とみしゅう日記

我が弟子に勝手に捧げる文章

コロナ禍まっただ中の日々、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

緊急事態宣言がとりあえず解除となり、恐る恐るという感じでいろんな人が日常を取り戻そうと試行錯誤している。

そんな気がします。


僕にとっての「日常を取り戻す作業」のひとつが、先日更新したブログにも書いた「映画館に行くこと」。

さらにもうひとつが「弟子に会うこと」。

弟子といっても、別に徒弟制度が残る何かに関わっているわけではありません。

僕が「弟子」と呼んでいるその人は、正確に言えば「職場の元同僚」です。

年齢が僕の方が上で、業界のキャリアも僕の方が長かったし、同じクライアントを担当することになったため、僕が「指導役」になったわけです。

弟子は数ヶ月にわたり、慣れない「英日翻訳のトレーニング」を続けました。

イギリス生まれということもあり、本人としては英語の方が得意だったようで、日英翻訳の経験はあったとのこと。

本人も自分の日本語能力にはずっと不安があるようでした。

しかし、まがりなりにも足かけ20年以上この業界で働いてきた僕の目から見て、弟子の翻訳力は及第点に達していました。

仕事柄、自分で翻訳するだけではなく、校閲(他の翻訳者が翻訳したものをチェックする作業)も多かったのですが、弟子から「この翻訳、ちょっと変だと思うんですけど」と相談された箇所は、僕の目から見ても不自然だったし、なにより「そこをおかしいと思える」というセンスは大したものだなと(やや上から目線ですが)何度となく思ったものです。

こんな形で仕事上のアドバイスをすることが多かったため、冗談のように「師匠」「弟子」と呼び合ったりすることもありました。

とは言え、師匠であるはずの僕は、弟子からよく注意をされていたものです😅

いわく「話が長い」「言っている意味がわからない」「さっきと言っていることが違う」「冗談がつまらない」などなど。

いろいろな意味で頼りない師匠だったと思います。

それでも、お互い好き勝手なことを言いながら、仕事はそれなりにこなせていたと思います。

あと半年もらえたら、弟子の英日翻訳スキルをさらに伸ばせたのではないかとも思っています。

ですが、社内の都合&本人の希望によって、違うチームに異動になり、結果的にはお互いのニーズが合わなくなってしまい、弟子はうちの会社を辞めることになりました。

僕としては心底悔いの残る事態となってしまいましたが、それでも弟子が僕のことを師匠と認めてくれたことが唯一の救いでした。


僕は、仕事上で知り合った人と「友人」になったことがほとんどありません。

今の職場の同僚たちは、みな素敵な人たちですが、それでも「友人」と呼べる人はほとんどいません。

僕自身が社交性に乏しいということ。

自己評価が低いため、「こんな自分と友達になってくれるわけがない」と卑屈になっていること。

仕事とプライベートは分けるべきだ(と相手は思っているに違いない)と思い込んでいること。

理由はいろいろあります。

それでも、ごく数人ですが、僕にとって「職場でもプライベートでも仲の良い人」は何人かいます。

弟子も、その1人です。


年齢も相当離れているし、上記のような理由で、こちらからプライベートで親しくしようなどとは、全く思っていませんでした。

ですが、仕事に関するミーティングで、少しでもお互いの緊張をほぐそうと、くだけた感じで話すことを続けていたところ、だんだんと「この人、ひょっとして、思っているよりもふざけた人なのでは?」とお互いに気づき始めたようで😅

弟子いわく、「自分は好き嫌いがはっきりしている」そうで、僕にはどうやら「好き」のラベルを貼ってくれたようです。

お互いカラオケが好きということもあって、仕事帰りに憂さ晴らしで歌いに行くことも増えました。

弟子は酒が飲めないし、僕は歌いながら酒を飲むのが嫌い(喉が弱いので、アルコールが入るとすぐに声が枯れてしまう)というところも、利害が一致していたのかもしれません。

前述の通り、弟子にはしょっちゅう叱られていましたが、それはつまり「お互い余計な気をつかわずに話せる」ということでもあります。

歳を重ねるにつれ、誰かに叱られるという経験は減っていきます。

それでも、僕は持って生まれた「後輩風を吹かせる」性質のおかげか、SNSでも突っ込まれることが多くあったように思えます。

それは本当にありがたいことです。

自分で気づけないダメなところを、弟子はガンガン突っ込んでくる。

ただ、それは僕を傷つけたいから言っているわけではなく、言われたこっちも「ああ、なるほど、確かにそうだったな」と思えることばかりです。

さっきも書いたように、弟子は好き嫌いがはっきりしているタイプの人です。

今となっては仕事上の利害関係もないわけで、僕との人間関係を続けることは仕事上のメリットはもはやありません。

にもかかわらず、弟子が新しい仕事についた後も、月に何回かは会う機会がありました。

カラオケに行ったり、一緒にご飯を食べたり、弟子の家で一緒にアニメを見たり。

弟子はONE PIECEが大好きなので、その影響で僕もアニメ版を一緒に見るようになったのです。

弟子には、他にもいろいろなことを教えてもらいました。

どっちが師匠なんだかよくわからないくらいに😅


弟子にはいろいろな意味で幸せになってほしいと、心から祈っています。

翻訳のセンスは間違いないところだし、理系の素養も十分にあるから、仕事の面では大成することでしょう。

プライベートについても、ここでは詳しく書けませんが、まあきっと大丈夫。

もはや師匠として、君に教えられることは何ひとつないだろうけれど、仕事上の付き合いがなくなってもなお師匠のことをかまってくれる君は、弟子の鑑です。

いずれ「嫌い」のラベルが貼られる日が来るかもしれないけれど、君は僕にとって生涯「弟子」です。

弟子は師匠をいろいろな意味で超えてこそ、本当の師匠孝行になるわけで。

その点については、僕は確信を持っています。


僕の弟子になってくれてありがとう。

これからも、ダメな師匠を暖かく見守ってください。

できた弟子の足を引っ張らないよう、僕は僕でがんばっていきます。

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