかしくない。採掘地を有する奥多摩工業の看板を時折目にしながら進むと梅ヶ平へと書かれた道標がある。南に明瞭な尾根が延びる辺りで、梅ヶ平とは採掘地の東にある台地を指すのだろう。
(常緑の広葉樹 この日は暖かく、春のような陽気であった)
(都県境成木尾根ハイキングコースの看板 安楽寺~小沢峠となっている)
(梅ヶ平分岐)
梅ヶ平分岐からやや急な斜面を下ると尾根上に門のように木が生えた鞍部へ着く。栂のもと(黄楊峠 つげのきとうげ)と呼ばれる所で、峠の南側は緩斜面となっており、薄い踏み跡が下っている。ここも公的には黄楊峠となっているが、地元では栂の木があったので、栂のもとと呼んでいるそうだ。門のように生えた木の根元には祠が残されていて、踏み跡は薄くなっても峠の名残はあると云えよう。
(栂のもと)
(都道へとある 成木街道へ下れるのだろう)
(根元にある祠)
栂のもとからはまたも急な登り。間野富士山から大仁田山に比べると距離は短いが、アップダウンはかなり厳しい。登りきった所がトヤハケ(477)というピークだ。尾根上の瘤にすぎないと云えるが、立派な道標が掛けられている。それにしても黒山と安楽寺という表記が凄まじい。どれだけ長い距離を歩こうというのだろう。普通なら小沢峠辺りで分けても良さそうなものだが。
(トヤハケ 道標の作者は黒山と安楽寺に拘りがあるらしい)
トヤハケから下ると尾根は南へ鋭角に曲がり、急坂を下る。道標があるので迷うことは無いだろうが、漫然と東の尾根を下ったら危険だ。ここを下ると穏やかな広めの尾根が続く。やれやれ、久しぶりに奥武蔵へと戻ってきた感じだ。この辺りは細い檜や杉が目立ち、うっかり摑まると根元から倒れてしまいそうだ。小ピークを越えると安楽寺を示す道標が右に下る尾根を指している。ここは堂所という所で所久保観音堂の旧地だったとされている。確かに広い尾根なので建物があったとしてもおかしくはない。ここから安楽寺方面へ下るのが成木尾根で、北東へ延びる明瞭な尾根が都県境尾根だ。今日は349のピーク近くの鉄塔巡視路を使って下山する予定なので、このまま都県境尾根を進む。
(ここを鋭角に曲がり急坂を下りる)
(堂所を示す道標)
(堂所から安楽寺つまり成木尾根への道が延びる なおこの先は一旦間野へと迂回するようだ)
都県境尾根には明瞭な踏み跡があり、尾根が北に分かれる所でもしっかり東へ下る道が造られている。杉檜の林が終わって、開けた鉄塔下の原っぱへと出る。この鉄塔は青梅線50号だ。藪っぽい原だが、切り開きがあり、歩くのに支障はない。ただ何だか違和感がある。鉄塔を見上げると…送電線が無い!? ということはこの鉄塔は最早使われていないということだろうか。鉄塔が使われているから巡視路が整備されているのであって、使われていないとすれば巡視路が荒れている可能性もある。大丈夫だろうか?
(都県境尾根 尾根が北に分かれる所 右の踏み跡を下ればいい)
(青梅線50号鉄塔 送電線が張られていない)
50号鉄塔の近くには黒指方面へ下る巡視路は無く、さらに尾根を進んでいく。最悪の場合には画廊天地人のyassさんが使った沢道を使う手もあるので、とにかく都県境を行くしかない。349のピーク手前に小平地があり、その北側に51号鉄塔がある。ここも送電線は外され、既に使われていないようだ。鉄塔下の原っぱからは朝歩いた新飯能変電所の紅白に塗り分けられた鉄塔が見える。その原っぱにも切り開きがあり、明らかに黒指方面へと下っている。
(青梅線51号鉄塔 こちらも送電線はない)
(鉄塔下から新飯能変電所の鉄塔を望む 左部分に見える切り分けを進む)
切り開きを下っていくと杉林へと入っていく。人為的に杉林を切り開いたような踏み跡らしきものが続いており、どうやらこれが鉄塔巡視路で間違いなさそうだ。問題は今日の行程で最も急な斜面を直線的に下っていることだ。滑り落ちないように慎重に下っていくと黄色の管理ポストが見えてきた。眼下には雪の残る車道も見える。所々巡視路であったことを示す土留めの木段も埋まっている。やがてトラバースしながらジグザグに下っていく。大分車道が近づいてきた。あと一息で車道へ下りられるという所で伐採された丸太に行く手を阻まれる。太い木なので乗っかっても動き出すことは無いと思うが、念のため余計な体重を掛けないように跨っていく。雪が残っている所はカチカチに凍っており、乗り上げるとツルツルと滑る。しかしわざわざアイゼンを付けるほどでもないので、そろりそろりと下って車道へ下り立つ。
(巡視路を下る)
(車道が見えてきたが標高差はかなりある)
(凍った雪 最後がしんどかった)
ここからは最寄りのバス停まで車道歩きだ。間野黒指と間野、二つのバス停があり、距離は間野の方が1.5倍くらいありそうだ。だが下っていく方が楽だろうと考え、間野バス停へ向かって歩き出す。途中民家などは全くなく、直竹川沿いを独り歩いていく。林道石ざく線を過ぎた辺りで間野黒指行きのバスとすれ違う。ということはあのバスが戻ってくるのだろう。バス停は近くにあるはずだが、どのくらい余裕があるだろうか。左手が開けてくると民家が点在する間野集落だ。集落の中ほどに間野バス停があり、時間を見ると10分ぐらいの余裕がある。間に合って良かった。デコポンを食べて待っていると少し遅れてバスがやって来た。お婆さんが一人乗っているだけで、やはり利用する人は少ない。間野富士山から大仁田山へのルートがもう少し知られてくるとバスを利用する人も増えてくるのかもしれない。今回の記事がその一助となることを願うばかりだ。
(馬頭観音)
(直竹川)
(間野バス停)
DATA:
飯能駅(国際興業バス)弁天前バス停7:26~7:29富士浅間神社~7:57間野富士山~8:38新飯能変電所~10:08大仁田山10:16~10:41水のもと~11:00栂のもと~11:27堂所~12:09間野バス停(国際興業バス)飯能駅
地形図 飯能 原市場
トイレ 富士浅間神社
バス 国際興業 飯能駅~弁天前(間野黒指行き)400円
間野~飯能駅(飯能駅行き)440円
間野富士山から大仁田山の間は踏み跡明瞭で道標も十分備えてあり、一般ルートに準ずるレベル。地形図があるとわかりやすい。都県境尾根は奥武蔵の山を基準とするなら間違いなくバリエーション扱いでしょう。地形図・コンパス持参を推奨します。なお堂所から安楽寺方面へ下りたほうが安全だと思われます。