ぼんやり閑居の続く毎日だが 日月はむなしく過ぎてゆきます それにしても毎日思い出すのは在りし日の息子のことばかり
しかし思い出さなくなることが怖い思いが心を更に心を痛める その一方で極楽浄土に仏になって修行する姿を描き安らかを願う気持ちがある
嘗て言葉に発した一言を男見出し それは良かったのか いわなければ良かったのか 苦悶することが多い日々である
明らかに極める=諦める そんな風に言い聞かせてきた自分は どこに行ってしまったのだろう かけがえのない事柄に諦めは不可能である事を改めて痛感する
こんな年寄りでも 先が短くても 生きがい、張合い、が生きる力になっている
娘の健康にも心配と不安があることを聞き知る 心配が無用のものであることを祈るばかりだ 苦労続きの人生に立ち向かって経済も子育ても切り抜け頑張っている姿は
立派な母親の姿である 辛いことを親にも語らずたった一人で立ち向かい乗り越えようとする 頭が下がり役に立って上げられないわが身の不甲斐なさだ
先日 納骨堂の三人で見に行ってきた 家族そろって収められるサイズの予約をすることに話が進んだ 心から安堵している いずれ息子の傍に収めてもらえる事は大満足
近い将来迎える人生の最後を心残りなく迎えることができそうだ
それにしても 最後の身の回りの整理は手を付けても進まない この整理は不十分のままお仕舞が来ることは間違いない 整理が終わることが気持ちのどこかで嫌がっているらしい
両親の残した其の足跡を見るにつけて ダメ息子の自分の様が情けない
日々を静かに送ることが最大の目標であることは間違いない 今更人生を後悔することはしない
二人で一日一日を楽しく過ごして行きたい。
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