あ可よろし

「あきらかによきこと」は自分で見つける・おもしろがる
好奇心全開日記(不定期)

銀杏岡八幡神社

2010-05-08 | 散歩
うちの最寄り駅からJR総武線に乗ってトコトコと、山手線を突っ切ったところにある駅が、何かと話題の秋葉原。その次の駅が「浅草橋」になります。駅名には「浅草」の文字はありますが、正確にはここは浅草ではありません。
浅草橋とは、神田川にかかる浅草寺の門前橋であり、都心と浅草を結ぶ橋の名前です。お隣の秋葉原のイメージとは全く違ってガサガサしていない土地で、いきなり「下町に来ちゃった」って気分になるところです。そう言えばTV番組で「浅草橋ヤング用品店」ってありましたね。

ちょいとした用事があって浅草橋の駅を利用した日、考えてみたら「通過はしていても降りたことのない駅」であることに気がつきました。そこで、帰りは浅草橋から秋葉原まで歩いてみることにしました。
現在の浅草橋は、駅周辺にビーズアクセサリーパーツのお店や雑貨店、さまざまな店舗用品を取り扱う店などがたくさんあります。中でも目立つのは、有名人形専門店のビルがいくつもドド~ンと建っていること。「秀月」とか「久月」とか「吉徳」とか…。丁度五月人形の時期だったので、店頭は勇ましい雰囲気に溢れており、これがお雛様の時期だったら、かなり華やかだったろうなと想像しました。
そんな大通りからひょいと路地を覗いたところ、神社があるような雰囲気が…。行ってみると、確かにそこに小さな神社がありました。
その神社の名前は「銀杏岡八幡神社」。平安中期の創建であると伝えられているそうです。

陸奥の豪族の阿部氏が反乱を起こした頃、朝廷は源頼義とその息子・義家に鎮定を命じました。陸奥に下向の折り、この地で休んでいたところ、隅田川の川上から流れてきた銀杏の枝を拾いました。義家が「朝敵退治のあかつきには、枝葉栄えべし」と願い、枝を丘に挿して陸奥へ向かいました。
苦戦の末、康平5年(1062)に阿部氏を平定し、帰路についた義家が再びここに立ち寄ったところ、丘に挿した銀杏の枝が大きく茂っていたそうです。義家は、阿部氏平定は神の御加護があったから成し遂げられたものと感謝し、この銀杏の元に祠を建て、太刀を捧げて「八幡大神」としました。
その後、銀杏はさらに大樹になって、隅田川や街道を往来する人々のランドマーク的存在になったそうです。そして「銀杏塚」などと呼ばれていたということです。

お社の隣にスクッと立っている大きな銀杏の木が、その当時のものであるとは考えられないのですが、それでもかなり立派な銀杏の木です。この季節らしく鮮やかな緑の葉をたくさん茂らせている姿を見ると、実にすがすがしい気分にさせてくれました。
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2 コメント

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いい風景ですね^^ (おかぴー)
2010-05-09 08:51:51
>浅草ヤング用品店
たしかルー大柴が出ていたやつですよね(違ってたらごめんなさい
浅草には行ったことは無いのですが、時々TVで見る雑貨屋さんとか
駄菓子屋さんとかがとてもいい味を出してますよね

こういう古き良き日本を感じさせる風景は、次の世代に残して
おきたいですね
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おかぴーさん (とみ)
2010-05-10 22:50:19
ええ、確かに『浅草橋ヤング用品店』にルー大柴、出てましたね。
その後の『ASAYAN』の方がメジャーになっちゃいましたけど、こっちの方は見てなかったです、私

浅草橋近辺を歩いていて、ここで神社に参拝できるとは考えてもいなかったので、
この散歩、ちょっと得した気分にさせてくれました。
お天気も良かったですしね~
周りは背の高いビルだらけでしたが、こういう日本らしい風景は、残さなきゃ、ですよね~。
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