家では
身体を動かすのが好きで、音楽がかかると身体全体で踊っています。
おかげで体力もついてきて、かけっこも少しづつ出来るようになってきました。
言葉も徐々に多くなりシェンシェ(先生)やお友達の名前も片言ですが言ったりしています。
野菜など好き嫌いも多くなりイアナイ(いらない)と自己主張することに親としては困った反面嬉しさもありました。
絵本は大好きで、読み聞かせているともっかい(もう一回)と何度も言ってくるので、夕飯の支度などで忙しい時は、おじいちゃんが読んでくれてました。
老眼鏡をかけながらの読み聞かせなので、1行飛ばしたり読み間違えたりしているとチャウのと何度もて怒っていました。
おじいちゃんは字読めるのか~?と冗談交じりに笑っていました。ストーリーが頭の中に入っているので飛ばしたりしたらチャウの~を連発してました。
積み木遊びも好きで、積み木を電話にして耳に当て表情豊かに沢山大きな声でおしゃべりしていました。
おしゃべりの内容は?分かりません(笑)多分保育所でのお友達の会話の真似でもしているのでしょう。
パズルも出来た時の自信満々の笑顔は見ている私までヤッタネ~♪と褒めていました。
始めは簡単なものから、段々ピースを増やしていきましたが、中々出来ないと飽きてしまい、私が今日はおしまいに、と言うと私の顔を見ながら、何処かなぁ?ここかなぁ?ちゃうなぁ~と言いながらピースを1枚持って手伝って欲しいオーラがでていました。途中で投げ出したくない自分もいるのでしょう。
このころは達成感を味わってほしいと考えていましたので、出来ないではなくやればできると少しずつなんでもやらせていました。
衣服の着脱、ボタンがけなどもそうです。自分で出来たと感じさせるように少し手助けしながら、「やったね!出来たね~♪」と、ほめていました。
保育所通いも2年目になると、行動範囲も広がり自分から遊びに参加するようになったようです。
運動会もご機嫌で走ったり踊ったりと楽しんでいました。
発表会の練習では遊戯もすぐ覚え、楽しく練習し当日も最後まで踊れました。パジャマでおじゃまの時は初めから歌に合わせて歌うことが出来、保母も驚きました、みんなにはっきり聞こえなかったのが残念でしたと後から聞きました。
その次の年の発表会では代表5人で始まりの挨拶の一人に選ばれ娘は「おじいちゃん、おばあちゃん」と言うセリフでした。物おじせずどうどうと言えてる娘が誇らしかったです。(親ばかですね)
始まりのご挨拶、おじいちゃん、おばあちゃんとしっかり言えました♪
劇でのセリフちゃんと言えました。
保育所3年目は障害児のクラスになり、いろいろ問題がでてきました。
ある日保育所からお昼ご飯食べないんですと電話があり、行って別の部屋から所長さんと様子を見てましたら、他のお子さんがちゃんと食べなさいと叱られていました。
私はこれでは食べないですといいました。自分も怒られると思って中々食べられずに固まっていました。
運動は体力をつけさせるために腰に紐を巻いてタイヤを引っ張ったりしている様子の写真を見た時ショックでした。小学校に上がったらついていけなくなるからとのことらしく半分スパルタのようでした。
「プールで、顔に水をかけると、すごく泣きました。大きな声で泣くことがないのである意味では良かったと思いました」と言われ、わたしはやめて欲しいとお願いしましたが、「今練習しておくと来年にはきっとなんともないです。」中々ダウン症の娘の事、理解してもらえず歯がゆい思いでいました。
その後円形脱毛症になり泣いて保育所に行くのを嫌がりました。
それを伝えると、
「頭の脱毛もそれほど心配ないと思います、前にいた女の子も一時脱毛のようになりましたが、元気が出て情緒が落ち着くと治りました。慣れるまでのハードルはどんな形でも色々と問題がおきるようです。来年の水遊びはびっくりするほど水に慣れていることは間違いないと確信しております。」
ずいぶん自信満々な事をと、当時の連絡帳を見返してみてぞっとしました。
円形脱毛は夏のプールの顔に水をかけて慣れさせる練習の後からのことで保育所にいる間は中々治ることはありませんでした。その後幼稚園に通うようになってから少しずつ薄く毛が生えてきて、2ヵ月もしないうちに治っていました。
海水浴もプールも水遊びは好きで、浮き輪やボードを使って顔を上げて水をつけないで泳ぐようになりました。主人が顔つけて泳ぐといいよと言っても嫌だと言って絶対顔はつけませんでした。
今でも顔に水をかけられた時のトラウマは消えていません。
保育所の4年間は所長先生はじめ沢山の方々に見守られ、いろいろと成長させて頂いて過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいでした。
最後まで通わせたかったんですが、一人で学校に行くことを考えると保育所の帰りは4時で、車で送り迎えしてましたので、帰ってから学校への道のり、信号を覚えさせるのは夕飯の支度もあり無理でした。
それで幼稚園にお願いして1年間通うことにしました。幼稚園は自宅と学校の中間にあり、道のりを覚えること、信号を覚えることに丁度いいところでした。
大人の足では家から学校までは近いのですが娘には遠い道のりです。
天気のいい日はお散歩と言いながら家から学校まで歩いて、信号も2か所渡って通う練習をしていました。
次回 保育所から幼稚園へ 続く