今回は、鎮魂行の行法をまとめて備忘録的にご紹介する
カテゴリー「超能力者のためのヨーガ・スートラ」において、「ヨーガ・スートラ」の解説をしている
「呼吸、生命、霊魂、光」はまとまった観念という
では、太古神道では、「光」についてどのような考え方をされているのだろうか
瞑想、鎮魂では、「光」が非常に重要な役割を果たしている
山蔭神道の鎮魂法とからめて、インドの覚醒者達の体験談集と言える、「ヨーガ・スートラ」と比較してご参考にしていただきたい
図解 ヨーガ・スートラ 著者・作図 伊藤武 (有)出帆新社
より敬意を持って引用させていただく
p241 3行
なお、最古層のヴェーダ文献では、プラーナやアートマンやアーユスは、「光 /エネルギー」をあらわすヴィラージ (ローマ字表記省略)とも渾然一体になっている。つまり、古代インド人にとって「呼吸、生命、霊魂、光」は切り離すことのできない、まとまった観念だったようだ。
ゆえに、ヨーガにおいて、「プラーナをイメージする」ときは「光を観じる」、ことが、秘義というかコツになってくる。
p109 1行
ヨーガの障碍と心の安定を得る法
(ローマ字表記省略)
あるいは、憂いを離れ、光輝[あるときも心の安定が得られる]
では、山蔭基央氏の著書では、「光」をどのようなものとしてとらえているのだろうか
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の神秘 古神道の思想と行法」春秋社
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
こちらの書籍は絶版になる前にご購入をおすすめする
p188 2行
さまざまな境域
鎮魂の行を続けていると、実にさまざまな境域を体験する。それは人によってまったく異なるもので、これが正しい過程だと一概に言えるようなものでは ない。
すわっていると、異様な眠気におそわれることがある。私の教わった流儀では、眠るなら眠るがよろしい、ということである。眠りっぱなしではいけない。一度深い眠りに落ちて、それから醒める。その酬めた状態と眠りたい状態との接点に、微妙な隙間があって、そこに落ちるとまったくの別世界がある。それもまた無念無想の谷間なのである。
初歩の人でも容易に体験するのが、光である。脳裏にまばゆいほどの光が溢れたり、金色の霧に包まれるような気がするのである。しかしこれはあくまで前駆状態である。
これをさらに進めていくには、小さな太陽を額の中央に想い描く。あるいは丸い月でもよい。そのようにしていると、やがて、自分でも驚くような輝く太陽ないし月が見えるのである。これは空想ではなく実際のように見える。
山蔭家に伝わる秘伝では、「霞、 煙、 太陽、 風、 火、 蛍光、 水晶、 月」を見るとされている。また、光とは逆に、まったくの漆黒が現われることもある。
「神道の生き方」は絶版、現時点で古本は存在するようだが、やはり数は少ないのでいつ入手困難になるかわからない
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシング社
敬意を持って引用させていただく
p122 2行
❖光の玉のビジョンを視る
太古神道の修行者には、必ず光の玉を連想せと命じている。
鏡を見て瞑目する。その見える反転した幻影は黒い玉だが、それがさらに光の玉に反転する、というように。
これができない気根の者は、直径十センチの黒玉の絵を描いて、それを凝視し、瞑目すると、白い玉に反転してくる。その反転した白い玉が輝いてくると、光の玉となる。その光の玉の幻想のなかを通って神霊が感応する。その時間は瞬の時間である。それを仏教では無念無想の境地といっているようだ。
『日本書紀』一書あるふみの一、天照大神誕生のくだりに、「イザナギ尊、左の手に白銅鏡ますみのかがみをもちたまふとき、化出なりいでます神を天照大神。右の手に白銅鏡をもちたまふとき、化出ます神を月弓尊つくゆみのみこと」というとある。
『日本書紀』本文では、天照大神のことを、「光華明彩ひかりうるわしく・六合照撤あめつちにてりとおる」神と表現するが、これは、本文ではないにせよ「一書の一」であり、まことに重大な記述である。
神霊とは光り輝いている存在で、その象徴が、日光を反射する白銅鏡のようなものという理解があって、この物語を逆転させたものが『日本書紀』の一書であるとしたら、修行者にとって重大な教示である。
神主と呼ばれる人々は太古の昔からいて、毎日、神明奉仕をしてきているのだが、瞑想 (鎮魂)修行をしていた人はわずかである。その多くは社殿管理に追われ、祭儀・祈禱も、定められた作法のみとなっている。
したがって、今や神霊の実在を体験する方法すら不明となってきているのであり、あまつさえ、こうしたことを語ることがタブー視されている。それは鎮魂を指導する神主が絶無になったということである。
しかし、光の幻想はほんとうは誰でも拝することができる。
それを可能にするためには実修あるのみで、修行方法も多種におよぶ。だが、根本にあるのは、光り輝く鏡を連想すること、黒い玉を反転させて白い玉を連想することだ。要は光のビジョンを見ることが重要なのである。
普通一般の人でも会得できるが、ただし、辛抱強く一つことに集中するならばという条件がつく、慣れてくると集中は瞬時にできるものだ。しかも深い幻想の中に入れる。
幻想 (ビジョン)を描いていると、心の中に光 (イルミネーション)が現れる。太古神道が生活規範として「明るく、清く、直すなおに、正しく」と言い伝えたのは、この幻想や光を常に維持できるためだとしたら、なんとすばらしい教訓だろう。
人間は長時間、同じ姿勢や心の状態を継続することはできない。とりわけ無念無想を長時間続けるなど不可能である。そうしたことができるのは特殊な人だけだ。
そこで凡人 (一般人)は、瞬またたきの谷間に入るようにするのである。注意深く光の玉を幻想していると、光の玉から出る不思議な誘いに乗せられて一瞬の光の中に入っていく。
そのとき瞑想者は、自然時間とはまったく異なる別次元の時間に入っていくのである。もし四次元という語を用いることが許されるなら、四次元世界に入るのであろう。
この四次元世界への入口である瞬の谷間という時間は、修行者にとって、限りなく重要な時間なのである。
山蔭神道の考え方では、「呼吸」は、「浄化」と「宇宙エネルギーの吸収」
「己貴秘伝」は絶版、古本は高価となっており入手困難と思われる
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「己貴秘伝」霞ヶ関書房
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
p42 2行
(ロ)正しい呼吸とは
正しい呼吸は深く静かなる呼吸と同時に、さまざまの呼吸法がある。即ち霊魂浄化、意識浄化のため、宇宙のエネルギーを呼吸するのである。(別伝ロイ)
「瞬きの谷間」に入れる山蔭神道の鎮魂法はこちらから
鎮魂法は「その11」からはじまる
神様のエネルギーは渦、そして山蔭神道の鎮魂法はそのエネルギーを
神様のエネルギーは渦、そして山蔭神道の鎮魂法はそのエネルギーを
そもそも、なぜ山蔭神道の鎮魂法を行うとスゴいことになるのか解説
やっぱり本を読みたい!山蔭神道の鎮魂法がわかる参考書籍
(当ブログは、超低予算作成ゆえ無料画像しか使っていない、なので「日の丸鉢巻き」の画像がコレしか無かったので、説明文を入れてみたら、思いのほか「おばかブログ」感が出てしまったが)
つまり、言いたいことは、この鉢巻きを実際にして、「小さな太陽を額の中央に想い描く」鎮魂法を行ってみたら、鉢巻きに描かれた小さな太陽のイメージが強く残っているから、意外とうまく行きそうな感じがする
額には、「第三の目」、第6チャクラがある、
身体を動かすヨーガは、よく知らないが、以下の書籍から敬意を持って引用させていただく
クンダリーニ・ヨーガ
著者 シャクタ・カー・カルサ
p39 7行
第6チャクラ:眉間のチャクラ
額の中央、眉より少し上に位置し、下垂体に関連しています。「第3の目」とも呼ばれ、直感を司ります。
機能:「見えないものを見、知られざるものを知る」ことができる場所です。直感を司り、無限の叡智の源に直接つながります。
瞑想を通じて頻繁に活性化すると、下垂体の分泌が盛んになり、より直感的になることができます。超能力ではありません。超能力的な力は、第3チャクラのエネルギーを使います。エゴが生じる主観的な力で、直感的なカとは違います。