野鳥にまつわるお話

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ヤマドリの民話(長野県)

2018年05月13日 | 野鳥
山鳥の尾                (長野県の伝説・穂高町)
 ずうっとむかし、みやこをおわれた鬼が、おおぜいの手下をつれて、有明山(ありあけざん)にすみついたことがある。
 この鬼は「八面大王(はちめんだいおう)」といい、人をさらったり、田畑の作物をあらしたり、家をこわしたりして、安曇野(あずみの)にすんでいる人びとをこまらせていた。
 有明山のふもと、古厩(ふるまや)にすむ矢助も、父親を八面大王にころされたひとりだった。薬草とりでくらしをたてていた父親は、山おくで、薬草をさがすうちに、さらわれてしまったのだ。
 それから二十年、矢助は、母親の おさく にそだてられ、りっぱな若者になった。
 ある年のくれのことだった。
 矢助は、穂高の町へ正月の買い物にでかけた。
 雪をふみわけ、山道をとぼとぼくだって行くと、バタバタと、はげしい羽音がきこえた。やぶをかきわけて行ってみると、大きな山鳥が、わなにかかってくるしんでいる。そこで矢助は、山鳥を放してやったが、かわりに、もっていた銭をぜんぶ、わなにしばりつけておいた。
「わなをしかけた人も、この銭でこらえてくれるずら。でも、これで町へ行っても、買い物をする銭がなくなっちまった。なんにも買わずにけえったら、おっかさまは、せつながるずら。だが山鳥のことをはなしゃ、きっと、わかってくれるにちげえねえ。」
 矢助は、そのまま家へかえり、母親に話した。
「それは、いいことをしてくれたな。銭なんか、はたらけばなんとかなるが、いのちは、銭では買えねえものな。」
と、母親は矢助のしたことを、かえってよろこんでくれた。
 それから三日目の夜は、雪のふる年とり(大みそか)だった。
 ごちそうはなかったが、あたたかいおかゆをすすりながら、
「あの山鳥は、いまんごろ、どうしているずらいな。」
と、話していると、表の戸をトントンと、たたく音がする。
 だれかと思い、矢助が戸をあけてみると、そこには、美しいむすめが、立っていた。
「どうしただい。こんねにおそく……。」
 矢助は、おどろいてたずねたが、むすめは、へんじもできないほどつかれていた。
 そこで、すぐにむすめを家にいれ、あったかいおかゆをたべさせてやった。
 しばらくすると、むすめは元気になって、ぽつぽつと話しはじめた。
「わたしは、とき、といいます。両親に死なれ、しんせきへ行くとちゅうでしたが、雪のため道にまよってしまいました。おかげさまでたすけていただき、ほんとうにありがとうございました。」
 つぎの朝おきてみると、雪はまだ、はげしくふりつづいていた。
「この雪じゃ、外へ出るのは、とてもむりだ。どうだいね、雪が小ぶりになるまで、ここにいたら。」
 おさくは、このむすめにあったときから、なぜか心をひかれていたのだ。
「ええ、わたしも、できることなら……。」
 ときは、とてもよろこんだ。
 こんなわけで、ときは、それから矢助たちといっしょにくらすことになった。
 ときは、はたらきもので、たいへんよく気のきくむすめだった。また、ときどき、おもしろいことを言っては、おさくや矢助をわらわせた。
 おさくは、ときがますます気にいり、矢助のよめになってもらうことにした。
 やがて春になると、冬のあいだは山にこもっていた鬼が里へおりてきて、あちらこちらでまた、らんぼうをするようになった。村の人たちは、いつ、鬼におそわれるかと、しんぱいでたまらなかった。
 この八面大王のうわさは、とうとうみやこまできこえ、まもなく、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)というえらい将軍がけらいをつれて、せいばつにやってきた。それから、将軍と八面大王とのはげしいたたかいがはじまった。
 将軍のけらいたちは、おにどもめがけて矢をどんどん射かけたが、岩かげにかくれているので、なかなかあたらない。かえって、鬼のおとす石にあたって、けがをするさむらいが、ふえるばかりだ。
 そこで将軍は、けいりゃくをかんがえ、けらいをさしずして、あちこちに大きな火をたかせ、その上に松や杉などの、なまの枝をきってつみかさねた。たくさんのけむりがわきあがり、風にのって有明山の方へ、どんどんとあがっていった。
 さすがのおにどももたまらず、けむりにむせながら、すがたを見せはじめた。
 まちかまえていたさむらいたちは、矢をどんどん射かけ、鬼をつぎつぎにたおしていった。しかし、八面大王だけは、矢にあたっても、はねかえしてしまい、うちとることができなかった。
 将軍は、このようすを見て、
「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)さま、どうか、八面大王をうたせたまえ。」
と、いっしんにいのった。すると、その夜の夢の中で、
「十三ふしの山鳥の尾羽で作った矢で射れば、きっとたいじできる。」
という、おつげがあった。十三ふしの尾羽というのは、羽根毛のもようが十三のふしにわかれている尾羽のことだ。山鳥の尾羽はまっすぐで長いから、よく矢羽(やばね)につかわれたものだが、ふつうはせいぜい五、六ふししかない。将軍は、十三ふしもある、みごとな尾羽など、いままで見たこともなかった。
 そこで将軍は、つぎの朝、村の人たちをあつめて言った。
「十三ふしある山鳥の尾羽を、さがしてはくれまいか。それがあれば、かならず八面大王をたいじしてみせる。もし、さがしてくれたものには、たくさんのほうびをとらせるぞ。」
 村の人たちは、八面大王をたいじしてもらい、そのうえ、ほうびをもらえるというので、あらそってさがしはじめた。矢助も、いっしょうけんめい山や沢をさがしあるいた。だが、毎日、つかれて家へかえってきて、
「ああ、十三ふしある山鳥の尾羽がほしい。それさえありゃあ、おとっさんをさらった、にくい八面大王をやっつけてもらえるだに。」
と、せつなげにつぶやくばかりであった。
 そんなある夜、ときが、なにごとか、心にきめたような顔で矢助に言った。
「どうか、わたしにさがさせてください。見つかるあてがありますので。」
 そして、いきなり、外へ走りでて行った。
 つぎの日の朝、かえってきた とき の顔は、青ざめて、今にもたおれそうなようすだった。が、手には、しっかりと山鳥の尾羽をにぎっていた。
「どうぞ、これを将軍さまにさしあげてください。」
 見ると、たしかに十三ふしあるみごとな山鳥の尾羽だ。矢助は、とびあがらんばかりによろこび、さっそく、将軍さまの陣屋へとどけに行った。
 ときは、かなしい顔をして、矢助のうしろすがたを見おくっていた。
 矢助は、将軍さまから、たくさんのほうびをもらい、ときのために、着物を買ってきた。
「おい!ときや。とき……。どこにいるんだや。」
 大声でよんだが、ときのへんじはなかった。
 ただ、一羽の大きな山鳥が、空のむこうへ、よろけながら飛んでいくのが見えただけだった。
 まもなく、八面大王はたいじされ、村に平和がもどってきた。
 でも、おさくにも矢助にも、ときがきゅうにいなくなったわけが、どうしてもわからなかった。
 それからというもの、ときとすごしたたのしい日びのことを、毎日のように話しあっては、ふたりでさびしくくらしたということだ。
〈再話・平林治康(ひらばやしはるやす)〉
【『ふるさとの民話 24 長野県 日本児童文学者協会編 偕成社』】


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