友人宅から帰宅して翌日は歯医者さん、クリーニングしていただいて「良いお年を」になりました。
またその翌日、台風が来そうだしでもTwitterフォロワー限定バーゲンがあるし、新宿オカダヤに行きました。
そして買ってきたのが飽きもせずまた毛糸です。これに手を付けるのはまだ先の事ですが。
「お昼はカップラーメンがいいなあ」と帰り道近くのスーパーによったのですが、カップラーメンはほとんどありませんでした。
あれ?台風が来るため?私も少しは準備しようか?と車から寝袋を出してきました。
去年の台風の時ベッドの頭にある窓を叩く風の音が怖くて、台風の時は下の部屋で寝ようと思っていたのですが、ベッドも布団もないのでせめてもです。小さなランタンとデジヲのヘッドライト、枕等。
西側の出窓は仕方ないのですが、一番弱そうなベランダ側の掃き出し窓には大きな梱包材のプチプチを貼りました。見ると向かい側のお宅では窓にガムテープを貼っています。食料や水は普段から備蓄しているので心配ありませんが、高原で買ってきた大根を煮て、大鍋でキムチ鍋を煮て冷蔵庫にしまいました。これで3日くらいは大丈夫、と夜を迎えました。
台風の進路を見ると風は酷いことにはならないだろうとは思うものの、携帯にはエリアメールと防災メールがひっきりなし、近くを流れる新河岸川と荒川が危ないらしい。荒川が氾濫したらどうなるんだろう。
そして夜9時45分ごろ、急に風が強く吹いたと思ったら屋根に何かぶつかる音!猫も思わずおびえるくらいの音です。そのすぐ後にもトタン板が風にあおられるような音がしてきます。これはうちの出窓の屋根が飛ばされたに違いない!でなきゃ屋根か?しかし、ここで外に出るわけにはいかないし、出ても何も見えないだろうし、怖くてたまりませんでした。
その後徐々に雨も風も収まってきたのでベッドで寝ましたが、怖くて寝られません。仕方ないからまたテレビを付けますが、1時間おきにトイレに行きたくなる、結局4時ごろ新聞が配達されたのを聞いてやっと寝られました。
翌朝まず外へ出てみたらこんなものが落ちてました。
板切れです。一体どこから飛んできたんだろう。ちょっと高いところまで行って我が家の屋根を見ましたが、別段変わった様子はありませんでした。良かった。
夕方お隣の奥さんが見えて「ウチの屋根から飛んだものです」とのこと。見ると屋根材もお隣に落ちてました。一枚はお隣のベランダに落ちていたそうで、それが風にあおられていたようです。
そんなこんなで久しぶりに井戸端会議をして、内心「ウチでなくて良かった」と思いつつ、残りのキムチ鍋を片付けました。
そして手持無沙汰だった土曜日、勿論編み物してました。
昭和57年だったかデジヲが住んでいた家が床上浸水したことがありました。今回の台風ではデジヲが住んでいた辺り一帯水につかったようです。
段々多くなる災害、快適な生活を追い求めてきた私たちの罪なのかもしれません。少しは災害地に思いを向けて生きていかねばなりません。
いざとなって何にもできない
夏の猛暑時
ただの暑さではない
何かが起きるのでは~と
ひたすらおにぎりだけを~
早めの避難
役所に連絡するも
避難勧告では学校開放していませんと
冷たく云われ
強風、凄まじい雨で
過ぎ去るのを待ちました。
大きな都会を洪水から守るために上流で氾濫させている、という声も聞こえてきました。天災だから仕方ない、というのも見直した方が良いのかもしれません。
コスモス様
彼方此方でそういう声を聴きました。恒例のお母さんは区民だからいいけど、付き添いの家族は他県民だから入れない、とか。一体誰のための避難所なのでしょうか、はなはだ疑問です。