スズメとキツツキ (アイヌ動物話)
むかしむかし、そもそものはじめには、どんなけものでも、どんな鳥でも、おなじ母をもっていたが、ある日鳥の女たちがあつまって、いれずみなどをしていた。
いましもスズメが口もとへいれずみをほどこしていると、凶事の知らせがきていうには、
「母がいま死のうとしていて、死ぬまえにむすめたちにあいたがっている。」
というのであった。
そこで大ぜいの小鳥たちはぎょうてんして、われさきにととびだして、ずんずんいってしまった。
スズメは、おどろきのあまり、
「おけしょうは、いつだってできる。だからどのようにさまがわるくても、かあさまの死にめにあいましょう!」
といいながら、いれずみの水をのこらず、じぶんの頭の上にぶちまけた。
──そのために、スズメはたべよごしたようなくちばしをし、全身なにかぶっかけたように見えるのである。
母は、ひじょうによろこんで、
「おまえはほんとうに、親孝行だから、いつまでも、おいしい穀物ばかりたべるでしょう!」
といった。
──だからスズメたちは、つねに穀物ばかりたべているのである。
それからキツツキはさいごまで、さんざん、めかしにめかして、いうことには、
「かあさんは死んでも、いちばんおめかしして、いちばんきれいだったら、いちばんいいでしょうよ!」
といいながらいくと、神さまがばっして、
「おまえは、じつにじつに親不孝なやつだ。ふとどきしごくであるから、いまよりのちは、くち木をつつきつつき、虫ばかりたべて、だれからも愛されないであろう!」
と、おつげがあった。
──だから、いつまでもキツツキは、木をつつきつつきしているのである。
【北海道の民話─ふるさとの民話6─ 日本児童文学者協会編 偕成社 】
草色の鳥になった男の子 【アイヌの民話】
※小鳥前生譚と呼ばれる話で、人の魂が小鳥になったという一話である。
ある男の子がいて、怠けものだった。
年老いて体の自由がきかなくなったおばあちゃんが、水くみして、たきぎとりしたり、何か食べるものを集めて料理したりして、ぼくに食べさせてくれた。ぼくはおなかいっぱい食べても、ひどく怠けものの男の子だから、動くのさえめんどうだった。
「怠けものは神さまからばちを当てられるのに、どうしておまえは怠けているんだい?もう私は体がいうことをきかないから、水くみしてきなさい。たきぎとりしてきなさい」
とおばあちゃんがいっても、ぼくはひどく怠けものだから、たきぎとりも、水くみさえもしなかった。
体の自由がきかなくなって寝たきりになったおばあちゃんが、
「ぼうや、水をくんできなさい。水をくんできなさい。水をくんで、くみたての水を私に飲ませておくれ、ぼうや」
というのに水くみもしないでいた。
おばあちゃんが亡くなってから、川に行って水でも飲んだらおなかがふくれると思った。川に行って水を飲もうと口をのばしていたら、神さまの声がとどろいた。
「このひどい怠けものめ。年寄りを大事にしないで、水を飲みたがっておなかをすかせたまま、おばあさんは亡くなったのだから、私がおまえをこらしめてやる。川で水を飲むこともできなくして、木のひとしずくだけがおまえの口に入り、木のしずくがなければ、葉っぱに霜がおりて集まったひとしずくだけをおまえは口にすることになるんだ。人や神さまが、おまえが川で水を飲むのを見たら、おまえは地獄へ落とされるんだぞ。思い知れ」
と罰を受けて、あの草色みたいな鳥(ヤマゲラ)にされたのだ。
「おまえはお腹がすいても水も飲めない。川にいっても水も飲めない。木のしずくが落ちるのをまって、そのひとしずくだけ口に入る。木をつついて虫をたったひとつぶしか口に入れられない」
だから物知りな人たちは、その鳥が川に行って水を飲むのを見たら、すぐに自分の体をおはらいして水の神さまにお祈りしないと、そいつにとりつかれたらあぶないぞと、やかましくいったもんだ。
(話者・・・北海道静内町・織田ステ)
すずめときつつき (青森県津軽地方)
むかしのむかし、すずめときつつきとは二人の姉妹(あねいもうと)であったそうです。
親が病気で、もういけないという知らせのきたときに、すずめはちょうどお歯黒をつけかけていましたが、すぐに飛んでいって看病をしました。
それで今でもほっぺたがよごれ、くちばしも上の半分だけはまだ白いのであります。
きつつきの方は、紅をつけおしろいをつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、ついにだいじな親の死目(しにめ)にあうことができませんでした。
だからすずめは、姿は美しくないけれども、いつも人間の住むところに住んで、人間の食べる穀物を、入用(いりよう)なだけ食べることができるのに、きつつきはお化粧ばかりきれいでも、朝は早くから森の中をかけあるいて、「がっか、むっか」と木の皮をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。
そうして夜になると樹(き)の空洞(うつろ)にはいって、「おわえ、嘴(はし)が病めるでや」と泣くのだそうです。
【 日本のむかし話(一)・柳田国男・ポプラ社文庫 】
スズメとキツツキ (秋田県)
むかしむかしのことです。
おしゃかさまがなくなるというので、世のなかは大さわぎになりました。
「たいへんだ、たいへんだ。おしゃかさまがなくなるんだと」
「とうといおしゃかさまがなくなるんだと。こうしちゃいられない」
世界じゅうの生きものたちが、一ぴきのこらず、おしゃかさまの宮殿へかけつけていきました。
スズメはちょうど、くちばしに黒いおはぐろをつけているところでした。
ありがたいおしゃかさまがなくなるというので、スズメは大あわてでおはぐろをつけかけたまま、とんでいきました。
スズメはどうにか、おしゃかさまの死に目にあうことができたのです。
けれども、森にすむキツツキは、まにあいませんでした。
おめかしやのキツツキは、赤い布を買って、着かざっていこうとてまをとっていたので、とうとう、おしゃかさまの死に目にあえなかったのです。
こうしてスズメは、ほっぺたに黒いおはぐろがついていて、みにくい顔になってしまいました。けれども人間と同じように、お米をたべることをゆるされました。
いっぽう、キツツキは赤いこしまきをしめていて、すがたはきれいですが、お米をたべることをきんじられてしまいました。そして毎日、朝から晩まで一生けんめい木をつつき、毛虫のようなものだけをたべて、生きていくようにされてしまったという話です。
【 日づけのあるお話365日 2月のむかし話 谷 真介編・著 金の星社 】
妖怪「寺つつき」
今から千五百年ほど前のこと、日本に仏教を入れるか入れないかで、たいへんな争いになった。
蘇我氏や聖徳太子は、仏教を入れるのに賛成し、物部氏はこれに大反対だった。それで、最後にはとうとう戦いになったのである。
戦いは、仏教を入れる側の勝利となった。このときの物部氏の大将が、物部守屋(もののべのもりや)であった。物部一族は滅ぼされ、大きなうらみをつのらせた守屋の霊は、ついにキツツキの姿となって、仏教のお寺の柱をつつくようになったのだという。
これが妖怪「寺つつき」である。
木つつきの 死ねとてたたく 柱かな 小林一茶
むかしむかし、そもそものはじめには、どんなけものでも、どんな鳥でも、おなじ母をもっていたが、ある日鳥の女たちがあつまって、いれずみなどをしていた。
いましもスズメが口もとへいれずみをほどこしていると、凶事の知らせがきていうには、
「母がいま死のうとしていて、死ぬまえにむすめたちにあいたがっている。」
というのであった。
そこで大ぜいの小鳥たちはぎょうてんして、われさきにととびだして、ずんずんいってしまった。
スズメは、おどろきのあまり、
「おけしょうは、いつだってできる。だからどのようにさまがわるくても、かあさまの死にめにあいましょう!」
といいながら、いれずみの水をのこらず、じぶんの頭の上にぶちまけた。
──そのために、スズメはたべよごしたようなくちばしをし、全身なにかぶっかけたように見えるのである。
母は、ひじょうによろこんで、
「おまえはほんとうに、親孝行だから、いつまでも、おいしい穀物ばかりたべるでしょう!」
といった。
──だからスズメたちは、つねに穀物ばかりたべているのである。
それからキツツキはさいごまで、さんざん、めかしにめかして、いうことには、
「かあさんは死んでも、いちばんおめかしして、いちばんきれいだったら、いちばんいいでしょうよ!」
といいながらいくと、神さまがばっして、
「おまえは、じつにじつに親不孝なやつだ。ふとどきしごくであるから、いまよりのちは、くち木をつつきつつき、虫ばかりたべて、だれからも愛されないであろう!」
と、おつげがあった。
──だから、いつまでもキツツキは、木をつつきつつきしているのである。
【北海道の民話─ふるさとの民話6─ 日本児童文学者協会編 偕成社 】
草色の鳥になった男の子 【アイヌの民話】
※小鳥前生譚と呼ばれる話で、人の魂が小鳥になったという一話である。
ある男の子がいて、怠けものだった。
年老いて体の自由がきかなくなったおばあちゃんが、水くみして、たきぎとりしたり、何か食べるものを集めて料理したりして、ぼくに食べさせてくれた。ぼくはおなかいっぱい食べても、ひどく怠けものの男の子だから、動くのさえめんどうだった。
「怠けものは神さまからばちを当てられるのに、どうしておまえは怠けているんだい?もう私は体がいうことをきかないから、水くみしてきなさい。たきぎとりしてきなさい」
とおばあちゃんがいっても、ぼくはひどく怠けものだから、たきぎとりも、水くみさえもしなかった。
体の自由がきかなくなって寝たきりになったおばあちゃんが、
「ぼうや、水をくんできなさい。水をくんできなさい。水をくんで、くみたての水を私に飲ませておくれ、ぼうや」
というのに水くみもしないでいた。
おばあちゃんが亡くなってから、川に行って水でも飲んだらおなかがふくれると思った。川に行って水を飲もうと口をのばしていたら、神さまの声がとどろいた。
「このひどい怠けものめ。年寄りを大事にしないで、水を飲みたがっておなかをすかせたまま、おばあさんは亡くなったのだから、私がおまえをこらしめてやる。川で水を飲むこともできなくして、木のひとしずくだけがおまえの口に入り、木のしずくがなければ、葉っぱに霜がおりて集まったひとしずくだけをおまえは口にすることになるんだ。人や神さまが、おまえが川で水を飲むのを見たら、おまえは地獄へ落とされるんだぞ。思い知れ」
と罰を受けて、あの草色みたいな鳥(ヤマゲラ)にされたのだ。
「おまえはお腹がすいても水も飲めない。川にいっても水も飲めない。木のしずくが落ちるのをまって、そのひとしずくだけ口に入る。木をつついて虫をたったひとつぶしか口に入れられない」
だから物知りな人たちは、その鳥が川に行って水を飲むのを見たら、すぐに自分の体をおはらいして水の神さまにお祈りしないと、そいつにとりつかれたらあぶないぞと、やかましくいったもんだ。
(話者・・・北海道静内町・織田ステ)
すずめときつつき (青森県津軽地方)
むかしのむかし、すずめときつつきとは二人の姉妹(あねいもうと)であったそうです。
親が病気で、もういけないという知らせのきたときに、すずめはちょうどお歯黒をつけかけていましたが、すぐに飛んでいって看病をしました。
それで今でもほっぺたがよごれ、くちばしも上の半分だけはまだ白いのであります。
きつつきの方は、紅をつけおしろいをつけ、ゆっくりおめかしをしてから出かけたので、ついにだいじな親の死目(しにめ)にあうことができませんでした。
だからすずめは、姿は美しくないけれども、いつも人間の住むところに住んで、人間の食べる穀物を、入用(いりよう)なだけ食べることができるのに、きつつきはお化粧ばかりきれいでも、朝は早くから森の中をかけあるいて、「がっか、むっか」と木の皮をたたいて、一日にやっと三匹の虫しか食べることができないのだそうです。
そうして夜になると樹(き)の空洞(うつろ)にはいって、「おわえ、嘴(はし)が病めるでや」と泣くのだそうです。
【 日本のむかし話(一)・柳田国男・ポプラ社文庫 】
スズメとキツツキ (秋田県)
むかしむかしのことです。
おしゃかさまがなくなるというので、世のなかは大さわぎになりました。
「たいへんだ、たいへんだ。おしゃかさまがなくなるんだと」
「とうといおしゃかさまがなくなるんだと。こうしちゃいられない」
世界じゅうの生きものたちが、一ぴきのこらず、おしゃかさまの宮殿へかけつけていきました。
スズメはちょうど、くちばしに黒いおはぐろをつけているところでした。
ありがたいおしゃかさまがなくなるというので、スズメは大あわてでおはぐろをつけかけたまま、とんでいきました。
スズメはどうにか、おしゃかさまの死に目にあうことができたのです。
けれども、森にすむキツツキは、まにあいませんでした。
おめかしやのキツツキは、赤い布を買って、着かざっていこうとてまをとっていたので、とうとう、おしゃかさまの死に目にあえなかったのです。
こうしてスズメは、ほっぺたに黒いおはぐろがついていて、みにくい顔になってしまいました。けれども人間と同じように、お米をたべることをゆるされました。
いっぽう、キツツキは赤いこしまきをしめていて、すがたはきれいですが、お米をたべることをきんじられてしまいました。そして毎日、朝から晩まで一生けんめい木をつつき、毛虫のようなものだけをたべて、生きていくようにされてしまったという話です。
【 日づけのあるお話365日 2月のむかし話 谷 真介編・著 金の星社 】
妖怪「寺つつき」
今から千五百年ほど前のこと、日本に仏教を入れるか入れないかで、たいへんな争いになった。
蘇我氏や聖徳太子は、仏教を入れるのに賛成し、物部氏はこれに大反対だった。それで、最後にはとうとう戦いになったのである。
戦いは、仏教を入れる側の勝利となった。このときの物部氏の大将が、物部守屋(もののべのもりや)であった。物部一族は滅ぼされ、大きなうらみをつのらせた守屋の霊は、ついにキツツキの姿となって、仏教のお寺の柱をつつくようになったのだという。
これが妖怪「寺つつき」である。
木つつきの 死ねとてたたく 柱かな 小林一茶
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