テレビは「身近な存在」です。
アンテナにさえつながっていれば、電源を入れるだけで観ることができます。
いわゆる「アナログ地上波」であれば、視聴料は無料。
(スポンサー企業に、間接的にお金を払っていることにはなるわけですが)
喜怒哀楽がたくさん詰まっていて、友人に近い親しみを覚えている人も少なからずいるのでしょう。
でも。
身近なところに住んでいる人が、無条件に「いい人」であるとは限りません。
それと同じで、テレビも「身近な存在」ではあるけれども、「正直者」であるとは限らないわけです。
「正直者」イコール「すばらしい」「愛される」わけではないことくらい、判っています。
世の中、そういう理屈だけで動いているわけではないでしょうから。
だから、テレビなんてものは(他のメディアだって同じですけれども)、眉に唾して接するべきなんだろうと思っています。
つまり、どんな番組であれば、必ず何かしらの「偏向」は存在するに違いない、と。
ダイエットは「博打」だろうと、個人的には思っています。
「博打」というのは、結局のところ「親元」が儲かる仕組みになっているそうです。
部分的には勝つことができても、トータルで見ればやっぱり負けなのでしょう。
究極的には、「運動と食物摂取のバランスを取る」ことで贅肉を落とすしかないことは、まともな人間であれば判っているはずのことなのですよね。
ただ、博打には博打なりのおもしろさがあるわけです。
だから、まあ身を滅ぼさない程度に、あるいは周囲に過度な迷惑をかけない程度に、本人が楽しくやってくれればそれでいいのかな、と思っています。
とある医学博士が「食べるだけでやせるなんて食物があるとしたら、それは逆に身体にとって有害なものである」ということを言っていました。
太るということは、基本的には「摂取したカロリー」>「代謝で消費されるカロリー」という図式になるわけですものね。
体調を崩したときに、体重が減ることはよくありますが、だからといって「インフルエンザ・ダイエット」みたいなものが流行るわけもありません。
緊急医療の分野において「トリアージ」という概念があるそうです。
命にかかわる怪我をしていて、なおかつ手を尽くせば助かる見込みのある患者から、まず治療をしていく。
絶命の危険性が低い軽症は、後回しにするわけですね。
どの患者だって、自分の怪我を治してほしいわけです。
しかし、緊急治療の現場(特に災害救助)においては、治療者の数が圧倒的に少ない状況が大半のはずです。
有限の時間を使って効果的な治療を行うには、そういう「順位付け」が大切になるのですね。
大事なことは、トリアージのような概念を僕らが知っておく必要がある、ということです。
パニックを起こした状況では、そうそう理性的になることはできないかもしれません。
しかし、少なくとも知識として持っておくべきではないかと思います。
「落石注意」とかかれた看板に対して、「どうやって注意するんだよ?」という突っ込みを入れたくなることがありませんか?
でも、ああいう警告を見ておくと、いざというときの対応速度が数秒変わってくるらしいんですよ。
自動車くらいの速度において、ブレーキを踏むのが1秒変わるだけで、停車位置がメートル単位で変わるわけです。
その数メートルの差で、助かる命があるかもしれません。
話が飛びまくってますが、つまるところ僕らはもっと賢くなる必要があると思うのです。
さまざまなメディアで、さまざまな情報が飛び交う時代において、結局のところ「自分の判断で」情報を選び取る以外に手はありません。
(そう考えると、いわゆる義務教育では基礎知識の習得が大切になるわけですよね)
絶対的な正義/悪がないように、どんなものにもメリット/デメリットが存在するはずです。
毒物を身体に入れたら、誰だって体調はおかしくなるわけです。
それでも、ある程度の毒を入れないと「免疫」が作られないかもしれない。
盲信するのではなく、常にある程度の「疑い」を持ちながら、ことに望む。
そういう姿勢を、できるだけ保つよう努力する必要があると、僕は思います。
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