あ可よろし

「あきらかによきこと」は自分で見つける・おもしろがる
好奇心全開日記(不定期)

あの頃の読書 ③

2008-01-30 | 本(文庫本)
わりと近くに私立の女子高があり、朝、通学する生徒たちとすれ違います。進学校なのでアブナイ感じの子はいないのですが「お勉強はできるのかもしれないけど、もう少し公共マナーを身につけてもらえないかしら」とオバちゃんは感じているのだよ。
そんないまどきの高校生たちの読書は「携帯小説」が主流なのだそうです。何もかもが携帯ひとつで済んで、便利といえば便利。でも何か味気ないように思うは私だけでしょうか。

高校生の頃の私は、雑誌は片っ端から読んでいましたが、小説などはそれほど読んでいたわけではなく、まったく「文学少女」ではありませんでした。それでも太宰治の作品は好きで読んでいました。
何がそんなに良かったのか、あの頃からン十年も経つとすっかり忘れてしまいましたが、おそらく「ちょっと斜めから世間を眺めて、フッとため息をつくような感じ」みたいなところに惹かれていたのかも。そういうことが「こどもっぽくない」と思っていたのではないかと分析します。

上京してから、太宰に縁のある場所を訪ね歩いたこともありました。例えば玉川上水。太宰は玉川上水で入水自殺(作品は好きでも生き方は嫌いです)をしていますが、今の玉川上水を見ると「ここでどうやったら死ねるの?」というくらいの水量に首を傾げてしまいます。
それから「桜桃忌」に三鷹の禅林寺にも行きました。記念に「生まれて、すみません」のでかい根付みたいなものを買ったように記憶していますが、現物はどこへ行ったものなのやら…。

太宰の作品は退廃的だったり根暗っぽい作品ばかりかというとそうではなく、ユーモアの溢れるものもあるし、読んで背筋が伸びる言葉がちりばめられていたりします。たぶん「少女・とみ」は、そういうところにも惹かれていたのではないでしょうか。

「生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」(『斜陽』)

「世の中に於ける、僕の実力、おおよそかくの如し。笑いごとではない。」(『斜陽』)

「人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。」(『パンドラの匣』)

「そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。」(『人間失格』)

「気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。」(『おさん』)

今また読むと、あの頃よりもより一層ズシッと響く言葉たち…。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
津島さん (とみ)
2008-02-08 20:09:19
いえいえ、気の利いたことが書けなくてすみません
もちろん、おススメした作品以外も面白いので、楽しんでくださいね。
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Unknown (津島)
2008-02-07 23:30:39
ありがとうございました。教えてもらった作品から読んでみようと思います。
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津島さん (とみ)
2008-02-07 22:03:51
太宰の本名と同じお名前の津島さん、こんにちわ。はじめまして。
検索してここがヒットしたんですか? 本当にようこそいらっしゃいました!

太宰の小説を読むようになったきっかけは、高校の現国の教科書にあった『津軽』でした。
そんなに詳しくはありませんが『津軽』や『二十世紀旗手』をとりあえずおススメしておきます。
いちばんのオススメは『お伽草子』。これだけは外せないです。
よろしければまたいらしてくださいね
返信する
Unknown (津島)
2008-02-06 22:15:37
太宰治で検索していたらここを見つけました。こんにちわ。
人間失格は読みましたが、あとは何がおすすめですか?いろんな作風があるみたいなので、もっと読んでみたいので教えてください、お願いします。
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