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一人一人が皆
魂とつながり
命をそれぞれ
最優先にして
自分を信じて
生き始めたら
健康が自然で
病気は不自然
そういうこと
人類に幸あれ
未来に幸あれ
「愛の法則」からみた病気(P286~)
肉体的な病は、特定の感情やそれを抑圧することと関係がある、と何度も言われましたが、それを掘り下げてみたいのですが。
そう、感情を黙殺してしまったがために魂が病気になった人は多く、魂が病気になると、肉体も魂と密に結びついているので、病気になってしまうのだ。
肉体的な病気なのに、感情面に起因しているのですか?
その通りだ。君たちの世界では、感情を抑圧することが、精神的にも肉体的にも病気の最大の原因となっている。
精神病に関してならそれに同意できるのですが、癌はどうでしょうか?癌は遺伝子の異常で起こる、と科学的に証明されていませんか?
遺伝子の異常は癌のすべてのケースに認められるが、多くの場合、それが最初の要因ではない。
では、最初の要因は何ですか?
話した通り、原因は精神的なもので、霊的な内面を抑圧したことと関係がある。
人は感情に従って生きて行動しなければ、内部に深い不快感が生じて苦しむ。それが、恐れ、憤り、憎しみ、悲しみといった精神的に有害な「エゴ的感情」を生み出し、それらが病気の原因となってしまう。
人生で直面できないような困難な状況に出くわして、気持ちが滅入ることがある。そのような場合を感情的トラウマと呼ぶとしよう。
感情的な不快感はどのように肉体に影響し、最後に病気となってしまうのですか?
精神的に調子が悪い時には、霊体とメンタル体との間でショートが起きていて、それがエネルギー体(アストラル体)に伝達されると構造を乱して、波動を下げてしまう。
この「エネルギー低下」は、送電系の一部が停電したように、アストラル体の特定の箇所に支障をきたし、そこと繋がっている身体の部分にきちんと活力を与えられなくなってしまう。こうして生命エネルギーが不足して活力をなくした領域は身体の残りの部分と連動しなくなり、その結果、活力を失った組織は他と調和して機能できなくなってしまう。
エネルギーの供給が途絶えると、通常の細胞の機能は影響を被り、遺伝子異常が起こり始め、細胞が破壊されて進行性の病となったり、細胞が制御不能なほど増殖し始めて癌を発生させたりする。
この話は、アストルアル体について話していた時に推薦してくださった、物理学者バーバラ・アン・ブレナンの著書、『光の手』と『癒しの光』(ともに河出書房新社)の中で、病気について書いてあったことを思い出させます。
彼女によると、精神的もしくは感情的な問題は、暗いまたはくすんだ色合いの部位としてアストラル体に現われ出て、その原因は、当事者が抱いていた否定的な考えに根付いているとのことです。これが消えずにアストラル体に留まってしまうと、当人の肉体にも遅かれ早かれそれが現れて、病気を引き起こすのだそうです。それでは、これは正しいのですか?
彼女によると、精神的もしくは感情的な問題は、暗いまたはくすんだ色合いの部位としてアストラル体に現われ出て、その原因は、当事者が抱いていた否定的な考えに根付いているとのことです。これが消えずにアストラル体に留まってしまうと、当人の肉体にも遅かれ早かれそれが現れて、病気を引き起こすのだそうです。それでは、これは正しいのですか?
まさにその通りだ。
新ドイツ医学を宣言したドイツの医師、ライク・ゲールト・ハマーの推論も思い出されます。
ハマー医師によれば、癌やそれと同等な病気はすべて、独りで経験しなければならなかった極度の感情的トラウマから発症するそうです。そして、トラウマの種類によって癌が発生する器官が異なるそうです。それに、感情の葛藤があるとまず脳に影響して、そこで、一種のショートを起こし、それから、その脳の部位に対応していた肉体領域が病気になるということです。また、原因となった感情的トラウマを海容すれば、病気が治る、と主張しているのですが、この医師の言っていることは正しいのでしょうか?
100%ではないが、彼が言っていることはかなり正しい。すべての病気が感情的葛藤から生まれるわけではないか、大半はそうなのだ。
では、感情の葛藤を解消すれば、病気を治せる、ということについてはどうですか?
それは正論だが、問題を解決できるためには、本人にかなりの深い変化が起こらねばならない。「エゴ的感情」にしがみついたままで、感情を抑圧し続ければ、一つの病気が治ってもまた別の病気になる。それは、特定の葛藤を解消できたとしても、同じような「エゴ的感情」を引き起こす別の葛藤が再び現れてしまうからだ。こうして病気の根本的な原因に行き当たる訳だ。
本当に病気を発病させる原因とは、エゴとその顕現状態なのだ。そして、治癒効果があり健康にするのは、愛とそれを表現することなのだ。これは、確かに断言できることだ。
しかし、僕たちには、大なり小なり、そういうことが起こるのではないでしょうか?つまり、ほとんどの人に、憤りや悲しみや攻撃欲を目覚めさせて不機嫌にさせるような物事が、人生ではいろいろと起こるのではないでしょうか?
僕は、感情の抑圧についての説明がかなり自分に当てはまると思いましたが、癌になっていないのはなぜでしょう?
確かに、君たちは時々病気になるが、癌のように本当に重い病になるには、感情的な不快感に「囚われて」いなければならない。囚われるというのは、不快感が恒常的な固定観念に変わり、「エゴ的感情」に支配されるがままとなり、相当長い期間そのままの状態でいるという意味だ。長いこと、眠りの妨げとなる場合もある。
また、そういう感情を発散させたり表現する、すべての手立てを抑制した場合である。
では、癌になりやすい性格というのがあるのですか?
そうだ。「エゴ的感情」(憤り・憎しみ・悲しみ・恐れ)に流される人と、感情のやり取りや表現が抑圧されていると感じている人だ。
それなら、病気は、物事に正しく対処しなかった罰だという結論になりませんか?
罰ではなく、内的な感情的苦痛の結果である。
病気を生み出すのは当人であり、癒せるのも当人である。そのために、魂の本当の姿を抑圧せずに表明して、エゴから愛へと自分自身を変化させねばならない。
でも、もう苦しんでいるのに、そのような重い病になることには、どういう意味があるのですか?苦しむだけで十分ではないのですか?
肉体の不快感は、内面の不快感の反映だということに気づくことだ。
この場合、肉体的な病気は、当人に内面の病を気づかせ、変化を促すためのアラームのような作用をしている。
でも、当人が、肉体的な病気が内側の病と関係していると連想できなければ、どう自己変革できるというのですか?
肉体的な病気は、内なる魂を出現させまいとする頭脳の防壁を弱めるもので、自己の感情のみならず、他者の感情や苦悩についての感知力を高める。そして、これが、人に変化を促すのだ。
自分が変われば、病気は治るのでしょうか?
大半は治るが、すべてのケースがそうではない。肉体レベルで修復不能な病害もあるのだ。
治らない人たちは、死んでしまうこともあるのですか?
そういことになる。
自分を変えても治らずに、どうせ死んでしまうのなら、病気にどういう意味があるのですか?
霊的視点では、肉体の命は本当の命のほんの一瞬に過ぎず、肉体の死は終わりでも悪いことでもなく、より制限のない別次元への移行期だということを思い出すことだ。
病気は、人がより高次の理解や愛、叡智へと進歩するために役立つ手段なのだよ。すでに述べたように、肉体の病は、内面の感受性の表現を妨げる頭脳を弱めるので、実のところ、進化に寄与するものだ。
人が愛における進化を成し遂げた変化には、失われることがない。どこに行こうと、自分と一緒に持って行ける。これは、人生で得られるものの中では、もっとも貴重なものだ。生涯を通しての目標に掲げることができ、もしそれを達成できたとしたら、魂は自分の仕事に満足して、穏やかに霊界に戻ることができる。実際、自分の魂に成し得た変化だけが、死ぬ時に持って行ける唯一のものだ。なぜなら、物的な成果はすべて、物質界に残るのだ。
イエスの次の言葉はこのことに言及しているのだよ。
「自分の宝を地上に積むのはやめなさい。そこでは虫とさびでキズ物になり、また盗人が忍びこんで盗み出したりする。自分の宝は、天に蓄えなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が忍びこんで盗むこともない。自分の宝のあるところに、自分の心もあるからだ。(マタイによる福音書6章19~21節)
でも、死んでしまったら、学んだことをどう実践できるのですか?
魂は体に宿っていようと離れていようと、生き続けるのだと気づくことだ。どちらの場合でも、学んだことは魂の一部となり、継続して進化していく上で役に立つ。
でも、家族や愛する人たちはどうなるのですか?過酷な病気になって必死に頑張って自分も変えたというのに、その愛する人を失ってしまうのは、ショックが大きすぎやしませんか?
病気であろうと自然死であろうと、愛する者たちとの別離は一時的なものだ。向こう側では、我々は皆、愛する者と再会できる。
物質界に生まれ出でる時には、その転生で一緒に生まれない愛する者たちと同じように別れてやって来る、と気づきなさい。彼らにとっては、それはトラウマとならない。一時的な別離だとわかっているし、生まれ変わる魂は霊的に進歩するためにそうすることを理解しているからだ。そのため彼らには君たちのような喪失感はない。
君たちが、生命は決して尽きることがなく、肉体の死は終わりではなく、霊的次元への移行段階に過ぎないことを会得できれば、愛する者が死ぬことで生じる問題やトラウマや落胆の多くが、消え去ることだろう。
自分の葛藤を解消できずに、病気のせいで死んでしまう人たちはどうなのですか?
試練を乗り越えて自分に打ち克つために必要だった変革を実現できなかったので、霊的に停滞してしまうだろう。彼らは霊的に超越する戦いで「匙を投げた」のである。つまり、霊的に進歩できそうになかったので、彼ら自身が霊界へ戻れるようにしたのだ。次回の転生では、同じ試練を携えてきて、それを乗り越えようとするであろう。
病気の原因の話に戻りますが、表面上は何の感情的な葛藤もなく、比較的幸せなのに、癌のような病気を患う人がいませんか?
それに、感情的トラウマを体験するほど充分な自覚がないのに、先天的な病気を持って生まれる子どもについてはどうなのですか?
いい質問だ。生まれたばかりの子についてだが、魂は胎芽に結びついた時点から、周囲で起こるすべてのことや母親の気持ちを感知できるので、妊娠期に感情的トラウマを経験しやすく、それが肉体的な病気の発症原因となり得てしまう。
しかし、どんな感情的トラウマとも関係のない病があるのは確かだ。したがって、感情的トラウマがすべてのケースの要因とは言えない。
遺伝的要因を持つ先天性の病と呼ばれるものがそれに当たるが、他の病気の原因は、感情要因と遺伝的な性質が組み合わさったものである。
先天性の病気の場合、何がその原因ですか?
前世での行いに要因がある。病気はエゴに駆られて犯した「愛の法則」に反する行為で貯まった負債を清算するための試練なのだ。
言われることがわかりません。病気が過去の行いとどう関係するのですか?病気をどのように前世から他生へと繰り返すのですか?もう少し教えていただけませんか?
人は「愛の法則」に違反すると、「霊的な作用と反作用の法則」により、その行為が心理的毒素となって魂に浸透し、波動レベルを下げ、その様相を乱してしまう。
波動低下に呼応したこの乱れは、しまいには、メンタル体や将来の肉体の型となるアストラル体など、より濃密な体を変化させてしまうのだ。転生時にアストラル体が乱れたままだと、肉体の遺伝子コードに変異を起こしかねず、先天的な病気を引き起こす。
だから、たとえ前世のものであろうと、病気の原因がエゴであるというのは、やはり正しいようだ。
でも、継承するとわかっている遺伝的変異、つまり、両親の遺伝子を受け継いだための変異もありますよ。だから、転生者のアストラル体が原因のようには思えませんが、これに関してはどうでしょう?
両親からの遺伝で受け継いで、特定の病気になりやすくなるというのは、極めて確かなことだ。だが、転生する魂は、その状況を知っていて同意したのだよ。肉体または精神の障害が前世の行為の結果で通過すべき試練だ、と知っているのだ。これはまた、そのような状況を経験することを過去に同意した両親にとっても、試練となる。
本人や愛する人がこのような状況を経験している人に、こんな話をしても、受け容れはしないと思います。「こんな目に遭うなんて、僕らはいったい何をしたんだ」と考えるに違いないでしょう。
そういう風に考えるのが普通だ。なぜなら、総括的に理解するには、誕生以前に前世が存在していたことや、魂がそのときに以後の転生で直面する状況を創りだしたことを、認める必要があるからだ。
生命はこの人生の後も存続するので、病気も結局は一時的な状況に過ぎない。その一時の経験からは愛の学びを積むことができ、病気はそのためのものとなる。
先天的なもの、事故のような状況的なものを問わず、普通の生活を営む上で妨げとなる、精神または肉体の障害を持った子どもや家族のいる人には、どう声をかけられますか?
普通の子に接するように振る舞いなさい。実際、普通の子どもなのだ。外見で判断してはならない。肉体の奥底に、皆と同じような魂を見出すだろう。その子、その愛する者の中に、不完全な肉体を見るのではなく、完全な魂を見ることだ。そしてその魂の通りに、完全な存在として扱ってあげなさい。不具合な衣装の下には、健全な肉体の人と同等かそれ以上に力強く生き、感じ、気づくことのできる人がいるのだ。
音楽を理解している者ならば、音楽は楽器が奏でるのではなく、それを弾いている音楽家の心で生まれるのだ、と言うであろう。ヴァイオリンが未調弦であったり壊れていても、弾き手自身が演奏できないわけではなく、一時的に思い通りに弾けないだけで、手元の楽器がどのように調弦されているかにかかわらず、自分の音楽の才能を伸ばすことができるだろう。
それと同じように、楽器となる肉体が一時的に調子外れだからといって、愛という心の曲を聞き取り、それを表現する可能性を魂から奪ってはならない。普通の子供に接するように、その子に話しかけたり、気持ちや愛情を表して伝えたりすることが、不毛な努力だと思ってはならない。
人は、肉体の感覚によって感じることができなければ、魂の感性を介して感知するのだ。特に愛ある行為に対しては、もっとずっと感受性が強い。健常人の反応をしなくても、感じていない訳ではなく、その子の身体が、魂が望むがままに物質界で表現することを妨げているだけだ。その子のために心からしてあげることで、無駄になるのは何もない。霊界では、愛のためや愛を抱いて行うことで、失われるものはないのだ。
すでに言ったが、繰り返しておこう。肉体的または精神的な障害は一時的な状況で、それはひとたび肉体が消滅するや、終わることだ。だが、その体験を通して、当事者や周囲の人びとに生まれて根付いた感情は、魂の糧となって永続する。そして、それが真に大切なことなのだ。
でもそれによって、何を学べるのですか?
自他の苦悩に敏感になれる。おそらく前世では、今苦しんでいる人たちが、他者に同様な苦しみを与えていたのだが、自分がどれほど傷つけていたのかを自覚しようとしなかっただろう。
愛への第一歩は、他者も自分と同じ感情を持ち、自分が苦しむのと同じことで苦しむのだと認識することだ。
先天性の病気に霊的な意味があるとしたら、それは何でしょうか?
このケースでの病気は、魂が高次の霊的進化を遂げる妨げとなる心理的毒素を、肉体に転写するプロセスだ。肉体は病気になることでその毒性を緩和し、吸い取りスポンジのように吸収し、毒素を排除することができる。つまり、魂は、毒素を肉体に渡し、肉体は汚れをふき取る雑巾のような働きをする。この「汚れ」が肉体レベルでの病気の要因であるが、病気は下水に流すように、より精妙な霊体を薄めるために役立つのだ。
また、人生の最後で、この排水機能を利用して毒素を一気に洗い流そうと、病気になることを選択する魂もいる。つまり、生涯で重い病を患わなくても、肉体との分離の時が近づくと、肉体は不要になるので、霊体に蓄積されていた心理毒素の一部を肉体に転写するために利用して、浄化しようとする。
このようなケースは頻繁に見られ、この場合には、死を妨げようとどんなに頑張ってみても、全く効をなさない。なぜなら、それは現在進行中の感情的な葛藤とは無関係で霊的な浄化だからだ。
魂が「愛の法則」に違反すると、次の転生で病気にならされるのですか?
いや、そうではなく、心理的毒素を除去する方法は幾つかある。
悪かったと反省することを愛ある行為で償っていけば、病気を体験することなく、魂の毒素を取り除ける。だから先ほど、病気の原因がエゴであれば、愛が諸悪の解毒剤との処方箋になる、と言ったのだ。
したがって、必ずしも病気になって毒を消散させる必要はないが、それが一番手っ取り早い方法なので、多くの魂がそうすることを選んでいる。
明らかなのは、毒素の重荷を取り除くために何かをしない限り、それは残ってしまい、より高次の愛と幸福へと魂が進むことを阻止してしまうということだ。
感情的要因と遺伝的な性質が組み合わさった病気もあるのですね?
その通り。
もう少し説明していただけませんか?
特定の試練に立ち向かうために生まれてきた魂は、物質主義に流されて転生の目的から外れてしまわないために、病気を記憶の喚起剤として利用する。つまり、病気は、ドライバーに車線からはみ出たことを警告する路肩のランプルストリップス(訳註:主に路外逸脱防止を目的とし、道路両端に施工された波状の舗装)であるかのごとく、魂が事前計画から逸れてしまった場合にだけ起動する。
同じ状況でも重病にならない人がいる一方で、遺伝的な性質で特定の病気になりやすい人は、アラームが鳴りやすいのだ。言い換えれば、それほど強くない感情の刺激でも、病気を誘発させるには充分なのだ。
病気の原因が今生の感情トラウマの場合は葛藤を解消することで、治癒できたり、浄化の過程であれば先天的な病で直らないことがあるなら、現在用いられている薬学療法は、たとえば癌などの場合で、何か役に立つのでしょうか?
現在の治療法、つまり化学療法と放射線療法は、細胞の増殖という症状をなくそうとするが、病気の原因には作用しないので、病気を回避することはできない。
また、遺伝子を損傷してしまうので、細胞をひどく傷つけ、多くの場合にそれが永続して再生不能となる。君たちは、癌が遺伝的変異に因ると思っているのに、どうして変異を誘発させる薬をその治療に用いるのか、理解に苦しむよ。
薬は悪いのですか?
全部がそうではないが、攻撃性が過ぎるものは、効用よりも弊害をもたらすので良くない。
特定の場合には、抗炎症剤やコルチコイドや、ある種の免疫調整剤などは有益である。薬学を正しく適用すれば、人生に病が訪れる際に、健康を回復するために役立ち、治癒を可能にする。また、治る見込みのない病でも、症状を和らげ、生活の質を向上させる助けとなる。
では、薬学治療をして、癌が治る人がいるのはなぜですか?
治ったとしたら、原因となった感情面の問題を解消できたからか、実は良性だったかで、症状を排除したためではない。
感情的または、霊的な毒素が残留すると、最初に冒された組織を切除していればその近くになくなるかもしれないが、癌は別のところに再発してしまう。
癌を治すために有効な、肉体状の助言はありますか?
質素な菜食主義とビタミンを多く摂ること。異常細胞の除去に身体が専念できるように休息を多く取り、平穏でいること。身体器官を痛めずに回復できる、身体にやさしい治療法を使用すること。
お話のように、「エゴ的感情」が残存することによってアストラル体が力を失い、それが長期的には肉体的な病気を誘発するのだとしたら、健康を回復させるために、アストラル体をエネルギー的に綺麗にすることは可能でしょうか?
可能だ。特定の運動(ヨガ)をしたり、人がパイプとなってエネルギーを供給したり(レイキなど)、生体エネルギー発生器などによって、悪い流れを取り去り活力を与えることができる。
エネルギー治療は、アストラル体レベルに作用に、疲弊したエネルギーを洗い流し、そこに新しい活力を供給し、気の流れを修復する。生体エネルギーを用いた治療は、病気の回復を促したり、症状を緩和させることに貢献する。
だが、エゴ的な感情を放棄できなければ、アストラル体の乱れが再発し、その結果、肉体の病も再び出現することとなる。霊体、メンタル体、エネルギー体、肉体を総合して、治療に取り組むべきである。
つづく
『魂の法則』ナチュラルスピリット刊
ヴィセント・ギリェム著・小坂真理訳
2024年2月25日(1.16)
アメブロで記事を書きました。
アメブロで記事を書きました。
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