3月11日という日は1月17日や9月1日と並んで防災意識を高める日として定着してきました。特に今年は能登半島で大きな地震があったため、改めて備えをしておこうという人は多いと思います。防災への備えというと備蓄品というモノに目が向きがちです。もちろん水やトイレットペーパー、食料が重要なことは福島で被災した経験上言うまでの無いことです。但し備蓄にばかり話題が集中するのは少々引っかかる部分もあります。というのも被災後の生活というのはわかっているつもりでも予想外のことが多く出てきます。
今回の能登半島地震でも水が使えないことでどんな不便が生じているか報じられた中に「風呂に入れない」ことというのがありました。水の必要性というと飲料水あるいは下水のためというイメージがありますが、お風呂に入るというのも結構重要だったりします。ボクが福島で被災した時は10日ほどで水道が復旧し、その数日後安定して水が出るようになってようやく風呂に入れるようになりました。それでも震災から2週間くらいの間風呂に入れなかっただけでもストレスを感じたものです。ましてや着の身着のままで避難した人や日々復旧作業に携わっていた人のストレスは大きかったことでしょう。
被災中の不便さというのはある程度時間が経てば慣れてしまうものではありますが、事前に知っておけば順応が早いのも事実です。そこで時間のあるときに敢えて不便な生活をしてみるというのはいかがでしょうか。たとえば丸一日電気・水道・スマホを使わない生活をしてみるのです。全部を制限しなくてもどれか一つだけ使わない生活をしてみるだけで本当に備蓄が必要なものも明白になりますし、また苦労もわかってきます。特にスマホを使わない生活をすると情報入手を如何にネットに頼っているかがわかります。今回の能登半島地震ではあまり大きな問題として取り扱われていませんでしたが、東日本大震災のように広範囲で被害が出ると通信制限が行われる可能性があります。そうなるとスマホはほとんど役に立ちません。当時ツイッターの有用性が大いに喧伝されていましたが、停電と通信制限が同時に起きていた地域では携帯ラジオのほうが遥かに有用だったということは知っておいてほしい所です。
これからも日本という国で暮らし続けるのならいずれは大きな災害に遭うという覚悟は必要です。モノの備蓄は最優先事項ではありますが、同時に不自由な生活を経験することで不便さを乗り切る知恵も身に着けていく必要があると思っています。
今回の能登半島地震でも水が使えないことでどんな不便が生じているか報じられた中に「風呂に入れない」ことというのがありました。水の必要性というと飲料水あるいは下水のためというイメージがありますが、お風呂に入るというのも結構重要だったりします。ボクが福島で被災した時は10日ほどで水道が復旧し、その数日後安定して水が出るようになってようやく風呂に入れるようになりました。それでも震災から2週間くらいの間風呂に入れなかっただけでもストレスを感じたものです。ましてや着の身着のままで避難した人や日々復旧作業に携わっていた人のストレスは大きかったことでしょう。
被災中の不便さというのはある程度時間が経てば慣れてしまうものではありますが、事前に知っておけば順応が早いのも事実です。そこで時間のあるときに敢えて不便な生活をしてみるというのはいかがでしょうか。たとえば丸一日電気・水道・スマホを使わない生活をしてみるのです。全部を制限しなくてもどれか一つだけ使わない生活をしてみるだけで本当に備蓄が必要なものも明白になりますし、また苦労もわかってきます。特にスマホを使わない生活をすると情報入手を如何にネットに頼っているかがわかります。今回の能登半島地震ではあまり大きな問題として取り扱われていませんでしたが、東日本大震災のように広範囲で被害が出ると通信制限が行われる可能性があります。そうなるとスマホはほとんど役に立ちません。当時ツイッターの有用性が大いに喧伝されていましたが、停電と通信制限が同時に起きていた地域では携帯ラジオのほうが遥かに有用だったということは知っておいてほしい所です。
これからも日本という国で暮らし続けるのならいずれは大きな災害に遭うという覚悟は必要です。モノの備蓄は最優先事項ではありますが、同時に不自由な生活を経験することで不便さを乗り切る知恵も身に着けていく必要があると思っています。