おはようございます。トピアリスト・topiarist宮崎です。
イタリア・ルネサンスは約1世紀後フランスに伝わります。
写真はフランソワ1世(在位1515年~1547年)時代のフォンテンブロー城。
フランソワ1世の招きに応じて渡仏したレオナルド・ダ・ヴィンチも設計図を描いていますが、実現しませんでした。
その後戦乱を経てアンリ4世(在位1589年~1610年)時代に芸術が復活します。
アンリ4世の王妃はマリア・デ・メディチ(仏語マリー・ド・メディシス)。
そう、あのメディチ家の方で莫大な持参金をもってフランス王と結婚しました。
マリア・デ・メディチは造園趣味もあり、庭も復活したと針ヶ谷鐘吉は記しています(『西洋造園変遷史』より)。
15世紀半ばにドイツのグーテンベルグが金属活字の活版印刷技術を発明し、造園関連の書物も盛んに出版されたことでフランス、オランダ、ドイツへとイタリア式庭園が波及していくのです。
写真は『造園の歴史Ⅰ』岡崎文彬著より
*トピアリーがイタリアからはじまったというお話は「トピアリー庭園の発祥」記事を見てみてね
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▲フランソワ1世(在位1515年~1547年)時代の
フォンテンブロー城
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▲レオナルド・ダ・ヴィンチの設計図
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▲アンリ4世(在位1589年~1610年)時代の
フォンテンブロー城