(新観瀑台から袋田の滝)
9月に入ったら山歩きをする予定でいたのですが、夏場の疲れと天候の悪さ、そして母親の看病となかなか山に行けない日々が続いています。このままだと9月も終わってしまいそうな雰囲気なので、7・8月に続いて過去編を更新することにしました。2008・2009年9月期は奥武蔵以外の山域へよく出かけていたのですが、天候の悪い日が多かった印象です。なお記事は当時書いたものをそのまま載せていますが、一部注釈を入れてあります。
前日に大菩薩嶺を歩き(※ 両親と歩いたときのもの。現状ではアップする予定はありません)若干疲れが残るものの、ツーデーパスの残りを使って遠目の山に出撃することにしたい。前日から天気が悪く夜は雨も降っていたので、急な雨に降られても安心の低山へ行こうと決めた。ツーデーはまだ2500円しか使っていないので、最低でも2500円以上使わないと損である。そこで以前から懸案となっていた奥久慈男体山へ行くことにした。日帰りだとギリギリの時間となりそうな感じだが、まだ9月なので真っ暗になることはないだろう。
茨城の山は自宅からはそれほど遠くないのだが、列車の接続が悪い。今日も4時間近く掛けて水郡線の西金駅まで行かなければならない。それでも所沢を6時台に出ればよいので普段よりは少し楽だ。武蔵野線・常磐線と乗り継ぎ、水戸駅で水郡線に乗り換える。列車は真新しいディーゼルカーで初めて乗る車種だ。車両に着いている立派なトイレには驚きである。出発30分前に着いたのでのんびりと席を確保していたのだが、出発する頃には立ち客が溢れるほどの混雑ぶりである。この路線そんなに観光地があったのだろうか。列車が動き出すとディーゼルカー特有のエンジン音がけたたましい。外の風景もまだそれほど田園風景という訳でもなく、埼玉の街中と変わりはない。列車に揺られること40分も経つとようやく田園地帯に入ってきたという感じとなる。それでもまだ山奥という雰囲気ではない。一つ前の下小川駅辺りからだんだんと山に入る雰囲気となってきた。それでも西武秩父線のほうがまだ山岳路線の雰囲気がある。
(西金駅と水郡線の車両)
今日の出発地となる西金駅は立派な木造駅舎の建つ無人駅である。ここから登山口である大円地までは1時間半の車道歩きとなる。駅前の車道を渡り国道へ出ると意外にも車の往来が激しい。この辺りの住民は皆車生活をしていることが窺える。男体山登山口と書かれた看板に従い川沿いの道を歩く。10分ほど歩くと断崖絶壁の連なりが見えてきた。久慈川の流れによって削られて出来たもので、今日歩く奥久慈男体山から月居山までの縦走路もその一部である。川沿いの山村風景はこれから山を登るのでなければ楽しいのだが、今日の行程の中では多少苦痛を伴う。アスファルトの道は足に優しくないし、晴れ間が覗くと照り返しが暑い。しかも天気予報と異なり茨城は時々晴れて気温が大分上昇しているようだ。古分屋敷の集落に着くとようやく男体山が眼前に現れる。所々岩が露出し迫力のある山だ。一段と低く鞍部となっているのが大円地越だろう。集落の終点に登山届の箱があるので提出していく。細い車道を下りていくと大円地集落の手前が駐車スペースとなっていて、多くの車が停まっている。多くが県外ナンバーだ。大円地の集落に入ると開けた山村となっている。大円地山荘には営業中の幟も立ち、山奥にしては人の賑わいがある。道標に従って集落内を進むと一般コースと健脚コースとの分岐に出る。ここを登山口とするとちょうど駅から1時間半が経っていた。
(登山口へ向かう車道から)
(9月といえば彼岸花)
(男体山が見えてくる)
(男体山から大円地越)
(大円地集落)
当初健脚コースを進むつもりであったが、もうすぐ正午なので一般コースを登って時間を短縮することにする。一般コースには崩壊地注意の看板も立っているが、むしろ健脚コースの古い鎖のほうが危険なはずだ。暗い植林の中を入っていくと九十九折の道が続く。最初こそ土留めの木段があるが、それ以降は傾斜が急でも歩きやすい道だ。この辺りで下山する人と擦れ違うようになる。途中崩壊地となっていたであろうガレ場の側を通るが、落石にさえ注意すれば問題のない所だ。雑木林が多くなり沢の詰めが見えてくると大円地越である。ベンチの置かれた広場となっており、ここで今日はじめて休憩を取る。それにしても上手い具合に道が付いているなぁと感心する。
(一般コースへ向かう)
(大きくジグザグを繰り返すためトラバースしながら登っていく)
(ここまで来れば大円地越まであと一息)
(大円地越)
少し体力を回復したので山頂を目指すことにする。まずは雑木林の中をジグザグに登る。尾根に取り付く手前がロープの掛かる一枚岩となっているが、意外と簡単に登れてしまう。一枚岩を登り切れば平坦な尾根道歩きだ。かつては山火事があって絶壁までが剥き出しになっていたらしいが、現在は雑木林が成長した気持ちの良い道となっている。絶壁の縁を歩くようになると潅木類が多くなる。南側の展望が素晴しい。天気が良ければもっと凄い光景だったに違いない。縁から外れるときつい登りとなる。潅木類が成長し山火事跡は大分回復しつつあるようだ。ここも下山してくる人が多いので山頂の混み具合を聞いてみると、まだかなりの人出があると言う。潅木帯を抜け、再び縁を歩くとアンテナが見えてくる。アンテナの脇を通るとひょっこりと山頂に出た。
(ロープのかかる一枚岩)
(落葉樹の森を行く)
(絶壁の縁からの展望)
(山火事の跡らしい 山頂が見えてきた)
(山頂に建つアンテナ)
奥久慈男体山(653.9)の山頂にはアンテナ施設と社があり、三角点のあるところを中心に切り開きがある。そこそこ広い山頂だが展望はアンテナ施設のあるところだけが遮られている。社の建つ辺りは絶景ポイントだが高所恐怖症の私にはちょっと近寄り難い。社の裏側から見るとちょうど長福の集落が見下ろせる位置にある。集落の隣にある長福山はなかなか存在感のある山だ。三角点のある辺りからは大円地集落を見下ろす形になる。東側の展望が開けないのが残念なところだ。ひとまずお握りを頬張り下山先を考える。ここから月居山まで3時間は優に掛かるだろう。現在13時を過ぎているので暗くなるギリギリのところで着くはずだ。天候が崩れる気配はない。また来る機会は当分ないであろうし、思い切って袋田まで足を延ばそう。そうとなればのんびりとしている暇はない。
(男体山頂上)
(社が建つ)
(社の裏側からの展望 右に見えるのが長福山)
(男体山の三角点)
(南側の展望)
北へ延びる道を探すがどこから下りればよいのか見当が付かない。社の前の道を登ってきた親子に聞くと健脚コースを登ってきたと言う。地形図で判断した限りではその道を下るのが正しそうだ。急な坂をストックでバランスを取りながら下ると東屋が見えてきた。道標には月居山と書いてあるようだ。この道で良かったらしい。東屋まで下りて来るとここも長福集落の展望が素晴しい。東屋から笹の生い茂る縦走路に入る。山火事の影響なのか高い木が少なく、雑草や潅木類が道を覆って煩いところがある。ただ踏み跡ははっきりしているし傾斜も緩い。一箇所一枚岩のトラバースがあるが濡れているのでもなければ危険はないだろう。滝倉・上小川駅と書かれた道標のある分岐は長福集落へ下りる道のようだ。分岐を過ぎると曲がりくねった道を進むようになり、現在地の把握が難しくなる。振り返ると男体山のアンテナがまだ見える。鞍部に差し掛かる辺りから頭上を高い木が覆うようになる。雑木林が多いが熊はほとんど居ない地域であることが救いだ。絶壁の縁を歩いているはずだがそういった雰囲気は微塵も感じさせない。539のピークを何時の間にか過ぎてしまったようで、白木山の分岐まで来てしまった。
(月居山方面へ向かうと東屋が見えてくる)
(東屋からの眺め)
(笹の茂る道)
(踏み跡ははっきりしている)
(滝倉分岐 左に下ると長福集落に至るようだ)
(滝倉分岐からは少しだけ展望がある)
(木が茂り、現在地の把握が難しい)
(曲がりくねった道なので道標は完備されている)
(絶壁の縁を歩いている雰囲気はない)
(白木山分岐)
分岐からは急な下りとなる。ストックがあるので恐さは感じないが、思ったよりもタフな道である。急坂を下りきると長いトラバースとなる。薄い踏み跡を辿っていくと谷に傾斜した道が多くなる。山慣れていない人には厳しい道だ。谷側にストックを突いてバランスを取るようにして進む。時折大きく谷へ下るところもあり、道を間違っていないか不安が募る。大体曲がり角に道標があるが、一箇所沢を登るところで曲がり角がある。そこだけは道標がないので沢を登り過ぎないように注意が必要だ。地形図ではさほどきつくないように見える傾斜でも実際は急傾斜の岩がちな尾根であることもある。思ったよりもアップダウンがきつい。途中縦走路を先行するご夫婦に追いつく。この縦走路で初めて会う人だ。それだけ歩く人が少ない道なのだ。ご夫婦をパスして先へ進む。
(踏み跡はしっかりしているが不安は募る)
岩記号の消える広い尾根に差し掛かる辺り(線の閉じた小ピークが北東に二つ続く所)で水根に下る道標がある。但し東に出てしまうのでエスケープには不適だろう。分岐を過ぎ再び岩記号に差し掛かると第二展望台がある。展望は良いのだが目ぼしいランドマークがないのが少し寂しい。第二展望台から下った鞍部にも展望がある。第一展望台直下の断崖の様子も見える。鞍部から登った先が第一展望台のある後山(鍋転山422.7)である。東屋にベンチ、三角点がある。第二展望台と比べると下津原の集落が見える程度である。ここまで来ればゴールも近い。杉林の脇を下っていくと国道461号の分岐に出る。ここは国道までの距離が短くエスケープに最適である。分岐を過ぎ月居トンネルの直上に近づくと今度は東に向かって461号へ下る分岐に出会う。地形図には道が描かれていないが月居トンネルに出る道なのだろう。
(水根分岐)
(第二展望台の岩場)
(第二展望台からの眺め)
(第二展望台と第一展望台の鞍部からの眺め)
(第一展望台である後山)
(第一展望台からの眺め)
トンネルのある鞍部からは厳しい傾斜の登りとなる。ここに来て初めてロープの掛けられた斜面を登る。縦走路中もロープのほしいところがあったのだが、こちらは観光客も間違って来てしまうこともあるので付けられているのだろう。傾斜が緩くなるところで道が分かれる。何となく岩の露出した道を選ぶと展望の良い道である。岩を遮二無二上がると岩頭の一画に出た。東にあるゴルフ場から縦走路を越えて袋田の街までが見える。月居山だけ登るのならここまでは来る価値があるだろう。急な岩尾根を下るとまだ登りがある。最後の力を振り絞って急坂を登ると樹林に囲まれた小平地に出た。この辺りがおそらく月居山であろう。かつては山城が置かれていたこともあり随分と広い。奥のほうに小高いところがあって上がってみると標石が置かれ、「月居山423m」と書かれた山名板が括り付けられていた。
(月居山への登り)
(月居山頂上手前の展望地からの眺め)
(月居山頂上)
展望がないので息を整えたら下り始める。ここもロープの垂れ下がる急坂だ。足にもガタがきているので初めてロープを摑んで下りる。ロープのある坂が終わるといくらか傾斜が緩くなる。すると小学生くらいの兄妹が登ってきた。地元の子だろうか。山頂に何かあるか聞かれたので何もないと答える。日没まではあと1時間あるので真っ暗になる前にはあの子たちも下りてこられると思うが…。木の間越しにお寺のお堂らしきものが見えてくると鐘突き堂のある鞍部に下り立つ。ここまで来ればほぼ下界と言っていい。さてここから何処へ下りようか。生瀬の滝へ行く道はもう一座越えなければならないので流石にこれはパス。直接袋田の滝へ下りる道を行くことにしよう。袋田温泉方面への舗装路を下りると温泉への分岐に出る。道標に従って袋田の滝へ石段を下る。ここに来ての長い石段はきつい。生瀬富士が見える小平地を過ぎれば、男体山・月居山登山口の碑が立つ茶店街に出る。ここまで来れば一安心。目の前の茶店でカキ氷を頼む。極楽じゃ~。携帯も通じるので家族に連絡を入れる。ついでに列車の時間を調べると17時半過ぎにあるようだ。
(北にある寺院の建物らしい)
(鐘撞き堂)
(登山口の碑 ここまで来れば下界と同じ)
(茶店からの眺め 滝川の対岸に見える岩肌)
(カキ氷 暑い日は美味いよね)
さて袋田に下りてきた大きな理由は袋田の滝を見に行くことである。茶店の主人に聞くと茶店の前の道を奥へと進んでいけばよいと言う。狭い舗装路を多くの観光客とすれ違うとつり橋が見えてくる。つり橋からはテレビなどでよく見る袋田の滝の姿が良く見える。つり橋を渡ると観瀑台へのトンネルがある。ここで入場料を払うことになる。場違いな気がしつつも入場料を払って中へ入る。エレベーターで新観瀑台へ上がれるそうだが、まずは旧観瀑台へ向かう。コンクリートの観瀑台からは滝が目前に迫るが見やすいとは言い難い。水量も少ない感じだ。エレベーターは混んでいると待つようだが、空いていたので係員さんと二人で乗り込む。新観瀑台は二段になっていて滝の上部が良く見える。ただ距離は大分遠い。もう一度旧観瀑台に寄りトンネルを奥へと進む。イルミネーション地帯を抜けると先ほどの茶店の対岸に出たようだ。この辺りも売店が多い。後は温泉に入れればと思ったが周辺の温泉は日帰り入浴の時間が終わってしまっていた。つくづく残念だ。売店も閉まり始めたのでお土産にさしみこんにゃくを購入する。ここから袋田駅までは40分近く掛かった。袋田の駅舎も木造の可愛らしいものである。列車を待っていると辺りは夕闇に包まれていった。
(つり橋からの袋田の滝)
(観瀑台からの袋田の滝)
(新観瀑台からはこんな感じに見える)
(観瀑台近くのつり橋)
(月居山と水郡線の鉄橋)
(袋田駅)
DATA:
西金駅10:26~11:37古分屋敷~11:50大円地~12:33大円地越~13:03奥久慈男体山~13:32滝倉(長福)分岐~13:57白木山分岐~14:57第二展望台~15:11後山(第一展望台)~15:45月居山~16:16男体山・月居山登山口~17:46袋田駅
地形図 大中宿 袋田
ハイキングコースの詳細については大子町のHP(ホーム> 観光> 大子町の魅力紹介> 観光スポット> 自然> ハイキングコース)に詳しく載っています。
東京方面から行く場合は交通アクセスに難があるため、前泊することをお勧めします。
9月に入ったら山歩きをする予定でいたのですが、夏場の疲れと天候の悪さ、そして母親の看病となかなか山に行けない日々が続いています。このままだと9月も終わってしまいそうな雰囲気なので、7・8月に続いて過去編を更新することにしました。2008・2009年9月期は奥武蔵以外の山域へよく出かけていたのですが、天候の悪い日が多かった印象です。なお記事は当時書いたものをそのまま載せていますが、一部注釈を入れてあります。
前日に大菩薩嶺を歩き(※ 両親と歩いたときのもの。現状ではアップする予定はありません)若干疲れが残るものの、ツーデーパスの残りを使って遠目の山に出撃することにしたい。前日から天気が悪く夜は雨も降っていたので、急な雨に降られても安心の低山へ行こうと決めた。ツーデーはまだ2500円しか使っていないので、最低でも2500円以上使わないと損である。そこで以前から懸案となっていた奥久慈男体山へ行くことにした。日帰りだとギリギリの時間となりそうな感じだが、まだ9月なので真っ暗になることはないだろう。
茨城の山は自宅からはそれほど遠くないのだが、列車の接続が悪い。今日も4時間近く掛けて水郡線の西金駅まで行かなければならない。それでも所沢を6時台に出ればよいので普段よりは少し楽だ。武蔵野線・常磐線と乗り継ぎ、水戸駅で水郡線に乗り換える。列車は真新しいディーゼルカーで初めて乗る車種だ。車両に着いている立派なトイレには驚きである。出発30分前に着いたのでのんびりと席を確保していたのだが、出発する頃には立ち客が溢れるほどの混雑ぶりである。この路線そんなに観光地があったのだろうか。列車が動き出すとディーゼルカー特有のエンジン音がけたたましい。外の風景もまだそれほど田園風景という訳でもなく、埼玉の街中と変わりはない。列車に揺られること40分も経つとようやく田園地帯に入ってきたという感じとなる。それでもまだ山奥という雰囲気ではない。一つ前の下小川駅辺りからだんだんと山に入る雰囲気となってきた。それでも西武秩父線のほうがまだ山岳路線の雰囲気がある。
(西金駅と水郡線の車両)
今日の出発地となる西金駅は立派な木造駅舎の建つ無人駅である。ここから登山口である大円地までは1時間半の車道歩きとなる。駅前の車道を渡り国道へ出ると意外にも車の往来が激しい。この辺りの住民は皆車生活をしていることが窺える。男体山登山口と書かれた看板に従い川沿いの道を歩く。10分ほど歩くと断崖絶壁の連なりが見えてきた。久慈川の流れによって削られて出来たもので、今日歩く奥久慈男体山から月居山までの縦走路もその一部である。川沿いの山村風景はこれから山を登るのでなければ楽しいのだが、今日の行程の中では多少苦痛を伴う。アスファルトの道は足に優しくないし、晴れ間が覗くと照り返しが暑い。しかも天気予報と異なり茨城は時々晴れて気温が大分上昇しているようだ。古分屋敷の集落に着くとようやく男体山が眼前に現れる。所々岩が露出し迫力のある山だ。一段と低く鞍部となっているのが大円地越だろう。集落の終点に登山届の箱があるので提出していく。細い車道を下りていくと大円地集落の手前が駐車スペースとなっていて、多くの車が停まっている。多くが県外ナンバーだ。大円地の集落に入ると開けた山村となっている。大円地山荘には営業中の幟も立ち、山奥にしては人の賑わいがある。道標に従って集落内を進むと一般コースと健脚コースとの分岐に出る。ここを登山口とするとちょうど駅から1時間半が経っていた。
(登山口へ向かう車道から)
(9月といえば彼岸花)
(男体山が見えてくる)
(男体山から大円地越)
(大円地集落)
当初健脚コースを進むつもりであったが、もうすぐ正午なので一般コースを登って時間を短縮することにする。一般コースには崩壊地注意の看板も立っているが、むしろ健脚コースの古い鎖のほうが危険なはずだ。暗い植林の中を入っていくと九十九折の道が続く。最初こそ土留めの木段があるが、それ以降は傾斜が急でも歩きやすい道だ。この辺りで下山する人と擦れ違うようになる。途中崩壊地となっていたであろうガレ場の側を通るが、落石にさえ注意すれば問題のない所だ。雑木林が多くなり沢の詰めが見えてくると大円地越である。ベンチの置かれた広場となっており、ここで今日はじめて休憩を取る。それにしても上手い具合に道が付いているなぁと感心する。
(一般コースへ向かう)
(大きくジグザグを繰り返すためトラバースしながら登っていく)
(ここまで来れば大円地越まであと一息)
(大円地越)
少し体力を回復したので山頂を目指すことにする。まずは雑木林の中をジグザグに登る。尾根に取り付く手前がロープの掛かる一枚岩となっているが、意外と簡単に登れてしまう。一枚岩を登り切れば平坦な尾根道歩きだ。かつては山火事があって絶壁までが剥き出しになっていたらしいが、現在は雑木林が成長した気持ちの良い道となっている。絶壁の縁を歩くようになると潅木類が多くなる。南側の展望が素晴しい。天気が良ければもっと凄い光景だったに違いない。縁から外れるときつい登りとなる。潅木類が成長し山火事跡は大分回復しつつあるようだ。ここも下山してくる人が多いので山頂の混み具合を聞いてみると、まだかなりの人出があると言う。潅木帯を抜け、再び縁を歩くとアンテナが見えてくる。アンテナの脇を通るとひょっこりと山頂に出た。
(ロープのかかる一枚岩)
(落葉樹の森を行く)
(絶壁の縁からの展望)
(山火事の跡らしい 山頂が見えてきた)
(山頂に建つアンテナ)
奥久慈男体山(653.9)の山頂にはアンテナ施設と社があり、三角点のあるところを中心に切り開きがある。そこそこ広い山頂だが展望はアンテナ施設のあるところだけが遮られている。社の建つ辺りは絶景ポイントだが高所恐怖症の私にはちょっと近寄り難い。社の裏側から見るとちょうど長福の集落が見下ろせる位置にある。集落の隣にある長福山はなかなか存在感のある山だ。三角点のある辺りからは大円地集落を見下ろす形になる。東側の展望が開けないのが残念なところだ。ひとまずお握りを頬張り下山先を考える。ここから月居山まで3時間は優に掛かるだろう。現在13時を過ぎているので暗くなるギリギリのところで着くはずだ。天候が崩れる気配はない。また来る機会は当分ないであろうし、思い切って袋田まで足を延ばそう。そうとなればのんびりとしている暇はない。
(男体山頂上)
(社が建つ)
(社の裏側からの展望 右に見えるのが長福山)
(男体山の三角点)
(南側の展望)
北へ延びる道を探すがどこから下りればよいのか見当が付かない。社の前の道を登ってきた親子に聞くと健脚コースを登ってきたと言う。地形図で判断した限りではその道を下るのが正しそうだ。急な坂をストックでバランスを取りながら下ると東屋が見えてきた。道標には月居山と書いてあるようだ。この道で良かったらしい。東屋まで下りて来るとここも長福集落の展望が素晴しい。東屋から笹の生い茂る縦走路に入る。山火事の影響なのか高い木が少なく、雑草や潅木類が道を覆って煩いところがある。ただ踏み跡ははっきりしているし傾斜も緩い。一箇所一枚岩のトラバースがあるが濡れているのでもなければ危険はないだろう。滝倉・上小川駅と書かれた道標のある分岐は長福集落へ下りる道のようだ。分岐を過ぎると曲がりくねった道を進むようになり、現在地の把握が難しくなる。振り返ると男体山のアンテナがまだ見える。鞍部に差し掛かる辺りから頭上を高い木が覆うようになる。雑木林が多いが熊はほとんど居ない地域であることが救いだ。絶壁の縁を歩いているはずだがそういった雰囲気は微塵も感じさせない。539のピークを何時の間にか過ぎてしまったようで、白木山の分岐まで来てしまった。
(月居山方面へ向かうと東屋が見えてくる)
(東屋からの眺め)
(笹の茂る道)
(踏み跡ははっきりしている)
(滝倉分岐 左に下ると長福集落に至るようだ)
(滝倉分岐からは少しだけ展望がある)
(木が茂り、現在地の把握が難しい)
(曲がりくねった道なので道標は完備されている)
(絶壁の縁を歩いている雰囲気はない)
(白木山分岐)
分岐からは急な下りとなる。ストックがあるので恐さは感じないが、思ったよりもタフな道である。急坂を下りきると長いトラバースとなる。薄い踏み跡を辿っていくと谷に傾斜した道が多くなる。山慣れていない人には厳しい道だ。谷側にストックを突いてバランスを取るようにして進む。時折大きく谷へ下るところもあり、道を間違っていないか不安が募る。大体曲がり角に道標があるが、一箇所沢を登るところで曲がり角がある。そこだけは道標がないので沢を登り過ぎないように注意が必要だ。地形図ではさほどきつくないように見える傾斜でも実際は急傾斜の岩がちな尾根であることもある。思ったよりもアップダウンがきつい。途中縦走路を先行するご夫婦に追いつく。この縦走路で初めて会う人だ。それだけ歩く人が少ない道なのだ。ご夫婦をパスして先へ進む。
(踏み跡はしっかりしているが不安は募る)
岩記号の消える広い尾根に差し掛かる辺り(線の閉じた小ピークが北東に二つ続く所)で水根に下る道標がある。但し東に出てしまうのでエスケープには不適だろう。分岐を過ぎ再び岩記号に差し掛かると第二展望台がある。展望は良いのだが目ぼしいランドマークがないのが少し寂しい。第二展望台から下った鞍部にも展望がある。第一展望台直下の断崖の様子も見える。鞍部から登った先が第一展望台のある後山(鍋転山422.7)である。東屋にベンチ、三角点がある。第二展望台と比べると下津原の集落が見える程度である。ここまで来ればゴールも近い。杉林の脇を下っていくと国道461号の分岐に出る。ここは国道までの距離が短くエスケープに最適である。分岐を過ぎ月居トンネルの直上に近づくと今度は東に向かって461号へ下る分岐に出会う。地形図には道が描かれていないが月居トンネルに出る道なのだろう。
(水根分岐)
(第二展望台の岩場)
(第二展望台からの眺め)
(第二展望台と第一展望台の鞍部からの眺め)
(第一展望台である後山)
(第一展望台からの眺め)
トンネルのある鞍部からは厳しい傾斜の登りとなる。ここに来て初めてロープの掛けられた斜面を登る。縦走路中もロープのほしいところがあったのだが、こちらは観光客も間違って来てしまうこともあるので付けられているのだろう。傾斜が緩くなるところで道が分かれる。何となく岩の露出した道を選ぶと展望の良い道である。岩を遮二無二上がると岩頭の一画に出た。東にあるゴルフ場から縦走路を越えて袋田の街までが見える。月居山だけ登るのならここまでは来る価値があるだろう。急な岩尾根を下るとまだ登りがある。最後の力を振り絞って急坂を登ると樹林に囲まれた小平地に出た。この辺りがおそらく月居山であろう。かつては山城が置かれていたこともあり随分と広い。奥のほうに小高いところがあって上がってみると標石が置かれ、「月居山423m」と書かれた山名板が括り付けられていた。
(月居山への登り)
(月居山頂上手前の展望地からの眺め)
(月居山頂上)
展望がないので息を整えたら下り始める。ここもロープの垂れ下がる急坂だ。足にもガタがきているので初めてロープを摑んで下りる。ロープのある坂が終わるといくらか傾斜が緩くなる。すると小学生くらいの兄妹が登ってきた。地元の子だろうか。山頂に何かあるか聞かれたので何もないと答える。日没まではあと1時間あるので真っ暗になる前にはあの子たちも下りてこられると思うが…。木の間越しにお寺のお堂らしきものが見えてくると鐘突き堂のある鞍部に下り立つ。ここまで来ればほぼ下界と言っていい。さてここから何処へ下りようか。生瀬の滝へ行く道はもう一座越えなければならないので流石にこれはパス。直接袋田の滝へ下りる道を行くことにしよう。袋田温泉方面への舗装路を下りると温泉への分岐に出る。道標に従って袋田の滝へ石段を下る。ここに来ての長い石段はきつい。生瀬富士が見える小平地を過ぎれば、男体山・月居山登山口の碑が立つ茶店街に出る。ここまで来れば一安心。目の前の茶店でカキ氷を頼む。極楽じゃ~。携帯も通じるので家族に連絡を入れる。ついでに列車の時間を調べると17時半過ぎにあるようだ。
(北にある寺院の建物らしい)
(鐘撞き堂)
(登山口の碑 ここまで来れば下界と同じ)
(茶店からの眺め 滝川の対岸に見える岩肌)
(カキ氷 暑い日は美味いよね)
さて袋田に下りてきた大きな理由は袋田の滝を見に行くことである。茶店の主人に聞くと茶店の前の道を奥へと進んでいけばよいと言う。狭い舗装路を多くの観光客とすれ違うとつり橋が見えてくる。つり橋からはテレビなどでよく見る袋田の滝の姿が良く見える。つり橋を渡ると観瀑台へのトンネルがある。ここで入場料を払うことになる。場違いな気がしつつも入場料を払って中へ入る。エレベーターで新観瀑台へ上がれるそうだが、まずは旧観瀑台へ向かう。コンクリートの観瀑台からは滝が目前に迫るが見やすいとは言い難い。水量も少ない感じだ。エレベーターは混んでいると待つようだが、空いていたので係員さんと二人で乗り込む。新観瀑台は二段になっていて滝の上部が良く見える。ただ距離は大分遠い。もう一度旧観瀑台に寄りトンネルを奥へと進む。イルミネーション地帯を抜けると先ほどの茶店の対岸に出たようだ。この辺りも売店が多い。後は温泉に入れればと思ったが周辺の温泉は日帰り入浴の時間が終わってしまっていた。つくづく残念だ。売店も閉まり始めたのでお土産にさしみこんにゃくを購入する。ここから袋田駅までは40分近く掛かった。袋田の駅舎も木造の可愛らしいものである。列車を待っていると辺りは夕闇に包まれていった。
(つり橋からの袋田の滝)
(観瀑台からの袋田の滝)
(新観瀑台からはこんな感じに見える)
(観瀑台近くのつり橋)
(月居山と水郡線の鉄橋)
(袋田駅)
DATA:
西金駅10:26~11:37古分屋敷~11:50大円地~12:33大円地越~13:03奥久慈男体山~13:32滝倉(長福)分岐~13:57白木山分岐~14:57第二展望台~15:11後山(第一展望台)~15:45月居山~16:16男体山・月居山登山口~17:46袋田駅
地形図 大中宿 袋田
ハイキングコースの詳細については大子町のHP(ホーム> 観光> 大子町の魅力紹介> 観光スポット> 自然> ハイキングコース)に詳しく載っています。
東京方面から行く場合は交通アクセスに難があるため、前泊することをお勧めします。