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マスコミへの不信-兵庫県知事時選挙と自由民主主義的価値観-

2024-12-03 20:12:18 | 政治
 11月に実施された兵庫県知事選挙で、パワハラの証言があり議会から不信任決議を受けた斉藤前知事がネットでの異常な支持によって再選された。ネットでのデマは別にして、「既存マスコミは信用できない。ネットで真実を知った」という有権者が斉藤前知事に投票した事実がある。
 「ネットde真実」という情報リテラシーもなく、論理的思考もできない人達の支持によって選挙結果が左右されるという、民主主義の欠陥を露わにした選挙結果であった。民主主義が衆愚政治に陥った状況を目の当たりにし、民主主義の将来を危惧する人達も多数存在するだろう。しかし、何が「既存マスコミは信頼できない」という感情を抱かせたのか、この部分を明確にしなければ、大衆が誤った判断をすることは止められないだろう。

 朝日新聞や読売新聞、日経新聞など日本のメジャーな全国紙は、自由と民主主義をその基本的な価値観として紙面を作成している。アメリカの民主党の主張を見ても、自由と民主主義に基づき、多様性の尊重、その結果として少数派の権利尊重、さらに言えばLGBTQの権利を尊重し、多様な意見、多様な価値観の尊重を基本的な価値観としている。
 また、個人の尊重も重視しており、その結果として能力主義(メリトクラシー)を無意識的に採用しているように思える。すなわち、各個人が自分の努力によって勉強をし、その結果、有名大学に進学し、給料の高い企業に就職する。格差は能力主義の結果であって、低所得の人達も頑張れば高所得になることができる。低所得の人達はもっと頑張らなければならない。
 他方で、貧困に陥っている非正規労働者を救済しなければならない、あるいは、貧困な高齢者を救済する必要がある、ヤングケアラーを救済しなければならない等の主張も行っているが、能力主義と弱者救済がどのような関係にあるのかについては触れることはない。

 しかし、多くの民衆の生活状況はどのようなものなのだろう。高学歴で大企業に就職している人達は年収600万円以上で年収1000万円以上の人達も多くいる。その人達にとっては能力主義は当然で、頑張ったから高収入なのだという前提がある。そして自由や民主主義の重要性を認識しているため、多様性は重要であるという認識を持っているだろう。一方で、多くの民衆は年収が600万円以下で、生活も苦しく、自分の生活をどう維持するのか、今後の生活がどうなるのかという不安がある。
 日常生活で精一杯、将来どうなるか不安を抱えている人達に、他人の権利を守ることが重要だという意識が薄くなるのはやむを得ないだろう。なぜ自分の生活が不安定なのか、将来どうなるのだろうか、そういう不安を抱える人達が、多様性が重要とか、少数派の権利を守る必要があるというマスコミ報道に違和感を抱くのは当然だろう。

 多くの民衆が、自分の日常生活を念頭に置けば、既存マスコミが報道していることは事実なのか?事実をねじ曲げた偏向報道なのではないか?という疑念を抱くのもやむを得ないだろう。
 自分が学校生活を送った記憶をたどっても少数派が尊重されることはなかった(少数派がイジメのターゲットになっていた)、自分が勤務している会社ではパワハラやセクハラが存在しており、マスコミが報道しているような綺麗事は現実とは異なる。自分は一生懸命仕事をしているが、給料が大きく増えることなく年収も低いままだ。何か、既得権益があって、既得権益を有している人達が自分たちをないがしろにしているのではないか。マスコミの報道と事実は全く違う、マスコミは真実を報道していないのではないか、大衆がこのような意識を抱いてもおかしくは無い。

 マスコミ報道と自分たちの生活実感が異なれば、違和感を抱き、マスコミは間違った報道をしているのではないかという意識が多くの民衆に深く刻み込まれるだろう。

 アメリカでは、トランプ前大統領の主張は高学歴層などからバカにされる。トランプ支持者達も高学歴層からバカにされる。しかし、民主主義では1人1票なので、バカにされる人達が高学歴層などよりも多ければトランプ前大統領が大統領選で勝利するのは当然である。

 この現象が兵庫県でも起こったのである。既存マスコミが自由と民主主義を基本的価値観として様々な報道をしても、多くの民衆には違和感のある報道であり、受け入れられていなかった。そこへ、ネットを利用して民衆の感情に訴えかけるデマが飛び交えば、既存マスコミへの違和感を抱いていた民衆はそのデマを真実として受け入れるだろう。その結果「ネットde真実」が拡散するのである。

 既存のマスコミが民衆の体感を無視し、自由と民主主義に基づいた報道を繰り返せば繰り返すほど、民衆との距離が大きくなり、民衆からの支持を失うのである。マスコミが、ステレオタイプな言葉を報道し続ける限り民衆からの支持は得られない。民衆の鬱憤も踏まえた上で、自由と民主主義という価値観と民衆の望みをどのように解決するのか深く考えた上で報道する必要があるだろう。
 もっとも、本来的にそれを行うのは政治家であるが、日本では政治家が少なく政治屋が多いため国会議員等には困難である。その点を踏まえても、マスコミの報道は重要である。
 既存マスコミがそういった面を認識できなければ、今回の兵庫県知事選挙のような、デマに欺される民衆によって選挙結果が左右されるという、ポピュリズム、衆愚政治が今後の日本で全面的に展開されるだろう。
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