皆様こんにちは
妙高イルミネーションと長野探索その2になります。
前日はアパリゾート上越妙高で夏の夜のイルミネーションを楽しんだ後、長野市まで戻って
1泊した後は長野県を探索しながら帰宅します。
まずは善行寺へ
こちらは信州善光寺、山梨にも善光寺がありますが、前回紹介した甲斐善光寺はこちら↓
信玄公を偲ぶ旅(山梨)2015 -1- - 全国の名所・旧跡を巡る旅人 (goo.ne.jp)
長野駅から20分位の場所
参道には人が沢山
大きな山門があって
とても立派な本堂
中は撮影禁止なのでブログでの紹介はこれで終わり
ここでは、お戒檀巡りという真っ暗な回廊を巡る経験をしました。
本当に真っ暗なところを歩くのですが怖かったです。*もちろん写真はなしです。
さて、次に来たのは川中島古戦場(八幡原史跡公園)
ここは武田信玄と上杉謙信が数回にわたり激戦を行った場所
先ほど行った善行寺を奪還しようと進める上杉勢とここで戦っています。
まずは、ここでおそばを食べて
食事が終われば探索開始
ここは八幡社
ここが一騎打ちの場所かあ
みたちななたちの跡
こでは謙信公が信玄公に三度斬りつけ軍配団扇(ぐんばいうちわ)には七つの傷が残っていた
といういわれ
この場面ですね。馬上の謙信公、構える信玄公
こちらは「執念の石」
信玄の家臣、原大隅守虎胤が信玄の槍で馬上の謙信を突いたが、槍先ははずれ、拍子で
驚いた馬が立ち上がり、一目散に走り去った。主君の危急を救いながらも、謙信を取り
逃がした原大隅が、その無念さから傍らの石を槍で突き通したと伝えられているそうです。
風林火山の旗
ここには両軍の動きを示した看板が
さて、川中島を後にして
次に到着したのは松代城跡(別名海津城)
ここは信玄家臣山本勘助が築城したと言われており、川中島合戦のおりには重要な拠点で
あったはずです。
天守はありませんが、石垣が立派。また、このお掘りは三日月堀と言われています。
ここは太鼓門
海津城跡の史跡と櫓門
江戸時代になると真田昌行の長男信之が入城し、松代藩主となっています。
そして、真田時代にできた街跡を歩くと
すぐに真田邸に到着
それは入ってみましょう。
おじゃましま~す
今でも使えそうな邸宅 明治時代まで使われていたそうです。
長い廊下と数多い部屋
↑ ここは御寝所 唐紙が貼られています。
ここはお風呂
中庭も
2つあって
もう一カ所は
立派ですねえ
真田邸宅を後にすれば真田氏の拠点上田城に向かいます。
駐車場から櫓が見えます。
中々立派
さあ登ってみよう
階段を登れば
六文銭の旗
東虎口櫓門
天守はなかったそうです。
はて、これは何だったか・・・・・
ここにあるのが真田石
この巨大な石が真田家を象徴しているのだそうです。
城内では
さあ、時間も一杯になったので帰りますか・・・・・
最後にちょっとだけ寄り道して
とても山の中にある場所、ここはダムです。南相木ダム
ダムに見えないけど
まるで滑り台みたいだけど、ここから水を流すのかな
ダムの上からみる渦巻があって
ウズマク広場だって
露出がへん・・・
そしてどんどん霧が出てきて
貯水側は まったく見えないや
さあ、帰ろう上信越自動車道で
無事帰宅しました。
<完>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます