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出雲王国2 クナ族の渡来

2024-03-14 08:02:48 | いつも出雲

 

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「出雲王国とヤマト政権」 ー伝承の日本史ー

富士林雅樹著 大元出版

より敬意を持って引用させていただく

p26 1行

第二章 クナ族の渡来

1.インドのクナ国

縄文時代に日本で最も早くできた広域の統一王国は、出雲王国であった。その王国をつくった人々は、大陸から移住してきた集団であった。かれらのことを、イズモ族と呼ぶ。
出雲の旧家の伝承では、「イズモ族は今から約4000年以上前に、鼻の長い動物の住む国から民族移動して、日本に来た」と、伝えられている。鼻の長い動物 (ゾウ)が住む国とは、インドであると考えられる。

のちにイズモ族となる民族は、インドのクナ国という小王国に住んでいた。そこの王は、クナト王と呼ばれていた。クナ国は、現在のインド・マディヤ・プラデーシュ州のグナという町であったらしい。この民族のことをクナ族と呼ぶ。
古代初期にインド半島全域に住んでいたのは、ドラビタ族であった。だからクナ族も、ドラビタ族に属していた。

 

ィキペディアより引用

マディヤ・プラデーシュ州(マディヤ・プラデーシュしゅう、英語Madhya Pradeshヒンディー語मध्य प्रदेशIPA[məd̪ʰjə prəd̪eːʃ]、「中央の州」の意)はインドの中央部にあるの一つ。州都はボーパール。人口は72,626,809人(2011年)。面積は308,144km²で、インドの州では現在2番目の規模であり、2000年にチャッティースガル州が分離するまでは国内最大の面積を占めていた。

File:Madhya Pradesh in India (claimed and disputed hatched).svg - Wikimedia Commons

File:Madhya Pradesh in India (claimed and disputed hatched).svg - Wikimedia Commons

 

 

 

2.母系家族制の国

ドラビタ族は農耕民で、かれらの社会は母系家族制であった。母系の家族では、子供を産む女性が優遇され、食事のときには男性より先に良い物を食べた。そのため、女性は男性のように体がたくましかったという。
家の主人は母親で、家の財産はすべて母親のものであった。子供たちは、一生を母親の家で暮らす決まりがあった。

母親は息子よりも娘を大事にして、娘を家の跡継ぎにした。
娘が成長すると、子孫を増やすために、別の家から婿を取った。婿が自分の娘にふさわしい人物か見極めるのは、母親の役目であった。

婿は昼の間、自分の生まれた家に住んでいて、夜だけ妻の家に通った。これは、万葉集にも表れている妻問婚つまどいこん(夫が妻のもとに通う婚姻の形態)と同じことであった。子供は夜のみ通ってくる父親よりも、家の主人たる母親の方を尊敬した。

シナは父系家族制であったので、シナの使節が日本に来たときに、母系家族制の様子を見て、珍しく思ったのだろう。『三国志』「魏書」には、日本の家族の様子が記録されている。

まず住む場所については、「父母と兄弟は、寝る場所が異なる」と書かれている。つまり母親と娘は母屋に住み、息子たち兄弟は物心がつくと、男だけが住む別棟に移された。夜に通って来る父(通い婿)は、母親とともに母屋おもやに寝た。


また、「その同居と座席での振る舞いには、父と子の間、妻と夫の間の違いがない」と書かれている。父系家族制では父親が威張り、家族の中で優遇されるが、母系家族制ではそうではなかったことがわかる。日本の家族は、母親が中心で男親はおとなしかったという。

動物の哺乳類の社会も、ゾウやライオン、シカ、イノシシ、シマウマなどは、母系家族制である。子供は母親と共に暮らしていて、群れのリーダーは母親である。母親が死ぬと、その娘が群れの新しいリーダーになる。父親は群れとは離れて、遠くで暮らしている。そして繁殖の時期になると、群れに合流する。繁殖が終わると、また群れから離れていく。狩猟をする時などにそのような動物の家族形態をよく目にしていた古代人にとって、母系家族制はごく自然なものに感じられていたのかもしれない。

このように、古代人の家族形態は現代とは大きく異なっていたため、現代人には理解しがたい面がある。しかし古代史研究においては、この家族形態の理解が大変重要である。

古代の人々にとって一番大切なことは、自分の子孫が確実にできて増えることであった。そのため古代初期までは、世界中で母系家族制であった。

たとえば、古代エジプトでも母系家族制が見られる。エジプトの神話では、メスライオンの頭部を持つ女神セクメト (強力な女性の意味)が、最強の破壊の女神として描かれている。


また、古代エジプト王家は男権家族であったが、跡継ぎは母系の血筋で決められた。当時は重婚社会であったので、王の后や妃が産んだ息子であっても、本当に王の血を引いているかわからなかった。そのため、彼女たちが産んだ息子は跡継ぎにはなれなかった。かわりに、王と同腹の姉妹が婿をもらって、生まれた男児が次の王となった。

つまり娘は、確実に母親の血を受け継いでいる。その娘が産んだ娘もまた、母系の血を受け継いでいる。それが代々繰り返され、王家の血筋が母系で保たれていった。
母系家族制は、古代人の宗教観にも表れている。古代では、家庭で拝む先祖神は、母側の先祖であった。なぜなら、拝む人の立場から考えると、その人の血は、母親や祖母から受け継いだことは確実である。一方父親は一緒に住まないので、馴染みが薄い。さらに数代前の男系の先祖になると、どこの家の人間かもよくわからず、あまり尊重されなくなる。世界中の古代の遺物の中で、男神像よりも女神像の方が圧倒的に多いのは、このような理由によるものである。

母系家族制は、古代以降も長い間存続する場合もあった。日本の農村や漁村は、江戸時代半ばまで母系家族制であったという。

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「母系家族」の意味・わかりやすい解説 より引用

系譜相続などの社会的慣行において,母方親族を優位に認知し合う型の家族。系譜を母→母方の祖母→その母というようにたどり,下には娘→娘の娘とたどる場合がその例である。このように母系をたどる家族においては家系はもちろん,家名,家産,家業なども祖母→母→娘と継承されていく。 (→母系制 ) 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

 

3.クナ族のシベリア経由日本移住

クナ国には、以前からバイカル湖周辺に住むブリャート人の商人が、交易のために来ることがあった。彼らが 「大陸の東の海中に、住民の少ない温暖な島がある」と、教えてくれた。クナ国のクナト王は民族の発展のため、東への移住を考えた。

 

ウィキペディアより引用

ブリヤート人ブリヤート語Буряадロシア語Буряты)は、ロシア連邦モンゴル国中華人民共和国に住むモンゴル系民族。ロシア連邦内の人口は445,175人で、とりわけブリヤート共和国には全人口の約4分の1が居住している。白人であるロシア人による混血が進む(後述)。

概要[編集]

居住地域は、ロシア連邦内ではブリヤート共和国を中心にウスチオルダ・ブリヤート自治管区アガ・ブリヤート自治管区など。そのほかモンゴル国の北部、中華人民共和国内モンゴル自治区ハイラル区近辺(シネヘン)にも居住している。

バイカル湖の東に住む者と、西に住む者とでは、かなりの違いがある。東に住む者は、固有の文化を維持し、ロシア人との混血が進んでいないのに対し、西に住む者は、生活がロシア化され、ロシア人との混血が進んでいる。

バイカル湖に浮かぶオリホン島のブリヤート人シャーマン

File:Khagdaev 02.jpg - Wikimedia Commons

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クナト王は東への移住計画を発表し、移住集団への参加を若い元気な男女に説いた。その結果、数千人の応募があったようである。そして、クナト王と移住集団は、家畜の背中に食糧などの荷物を積んで出発し、まず北の山岳地帯を越えた。
出雲の旧家の伝承では、「クナ族は、砂の平原を通り、広い湖の近くから、長い川を流れ下って来た」という。「砂の平原」とはゴビ砂漠のことらしい。「広い湖」とはバイカル湖のことで、「長い川」とは黒竜江(アムール川)のことであると考えられる。

 

ウィキペディアより引用

ゴビ砂漠(ゴビさばく、モンゴル文字表記:ᠭᠣᠪᠢモンゴル語ГовьGoviГоби戈壁(Gēbì コービィ)、 Gobi)は、中国内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる砂漠。東西約1600km、南北約970km、総面積は約130万km2で、世界で4番目の大きさを誇る

File:Gobi Desert dunes.jpg - Wikimedia Commons

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バイカル湖(バイカルこ、ブリヤート語Байгал далайバイガル ダライ、「自然の湖」の意[5]ロシア語озеро Байкалozero BaikalIPA:[ˈozʲɪrə bɐjˈkaɫ] オージラ バイカール)は、ロシア南東部[6]極東連邦管区ブリヤート共和国イルクーツク州ザバイカリエ地方に挟まれた三日月型のである[7][8]。バイカル湖はモンゴル国境に近く、湖の最南端から100㎞ほど南下するとモンゴルとなる。「シベリアの真珠」[6][7][9]とも、ガラパゴス諸島と並ぶ「生物進化の博物館」[10]とも称される湖である。

File:Olchon1.jpg - Wikimedia Commons

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アムール川モンゴル高原東部のロシア中国との国境にあるシルカ川アルグン川合流点から生じ、中流部は中国黒竜江省ロシア極東地方との間の境界となっている。ロシアのハバロフスク付近で北東に流れを変えロシア領内に入り、オホーツク海アムール・リマン英語版に注ぐ。リマンとは川の河口を指し、リマン海流日本海を流れる海流である。オホーツク海の流氷は、アムール川からの流水により塩分濃度が薄くなったことによって凝固点が高くなった海水が氷結して形成される。

File:Amur River.jpg - Wikimedia Commons

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オホーツク海(オホーツクかい、ロシア語Охо́тское мо́ре英語Sea of Okhotsk)は、樺太(サハリン)・千島列島カムチャツカ半島などに囲まれた海で、北海道の北東に位置する。

太平洋縁海であり、カムチャツカ半島・千島列島によって太平洋と、また、樺太・北海道によって日本海と隔てられている。

File:Sea of Okhotsk map with state labels.png - Wikimedia Commons

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移住集団はアムール川上流に到着すると、木材で筏と権を作り、筏に食糧を乗せた。家畜は途中で食べたり、現地人と交換したりしたと考えられる。そして人々は筏に乗り込み、川の流れに任せて、数千キロメートルの距離を下っていった。歩き疲れることもなく、楽な旅であった。筏は間宮海峡を越えて、樺太島に着いた。そこから海岸沿いに南に進み、渡り島と呼ばれた北海道を通って、最後に津軽半島に上陸した。

 

ウィキペディアより引用

いかだ(筏・桴)は、木材など浮力を持つ部材をつなぎ合わせ、などで結びつけた、水上構造物である。 航行や養殖の目的に用いられており、用途に応じて船舶または浮きの集合体とみなされる。

File:Isarfloss.jpg - Wikimedia Commons

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間宮海峡(まみやかいきょう)は、樺太(サハリン島) とユーラシア大陸北満洲沿海地方ハバロフスク地方)との間にある海峡。北はオホーツク海、南は日本海に通じ、長さはおおよそ660km。最狭部の幅は約7.3km[1]、深さは最浅部で約8m。冬の間は部分的に凍結する

File:Strait of Tartary jp.png - Wikimedia Commons

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クナ族は、気候的にも穏やかで距離も近いシナや朝鮮半島方面を通らず、あえて環境の厳しい山岳地帯や、ゴビ砂漠、極寒のシベリア方面を選んで遠回りした。それは、武器を持つ異民族の国の中を通ると、襲撃されたり奴隷にされたりする危険があったためであった。

古代の世界各地では、戦争で捕虜になった男性は、その子孫を絶やすよう去勢され、労働力として使われた。女性が捕虜になる場合は、その息子が去勢された。
 インドから海岸伝いに船で日本に来るルートも、海岸沿いに住む異民族の襲撃に遭う可能性が大きかった。また、当時は筏や丸太船を使う時代であったので、長距離の航海は必ずしも安全なルートではなかった。それは、のちの遣隋使、遣唐使の時代に、大型船ですら天候悪化で遭難していたことからもわかる。

クナト王は、信頼のおけるブリャート人に先導を頼み、遠回りではあるが、人があまり住まない最も安全なルートを選択したものと考えられる。

 

次回に続く



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