下の写真は、その昔、フルチューニングして実際に私が乗っていたトヨタ「セリカ1600GT」という愛車です。これはセリカの三代目で「スラントノーズ各目」と呼ばれていました。スラントノーズはデザイン。角目とはヘッドランプの形。
写真は箱根裏街道で自分で撮影して現像し、印画紙に焼いたものです。今でも自宅の自分の部屋に飾ってあります。
セリカという車は知る人ぞ知る、マニアックなこだわりのある人が好きな車です。トヨタが誇る名車の一つでもあり歴史があります。時代の流れとともに人気はすたれ、セリカブランドはなくなってしまいました。
セリカの歴代モデルの中で、最高傑作はニ代目セリカ。俗称「LB」といわれていたモデルで、排気量2000CCと1600CCがありました。1600CCの方が人気がありました。フットワークとエンジンがいいのです!
「LB」とはリフトバックの略称で、今ではハッチバックといわれているものです。トランクと後部座席の仕切りのない構造です。「LB」の斜め後方から見たラインとブレーキランプの縦目がなんとも美しい。そしてカッコイイのです。また、正面から見た車の顔がイカツイ。
2000CCは「18RG」という有名なトヨタが誇るツインカムエンジンです。1600CCは「2TG」というこれも最高傑作のツインカムエンジンです。ヘッドカバーが黒く艶消し塗装され、エンジンを見ているだけでもほれぼれするほど、カッコイイデザインです。ツインカムエンジンとは、カムシャフトが二本ある吸気性にすぐれた構造です。
初代セリカは俗称「ダルマ」というモデルで、これも人気がありました。後ろから見ると達磨さんを潰したような形をしているので、このように呼ばれていたのでしょうか。
ところで、写真の車は三代目セリカ1600GTのマイナーチェンジモデルです。当時、正面がスラントノーズと言われていた斬新的なデザインです。スラントノーズと後方デザインにより、「ダルマ」、「LB」とは違い、大人しいイメージの車にフルモデルチェンジしました。「セリカダブルエックス」というセリカの高級車も同時発売していました。
「ダルマ」と「LB」が暴走族に人気があり、あまりにも世間的に悪さをするので、トヨタの方針でイメージチェンジしたのかもしれません。
マイナーチェンジ前の三代目セリカは、ヘッドライトが丸いので「丸目」といわれ、やぼったい印象をうけるものでした。マイナーチェンジしたものはヘッドライトに四角いものを採用し「角目」といわれる、スマートな印象を受けるものになりました。
私は、イメージチェンジしたした三代目「セリカ1600GT角目」を以下のようにフルチューンして改造して乗っていました。
●1600CCから2000CCへボアアップすることにより、1600CCのひ弱な馬力とトルクをアップしました。1速ギアのトルクはかなり強烈でした。急発進をすると、扁平幅広タイヤが悲鳴を上げていました。ボアアップとはシリンダーの内面を削って排気量を増やすことです。1750CCにボアアップすることが多く、これを「イチナナゴーマル」と呼んでいました。
●フライホールを軽量化することにより、アクセルとエンジン回転のレスポンスをよくしました。空ぶかしをすると、タコメーターが一気にレッドゾーンに突入します。フライホイールとはいわゆるハズミ車のことです。
●キャブレターではなかったので、嘘か誠かインジェクションをパワーアップできるという代物を装備しました。
●タイヤはピレリNC36(14インチ60/205)というイタリアの石畳を走行するのに適しているといわれていた、一風変わったタイヤを装着していました。このタイヤはデザインがお気に入りで、石畳用としては通常舗装でもかなり食いつきがよいタイヤでした。
●ホイールは当時では鉄が標準装備でした。デザインと軽量化を図るためアドバンのアルミホイールに変えていました。ちなみに、鉄のホイールのことを「ドテツ」といいます。
●ショックアブソーバーはKAYABAのロードレース用の固いものを装着しました。
●スプリングは俗称レーサス(レーシングサスペンション)という短くて太いものを買ってきました。これを自分で糸鋸で切断してスプリングの長さを短くし、いわゆるシャコタンにしていました。前輪側は特に短くしていました。
●マフラーは50Φという太い排気抜けのよいものに変え、またこのサウンドがたまらなく心地よいのです。
●ウィンドウを内側から黒っぽくコーティングしました。当時はまだカーショップでウインドフィルムを販売していなくて、大船のガラス屋さんで特注でコーティングしたものです。オートバックスのような大型店舗はなく、カーショップの時代です。
●その他、①後方バンパー下部に俗称暴走ランプ(ホタル)なる紫色の小さい電球をつけて点灯させ、②ウインカーの点滅速度が速くなるハイスピードフラッシャーにウインカーリレーを変えて、③クラクションを3連ホーンというラッパに変えていました。これらは走行性能には何の関係もありません。暴走族ご用達グッズです。
●こんなに改造しておきながら、ドアミラーにしないでフェンダーミラーというのがこだわりです。
このくらい改造をすると、スピードリミッターを外して第三京浜の保土ヶ谷料金所から玉川料金所まで5分弱だったような記憶が。時速180キロまでしかメモリがないスピードメーターを振り切ったまま第三京浜を疾走するのです。はたしてスピードが何キロ出ていたのかは、メーターを振り切っているので不明です。
第三京浜は、保土ヶ谷料金所から玉川料金所まで約16キロメートルです。5分弱で走り切っていたという記憶が正しければ、計算上平均時速約200キロメートルということになります。現在、発売されている無改造の純正国産車に比べるとたいしたことはないですね。
今では高速道路で時速130キロを超えると、怖くて手に脂汗が出てきます。動体視力が相当低下したみたいです。歳をとった証拠ですね。
二代目セリカまでのGTモデルは、チェーン駆動によるツインカムエンジンです。チェーン駆動によりカムシャフトを回していたので、チェーンの音が心地よくツインカムサウンドとよばれていました。またキャブレターはソレックス製が標準装備で空ぶかしをしたり、急加速をしているときには、迫力ある吸気サウンドがしていました。エアファンネルに変えると、さらに迫力のある吸気音がします。
私は、機械いじりが好きで、当時の車の構造はそんなに複雑怪奇なものではなく、エンジン内部以外は「なんとなく感覚」で自分で改造ができてしまうのです。自分で改造した車を洗車してピッカピカにワックスをかけて、好きなカセットテープを流しながら、湘南海岸をドライブをすると最高の気分になれました。
この愛車で、箱根ターンパイクを疾走したり、土曜の深夜はゼロヨンをしたりと、非常に危険なことをしていました。怖いものを知らなかったのです。
箱根ターンパイクは数か所のコーナーを除いて、時速100キロ以上キープしたまま頂上まで駆け登っていきます。時速100キロ以上でのコーナリングは結構スリリングです。頂上へ向かうラストのストレートではメーターを振り切ります。
今では、自宅の車は4ドアセダンのファミリーカーで、運転するのもかったるくなってしまいました。ディーラーに言われるがまま、定期点検やら消耗部品交換をしています。車は普通に走ってくれればよいのです。
今では安全運転を常に心がける大人しいオジサンになりました。
上の写真は、友人が作ってくれた、実車と全く同じ仕様に大改造したプラモデルです。このようなプラモデルは売っていません。作者はプラモデルの達人です。ドアミラーだけは作者のこだわりでしょう。今でも自宅のショーケースに飾っています。
上の写真は、当時、カーショップで買ってきて、愛用していたシフトノブです。唯一残った「愛車セリカ1600GT角目」の遺品です。机の引き出しの中にありました。これを左手で握ると当時が蘇ってきます。この感触は今でも覚えているんですね。
古き良き時代でした。