![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/c8/02dbb38689cbd4d0c25714f319562e66.jpg)
前回に引き続き、「ヨーガ・スートラ」について、参考になる部分を解説してゆく
この著書は、実践的な解説部分が大変参考になる、一方、仏教的な部分は参考にしない、人体の生成などではカタカムナの内容と異なる部分もある
神道は回りくどいことを嫌う、あまりに複雑すぎる概念は、集中には無用に思う
瞑想の種類は、沢山あり解説すれば切りがないが、「まずは、やってみる(実践)」、「やって、感じて、考える(正しいやり方に沿っているか)」、それには、最低限必要な知識でまずスタートする
太古神道の鎮魂法も瞑想法の一つといえる
目的
「集中」をするための方法と、「集中の進行度合い」をはかる体感とはどうのようなものかを参考にする
ポイント
○ 著書の仏教的内容において「カルマ」の概念はあえて参考にしない
その概念は、太古神道の教えに反する、常に心身の「清明」な状態を保つためことが基本なので、無用な概念と思う
つまり、精神を暗くする概念は、当ブログでご紹介した、中村天風氏の完全積極精神、籐平光一氏の心身統一法、柳川昌弘氏の「見の目弱く、観の目強く」『五輪書』など、心身をリラックスさせ、不動心を確立させ、人間の最も強い状態をつくり、潜在能力をフル稼働させることの妨げになる
過去や未来に思考が縛られることを避け、今、今、現在に100%焦点を合わせて、自らを今ここに完全集中することが重要に思う
過去や未来に焦点を向けさせるカルマの概念は、「集中」の「障り」にしかならないと感じる
図解 ヨーガ・スートラ 著者・作図 伊藤武 (有)出帆新社
より敬意を持って引用させていただく
著書引用部分 茶色文字
ブログ主解説部分 緑色文字
p23 「(図1)サーンキヤの構造(プラクリティの転変)と25原理の教えかた」より引用
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/09/cac33b514e8add8bffd5eb9f59212a1d.jpg)
図1の説明文で小さく読めないので、以下に書き起こす
(図1)サーンキャの構造(プラクリティの転変)と25原理の数えかたサーンキャは、<霊魂プルシャ>と<物質プラクリティ>の二元論で存在を解明しようとするインド最古の体系的哲学。プラクリティとは、サットワ(浄性)ーラジャス(激性)ータマス(鈍性)に3つのエネルギーが、ヘビとカエルとナメクジのようにすくみ合っている状態をいう。それがプルシャに視つめられて激性が興奮、鼎立が崩れてまず<元意識ブッディ>が産み出される。<元意識>はやがて<自我=アハンカーラ>に目覚める。つまり、「私アハン」ができるのだ。<自我>は<意識マナス>と<微細元素タンマートラ>に分裂する。そして、<意識>が<微細元素>に作用することによって、肉体および現象が形成される。われわれは、眼や耳や鼻などの感覚器官を通して世界を認識し、手や足など運動器官を通して世界を体験する。
語彙を分かりやすく箇条書きしておく
プルシャ 霊魂
プラクリティ 物質 サットワ(浄清)、ラジャス(激性)、タマス(純性)に3つのエネルギーで構成される
ブッディ 元意識
アハンカーラ 自我
マナス 意識
タンマートラ 微細元素
プラクリティを構成する三つの要素を詳しく解説している
p66 1行
グナ(ローマ字発音表記省略)には、「徳、美徳、才能、性質、弦」など多くの意味があるが、サーンキヤ用語としてのそれは、「徳」と漢訳され、プラクリティを構成する三つの要素——
○サットワ(ローマ字発音表記省略):照明、存在、光、直観、調和、清浄、歓喜または至福
○ラジャス(ローマ字発音表記省略): 活動、動作、エネルギー、変化
○タマス (ローマ字発音表記省略): 暗闇、停滞、安定性、鈍さ、重さ、無感覚、障碍
をいう。
三グナが完全な平衡にあるとき、宇宙は未顕現。それらのなかに変動または変容があるときにのみ、顕現 (宇宙創造)がはじまる。
さて、グナに、弓や琵琶ヴィーナーなどの「弦」の意があることに注目したい。インド武術の秘伝書に、
「グナ (弓弦 )には、純粋で、艶があり、結び目のない絹糸を求めるべし。三本の弦を取り、太過ぎもせず、滑リ過ぎもせぬよう注意し、小指の太さに縒よる。かような弓弦は戦闘中、張りを保持することができよう」 (『ダヌルヴェーダ本集』第 48頌)とあるように、弓弦もまた三本の絹紐を縒ったものからなる。
そして、こうした弦こそがサーンキヤのグナの原イメージなのではあるまいか。つまり、古代サーンキヤの徒は、この現象世界を、
—振動ヴァイブレーションである !と理解していたにちがいない。
赤・緑・青の光の三原色のブレンドからあらゆる色彩が生まれるごとく、プラクリティは、高い澄んだ音・烈しい音・低くて重い音をひびかせる三本の弦グナを張った琴を奏でて、心的現象を含む森羅万象しんらばんしょうをつむぎ出す。
現代の物理学では、光エネルギーと物質が同じものであるという。そして、物質の最小単位は原子よりも素粒子よりも小さい振動なのだという。振動数の遠いが、物質の違いとなって現れるのだという。古代サーンキャの賢者たちは、きつと、それと同じ見解をいだいていたのだ。
すなわち、潜在的な形で存在していた万象の実相が、顕在的な振動に変換されることによって宇宙が創造される。
この考えはカタカムナそのもの
世界は、音の宇宙法則に基づいて、みずからを展開してゆく。
三弦トリグナの神韻縹渺しんいんひょうびょうたる振動は、漸次ぜんじ、光へと変化してゆく。これは色彩——物質の世界と音の世界が、同じ法則によって支配されていることを示すにほかならない。
宇宙は、いわば音楽である。
p68 3行
有想三昧は、思念・思惟・歓喜・我想のかたちに応じて[ある]。
p68 9行
心はじゃっかん曇りのある鏡のような状態で、対象を九〇%以上は正しく映してはいるが、一〇〇%ではない。
有想三昧には、①ヴィタルカ、②ヴィチャーラ、③アーナンダ、④アスミタ—の段階がある。この順に瞑想の境地は深まってゆく。
思念 ヴィタルカ
思惟しい ヴィチャーラ
歓喜 アーナンダー
我想 アスミター
p72 8行
サマーディとは、瞑想者と瞑想の対象がひとつになることで、『ヨーガ・スートラ』の註釈者ヴィヤーサは、「ヨーガはサマーディの同義語」と述べている。そして、『ヨーガ・スートラ』にいうところのサマーディとは、いわば、
——純粋客観
中略
ヨーガはこの純粋客観をめざす。一切の心の活動を止め、そののち「観る」。心には、対象が無意識の思念に歪められることなく、100%ありのままに映し出される。100%ありのままに映し出される。
それが、『ヨーガ・スートラ』にいう「三昧サマーディ」だ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サマーディ(Samadhi)の音写である三昧(さんまい、サンスクリット語: समाधि、samādhi)は、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教、ヨーガなどインド発祥の宗教における瞑想で、精神集中が深まりきった状態のことをいう。三摩地(さんまぢ)、三摩提とも音訳され、定、等持と義訳される[1]。
サマーディの語は「組み合わせ」という原義から「心を等しく持すること」の意に転じたもので、サマーパッティ (samāpatti, 等至) とも意味内容はほぼ同じとされる[1]。
インドでは聖者の入滅をサマーディと表現する[1]。
p98 4行
病気・怠惰・疑念・不注意・不精・不摂生・妄想・不到達・不安定は、心の散乱。それらは[ヨ—ガの]障碍しょうがい。
阿闇梨は、心を訓練するさいに直面する九つの障碍を列記している。
① 病気(ローマ字発音表記省略)は、真つ先にあげられる障害だ。
p99 1行
サーンキャとアーユルヴェーダの密なる関係はよく取沙汰とりざたされるところだが、ヨーガにおいても最少限のアーユルヴェーダの知識は必要である。なんの知識もなしに、下手へたにプラーナーヤーマなどしようものなら、アーユルヴェーダでいうヴァータ疾患 (循環器障害や神経症)に悩まされることになるだろう。とまれ、身体を不浄視するヨーギンは多いが、無病アローガ (健康)な身体がなければ、ヨーガもできぬ。
籐平光一氏も「作為的呼吸法は不自然、最強なのは自然な呼吸」という内容をいっていた、私も全く同感だ、憑依され安いのは、体が弱い態勢の時、不自然なときだ、不自然な呼吸法も同様だ、だから氏の「常に氣を出している状態」を目指す考えも、言い換えれば、自然体で最強の心身の態勢を目指すこと
「天地の氣に合する道」=合氣道=カタカムナのマノスベ(天然自然マの変遷ノする方法スベ)
②怠惰(ローマ字発音表記省略)は行動することを妨げる鈍重さ、あるいは沈鬱である。
③疑念 (ローマ字発音表記省略)は三番目の障碍だ。われわれは従うべき道を知らぬとき、疑念をいだく。これは混乱の状態である。
④不注意 (ローマ字発音表記省略)急くこと、あるいは放縦)がその次にくる。われわれの行為はしばしば急いている。そくの場合、われわれはまず動き、それから考える。これはわれわれの大きな障碍となる。
からだに引きずられる心、ではなく、心が常にからだの統率者となるよう今に集中し、気を抜かない、身を入れる、氣を出す、「忙しい」と書いて、心が無い状態、となるから、行動に引きずられ心が置き去り、籐平光一氏の心身統一した体の動かし方、柳川昌弘氏の攻防一体の体の動かし方、は参考になる
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⑤不精 (ローマ字発音表記省略)は熱意の不足だ。われわれは大きな熱意をもってものごとを始める。が、じょじよにそれは薄れてゆく。これもまた進歩の障碍となる。
初心忘るべからず
⑥不摂生 (ローマ字発音表記省略)は規律の不足。われわれは感覚の対象に誘惑される。
⑦妄想(ローマ字発音表記省略)。われわれはしばしば現実から乖離した妄想のなかで生きている。現実に対峙するとき、それは手に負えないもの、受け入れがたいものとしてのしかかってくる。
前経で述べた「魔境」もここに含まれよう。
⑧不到達(ローマ字発音表記省略)は進歩の欠如である。われわれは計画を持ってものごとを進める。が、そのとおりには、なかなか進まない。ために、失望を味わうことになる。
くじけそうになったら思い出す、中村天風氏の言葉がある
「中村天風 一日一話」 財団法人天風会 株式会社PHP研究所
元気と勇気が湧いてくる、哲人の教え366話
より敬意を持って引用させていただく
1/5 やればできる
やらなければだめだよ、何だって。
やればできるんだから。
俺は不器用だとか、俺は物覚えが悪いだとか
それがいけないんだよ。
たとえ不器用だろうと物覚えが悪かろうと、
十遍(ぺん)やって覚えなかったら百遍
やってみろ。
百遍やって覚えなかったら千遍やれ、
そしたら覚えるから。
どんなことでも、できないことほど、
できると尊いことなんだから
一生懸命やれよ。
そうすると、だんだんだんだん
自分の生活自体が、自分の理想や希望に
近い状態になってくる。
中村天風
⑨不安定 (ローマ字発音表記省略)は、退化の思いである。われわれはときに進歩し、ときに後退する。この事実を受け入れることができないことが、進歩の障碍となる。
人生、山あり、谷あり、「幸せは、歩いてこない、だから歩いてゆくんだね、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで、二歩さがる、人生はワン・ツー・パンチ」
水前寺清子 365歩のマーチと(ヨーガだけに)インドに敬意を表しみゅーじっくスタート!
①〜⑨のどれかをもっている者は、「妨げられた者」と見なされる。しかし、これらは、ヨーガ行ぎょうにおいて「想定内」ということでもある。そうと知れば、障碍に出会うことがずっと気楽になるかもしれない。
「かような障碍がやってくる。先人たちもこいつらに出くわした」
と思えば、障碍にいかに対処するかについての、かれらの経験と指南に従うことも可能となる。
「障碍は想定内」と、思うことで不動心に向かおう
さて、本経は「病気……不安定は、心の散乱」と「それらは障碍」の二つの文から成る。
①〜⑨のいずれかの状態とぶつかることで、「心の散乱」が生じる。ある対象に精神集中しようにも、こいつらが文字どおりに心を蹴散らしてしまうのだ。
「心の散乱」は、意マナスに取り憑くや、心身を苦しめる「障碍」に化ける。
まず「心の散乱」、それを「障碍」が追いかける—という図式である 。
ゆえに、もし最初の「心の散乱」が起こらなければ、二番手の「障碍」も浮上しないであろう。
これは、非常に重要、「瞬時に集中できる」ことが理想、無駄なエネルギーを使わないし、「障碍」から「障碍」の後追いもなくなる
「障碍」は表層意識のざわつき、波立つ心の水面はやがて鎮まる
p101 1行
ヨーガの障碍と心の安定を得る法
(ローマ字発音表記省略)
苦しみ、絶望、身体の震え 、[乱れた]吐息・吸息は、[心の]散乱とともに生起。
これら四つの症状は、前経に説かれた九つの障碍の結果としての発生する。
①苦しみ (ローマ字発音表記省略)は「快適(ローマ字発音表記省略)ではない」というフィーリング。こうなると、息が詰まるような気がし、この状況を脱しようともがく。肉体的・精神的・感情的な苦痛をともなう。
②絶望 (ローマ字発音表記省略;または鬱うつ )には、悲観主義も含まれる。
③身体の震え(ローマ字発音表記省略)は身震い、体温の上昇、身体のどこかに不安感をおぼえ、静かに坐ることができないこと、など
④吸息(ローマ字発音表記省略)・呼息は、呼吸の乱れや呼吸困難。ぜいぜい と喘あえいだり、ハア〜ハア〜あるいはハアハアと息が異常に長くなったり、短くなったりすること、など。
これら四つの症状は、前経の「心の散乱」をもたらす九つの状態に比べて、わが身に起こったこととして、すぐに察することができる。潜在的な理由まではわからずとも、おのれの心身に何が進行しているかを自覚する手がかりとなる。その結果、正常な道に戻るための矯正行為を取ることが、ずっと容易になる。
これは知的な分析のように思われるかもしれないが、じっさいはまったく簡単で、きわめて有益である。おのれの実践、哲学、態度をただ顧かえりみることが、これらの障碍を弱めることを発見するかもしれない。
もっとも重要なことは、それは、集中力を一時的に失ったこと、一点集中に戻ることの合図であるかもしれないということだ。
集中が妨げられいる、体のどこかにストレスがかかっている可能性、憑依を疑うこともひとつ
「障碍」のサインを感じて、軌道修正のチャンス、ピンチをチャンスに変える
p102 16行
ヨーガの障碍と心の安定を得る法
(ローマ字発音表記省略)
一つのもの[に集中する]行は、それ(心の散乱、障碍)を阻止するために。
p103
「一点集中」は「実修」「離欲」とともに、その後の実践のすべての段階でキーツールであり続ける。
神道の修行法で、小石に一点集中し、その重さを変えるというのがある、重さを変化させるのが目的ではなく、いかに一点集中が出来るかなのだろう
恐るべき「一点集中」の威力!
ヨーガ・スートラでは具体的な超能力の方法を解説している
次回に続く