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ヨーガ・スートラ5 超能力覚醒3 サマーディ 心の安定を得る法

2024-06-23 08:07:18 | 超能力者のためのヨーガ・スートラ

 

今回は、ヨーガ・スートラの第一章三昧の中の「ヨーガの障碍と心の安定を得る法」の中の抜粋の最後、これが重要そうという項目を取り上げる、なお、他の項目もという方は、本書をお読みいただきたい

山蔭神道の鎮魂行を続けられて、「瞬きの谷間」を既に体験された方なら、解説は実体験と照らし合わせて読んでゆくと、「ああ、そういうことだったのか」と合点がいくのだが、一度でも、鎮魂行や瞑想の体験がない方には、どうしても理解が難しいのではと思われる

だが、「未体験の人間にも何とか分かるような内容」を実体験からまとめてみようと試みた方がいる

そもそもこの本の生い立ちは、筆者パタンジャリが、旅をする様々な瞑想行者達から聞き取り調査した瞑想体験談の集大成を記したもののようである

本書p5 8行

深い森のなかにヨーガのアーシュラマ (僧院、道場)がありました。パタンジャリはそこの院長でした。王の庇護を受けるアーシュラマで、食糧には困りません。そのため、さまざまな思想と行法を有する漂泊のサードゥ (乞食こつじき行者)がしばし腰を休め、また旅立ってゆきます。

p6 9行

パタンジャリは、サードゥたちからの聞き取りを極度に簡潔化したスートラ調の文体に作りかえました。

では前回に引き続き、「ヨーガ・スートラ」について、参考になる部分を解説してゆく

 

この著書は、実践的な解説部分が大変参考になる、一方、仏教的な部分は参考にしない、人体の生成などではカタカムナの内容と異なる部分もある

神道は回りくどいことを嫌う、あまりに複雑すぎる概念は、集中には無用に思う

瞑想の種類は、沢山あり解説すれば切りがないが、「まずは、やってみる(実践)」、「やって、感じて、考える(正しいやり方に沿っているか)」、それには、最低限必要な知識でまずスタートする

太古神道の鎮魂法も瞑想法の一つといえる

 

あとは、「何か変」、「何かうまくいかない」と感じることを大切にし、内なる自分が感じている違和感に常に気をくばる、そしてそれは何が原因となっているのかを感じとり、原因を排除し、改善することで良いと思う

 

「何が正しい状態」かを知っているのは、自分の心、直観は自分の心の声、「感じたこと」を何より大切にする

「何が間違っている」かを知っているのは、自分の心、直観は自分の心の声、「感じたこと」を何より大切にする

「強力な集中」とは、太古神道の直日霊、神の分霊、カタカムナのアメノミナカヌシ、と言われる「自分の核になっている存在」が感じていることを、ダイレクトに感受するために必要なこと

 

現代人は、浅いレベルの思考を優先させてものを考える癖が付いてしまっている

それが、自分の心が発する声を受け取れなくしている

まずは、その癖を無くした状態を体験して、体得することを目指す

 

自分の核になっている存在」は常に正しい判断を下している

あとは、そこにアクセスするために、「集中」すればよい

 

ヨーガスートラの解説の目的

「集中」をするための方法と、「集中の進行度合い」をはかる体感とはどうのようなものかを参考にする

 

ポイント

○ 著書の仏教的内容において「カルマ」の概念はあえて参考にしない

その概念は、太古神道の教えに反する、常に心身の「清明」な状態を保つためことが基本なので、無用な概念と思う

つまり、精神を暗くする概念は、当ブログでご紹介した、中村天風氏の完全積極精神、籐平光一氏の心身統一法、柳川昌弘氏の「見の目弱く、観の目強く」『五輪書』など、心身をリラックスさせ、不動心を確立させ、人間の最も強い状態をつくり、潜在能力をフル稼働させることの妨げになる

過去や未来に思考が縛られることを避け、今、今、現在に100%焦点を合わせて、自らを今ここに完全集中することが重要に思う

過去や未来に焦点を向けさせるカルマの概念は、「集中」の「障り」にしかならないと感じる

 

図解 ヨーガ・スートラ 著者・作図 伊藤武 (有)出帆新社

より敬意を持って引用させていただく

著書引用部分 茶色文字

 

 

p113 23行

あるいは、望むものを瞑想することから[心の安定が得られる]。

 

パタンジャリは、心を安定させる対象として、最後に、

ーなんでも、お好みのものを

と説く。

p114 18行

「一点集中」の原則が、娯楽やおしゃべりのすべての内にあり、なんらかの恩恵を与えているのであれば、瞑想者は、心を安定させるという意味において、より素晴らしい対象を選ぶことができよう。

 

「一点集中」=物事に没頭する=「身(ミ)を入れる」

日本人には、日常何でも一生懸命「身(ミ)を入れて」やってしまうクセなのか、文化なのかがある

それはまるで、日常的に「ゾーンに入ってしまう」ような生活である、いつから日本人はそうなっているのだろうか?

日本の上古代約12000年以上前のご先祖様のカタカムナ人は、「ミ」についてどのように感受し、悟っていたのだろう、カタカムナの文字は日本語の源流らしい

カタカムナの一文字思念「ミ」の意味は

「宇野多美恵解釈・総集編 日本の上古代文明とカタカムナウタヒ (第一巻)」 潜象物理学会p30~敬意を持って引用させていただく

「ミ」いう日本語は、三・実・身・見・味・美などの漢字にあてられているが、漢字の表相的な意味以上の「ミを入れて」とか「ミを以て」など精神的な意味をこめて使われている。

その「という上古代語を造ったカタカムナ人の造語の思念は、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ」の「ミ」であって、潜象のカムの「ミ」は「カミ」、現象に変遷したアマの「ミ」は「ミナカヌシ」であり、我々の生命体イノチ生命力アワ生命力の最小単位の粒子マリ「ミ」である。【「アワ」も「」も自分の生命イノチの実質であるが、潜象の電気粒子であるから、現代人は自分の身でありながら気ミエナイがつかないのである。】

自分が『生きている』ということは、自分の生命の感受性が感受したものをとして生物脳のアマナミナカヌシに入れる』ことであると、自分の無意識領域の共振波動でワカルようになることが、カタカムナの勉強(感受性の鍛錬)の第一歩なのである。なぜなら「は無意識領のものであるが、確かに、自分の生命体の中に存在する生命力の実質の電気粒子であるから、自分の感受性アワを鍛えて、次々と入ってくる「ミ」と共振して新しい生命力を発生している状態を感受できるようになれば、その無意識の感受を判断して、意識(認識)に出すことも出来るわけである。これが、「感受性アワ」のよって「人間脳サヌキ」を鍛えることであり、カタカムナ人は、正直に自分の「感受性アワ」を鍛え、正直に判断を出し、それをコトバにして示していたのである。

昔から日本人が何となく自分の身のオクにあるココロ」と感じていたものは、この「アワ」のアマナの「ミ」の存在だったのである。

因みに、「ココロ」という上古代語の造語の思念は、彼らが自分の感受性の感受した状態をそのママ正直にコトバしたもので、『繰返しカムから正・反にあらわれる微粒子コロ』の意味である。「心臓」や「腸」などの観念の発想では無い。

 

「アマナ」とは、何かは 同書p30~ 敬意を持って引用させていただく

感受が起きた」ということは、目のレンズに光が当たり、網膜にうつった像が、電気粒子の」となって神経を通って生物脳の細胞の核内アマナに入った、ということであって、これが「生命」という現象の、あらゆる生命活動ハタラキのハジマリである。(「ミ」が入らなければハジマラない。)

さらに、カタカムナに関しては、カテゴリー「ガチ勢のカタカムナ」

 

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p114 30行

『ヨーガ・スートラ』のこの部分セクション( Ⅰー 32〜 39 )は、心を安定・浄化することについて語っている。深い瞑想そのものではない。が、「一点集中」のこの学びは、高度な瞑想の実践に、堅固な基礎を提供する。

 

p115 3行

彼 (心の安定を得たヨーギン)の支配力は、極微のものから極大のものにまで[及ぶ]。

ヨーギンの心の支配力は、すべての現象界に及ぶ

p115 12行

心の安定を得たヨーギンは、元素や原子を操作して、この世を意のままに造形することができよう。このテーマは、三章「超能力ヴィブーティ」で展開される。

心が意志マナスの支配下に入ったとき、その心は、大宇宙の神秘を映しだし、行為カルマを駆り立てるサンスカーラ (記憶因子☞ P五三)そのものを含めた、心の微細な成分を探査するための道具ツールとして用いることができる。

この心のコントロール、この極微〜極大にフォーカスする能力は、ゴールの独存(解脱)そのものではない。ヨーギンが最終ゴールに達したことを意味するある種のパワーがもたらされた、というのではない。

むしろ、それは、心を道具として訓練した明確な証拠である。そして、心は、ツールとして、以前には想像もできなかった方法で使われる。ヴィヤーサは註している。

ヴィヤーサとは 『ヨーガ・スートラ』の註釈書 ヴィヤーサ著『ヨーガ・スートラ註釈バーシャ(ローマ字音読表記省略)』六世紀ごろ

心は、最も微細なものパラマーヌに入るとき、原子パラマーヌのなかに確固たる地位を得る。

最も巨大なものパラママハトウに入るとき、確固たる精神の地位は大宇宙パラママハトウにまで達する。

彼の偉大なパワーは、極微・極大の双方に沿って延びる間、いかなるものにも妨害されることはない。このパワーに充ちたヨーギンの心は、習慣的な実践のための[権威づけなどの]精神的装飾の必要性のなかに、ふたたび立つことはない。

 

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今回はおさらい的な回だったが、次回の内容はこの上なく濃い目、三匹のグナに隠された重要な内容となっている、グナを蛇に例えている表現がとても上手い、カタカムナも関連してくる

次回 誰でも神と心を一つにすれば宇宙をつくれるワケとやり方 に続く

3匹のヘビで思い出すのは、この方々、何とも昭和なマジックショー、心の安定にもなるかも?



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