丑年生まれのトロです。
「夏が来れば思い出す」と鼻歌が出てきそうな、また暑い夏がきました。
日本では7月7日は七夕祭り、スペインではへミングウェイがこよなく
愛したパンプローナの牛追い祭り、この時期からスペインは全国的
闘牛シーズンに入ります。
思い出話になりますが、実は、私トロは日本で最初で最後の闘牛開催を
実現させたことがあるんです。
スポンサーは某人材派遣会社で、入社式のイベントとして1999年4月1日、
東京オリンピックで有名な吊り天井の代々木競技場で、スペインスタイルの
闘牛に最も近いやり方で何とか形を整え、事故もなく無事に終了しました。
スペインから、組み立て式の闘牛場を船で運び、砂場を作るため8tトラック
50台分の砂を運び込み、床から20cmの高さまで砂を敷き詰め、本場
スペインと遜色のない、闘牛場を設営することができました。
闘牛開催日には6,500人の観客や報道関係者などで会場を埋め尽くしました。
外では動物愛護協会が、乳牛ホルスタイン種を描いたプラカードを持って
抗議活動をしていました。(笑)
我々が日本で初めての闘牛開催を成功させるまでに、過去に何度か
日本で闘牛を開催すると噂を聞きましたが、そのたびに計画は頓挫し
お流れになったようです。
参考のために交渉をした何人かに話を聞いているうちに、気が付いた点は
皆さんは一番肝心な事を後回しことで、失敗したようです。
闘牛は闘牛士が脚光をあび、ともするとイベントの一番中心的立役者の
ように錯覚し、有名闘牛士とコンタクトを取り交渉をしたようですが、
訳の解らない日本で闘牛をしたいと思う闘牛士はいなかったでしょうし、
有名な闘牛士であればあるほど、高いギャラを吹っかけたのではないで
しょうか。
しかし開催できなかった理由は、闘牛士ではなく、別にあったのです。
肝心の闘牛の牛を確保せずして人気闘牛士の後を追って交渉しても、真
の立役者の雄牛がいなければ有名闘牛士も只の人なのです。
交渉の本質が見えなかった人たちの話をいくら聞いても、全く参考には
なりませんでした。
闘牛の主役、雄牛様が日本国へ入国するには、農水省の動物検疫などの
問題で、スペインからは偶蹄類(牛)の動物が輸入禁止国のため本家本元
からは運んで来ることが出来ませんでした。
スペインの闘牛協会の責任者達と話し合い、日本ではどの国から生きた
闘牛用雄牛を輸入できるか調べ、闘牛が盛んな国がある中南米の中から
メキシコからであれば日本に輸入ができることが分りました。
メキシコと言っても地域が広く、海側の地域では偶蹄類の伝染病汚染地域で、
日本の検疫から輸入許可が下りないため、汚染地域でない地域にある闘牛
飼育牧場からスペインの闘牛用の牛に、血統的にもっとも優れた雄牛が
入手できるか探しました。
海抜2500メートルにあるメキシコシティ近郊で、スペインから血統を
継承するもっとも歴史のある牧場から、闘牛用雄牛4頭、雌仔牛6、去勢牛
2頭、計12頭を箱詰めしてチャーターした、ジャンボ機フレーター機内の
テニスコート2つ分裕にあるスペースに1頭づつ入れた木箱12箱だけ乗せ
て運びました。
闘牛士の人選は闘牛士協会に任せ、開催に向かってその他諸々の重要な交渉
案件が山ほどあり、日本では通関及び検疫に関する打ち合わせと、30日間の
検疫隔離場設営及び飼料と飲料水の問題等、受け入れ体制に関して横浜動物
検疫所でミーティング、メキシコでは闘牛用雄牛買い付け、輸送用箱詰め作業の
立会い、メキシコから輸出通関に関して通関書類など業者とのミーティング
及び空港搬入立会いなど闘牛関連の交渉で、スペイン、メキシコ、日本、
スペインと「80日間世界一周」ならぬ「10日間で世界一周」を達成して
しまいました!(笑)
闘牛秘話(2)では、ジャンボ機で成田空港に到着した時の話とか、
検疫所での30日検疫隔離の入所の時の話など、お話します。
闘牛秘話(2)~烏合の衆
闘牛秘話(3)~何の為のミーティング?
闘牛秘話(4)~血を流さない闘牛
闘牛秘話(5)~お金の使い方
「夏が来れば思い出す」と鼻歌が出てきそうな、また暑い夏がきました。
日本では7月7日は七夕祭り、スペインではへミングウェイがこよなく
愛したパンプローナの牛追い祭り、この時期からスペインは全国的
闘牛シーズンに入ります。
思い出話になりますが、実は、私トロは日本で最初で最後の闘牛開催を
実現させたことがあるんです。
スポンサーは某人材派遣会社で、入社式のイベントとして1999年4月1日、
東京オリンピックで有名な吊り天井の代々木競技場で、スペインスタイルの
闘牛に最も近いやり方で何とか形を整え、事故もなく無事に終了しました。
スペインから、組み立て式の闘牛場を船で運び、砂場を作るため8tトラック
50台分の砂を運び込み、床から20cmの高さまで砂を敷き詰め、本場
スペインと遜色のない、闘牛場を設営することができました。
闘牛開催日には6,500人の観客や報道関係者などで会場を埋め尽くしました。
外では動物愛護協会が、乳牛ホルスタイン種を描いたプラカードを持って
抗議活動をしていました。(笑)
我々が日本で初めての闘牛開催を成功させるまでに、過去に何度か
日本で闘牛を開催すると噂を聞きましたが、そのたびに計画は頓挫し
お流れになったようです。
参考のために交渉をした何人かに話を聞いているうちに、気が付いた点は
皆さんは一番肝心な事を後回しことで、失敗したようです。
闘牛は闘牛士が脚光をあび、ともするとイベントの一番中心的立役者の
ように錯覚し、有名闘牛士とコンタクトを取り交渉をしたようですが、
訳の解らない日本で闘牛をしたいと思う闘牛士はいなかったでしょうし、
有名な闘牛士であればあるほど、高いギャラを吹っかけたのではないで
しょうか。
しかし開催できなかった理由は、闘牛士ではなく、別にあったのです。
肝心の闘牛の牛を確保せずして人気闘牛士の後を追って交渉しても、真
の立役者の雄牛がいなければ有名闘牛士も只の人なのです。
交渉の本質が見えなかった人たちの話をいくら聞いても、全く参考には
なりませんでした。
闘牛の主役、雄牛様が日本国へ入国するには、農水省の動物検疫などの
問題で、スペインからは偶蹄類(牛)の動物が輸入禁止国のため本家本元
からは運んで来ることが出来ませんでした。
スペインの闘牛協会の責任者達と話し合い、日本ではどの国から生きた
闘牛用雄牛を輸入できるか調べ、闘牛が盛んな国がある中南米の中から
メキシコからであれば日本に輸入ができることが分りました。
メキシコと言っても地域が広く、海側の地域では偶蹄類の伝染病汚染地域で、
日本の検疫から輸入許可が下りないため、汚染地域でない地域にある闘牛
飼育牧場からスペインの闘牛用の牛に、血統的にもっとも優れた雄牛が
入手できるか探しました。
海抜2500メートルにあるメキシコシティ近郊で、スペインから血統を
継承するもっとも歴史のある牧場から、闘牛用雄牛4頭、雌仔牛6、去勢牛
2頭、計12頭を箱詰めしてチャーターした、ジャンボ機フレーター機内の
テニスコート2つ分裕にあるスペースに1頭づつ入れた木箱12箱だけ乗せ
て運びました。
闘牛士の人選は闘牛士協会に任せ、開催に向かってその他諸々の重要な交渉
案件が山ほどあり、日本では通関及び検疫に関する打ち合わせと、30日間の
検疫隔離場設営及び飼料と飲料水の問題等、受け入れ体制に関して横浜動物
検疫所でミーティング、メキシコでは闘牛用雄牛買い付け、輸送用箱詰め作業の
立会い、メキシコから輸出通関に関して通関書類など業者とのミーティング
及び空港搬入立会いなど闘牛関連の交渉で、スペイン、メキシコ、日本、
スペインと「80日間世界一周」ならぬ「10日間で世界一周」を達成して
しまいました!(笑)
闘牛秘話(2)では、ジャンボ機で成田空港に到着した時の話とか、
検疫所での30日検疫隔離の入所の時の話など、お話します。
闘牛秘話(2)~烏合の衆
闘牛秘話(3)~何の為のミーティング?
闘牛秘話(4)~血を流さない闘牛
闘牛秘話(5)~お金の使い方
これはまたすごい話ですねトロさん。真夏の夜のおとぎばなしのよう。そんな大イヴェントが日本で催されていたとは・・・しかも、あなたが大風呂敷を広げひるがえしたとは、あっぱれです
日本でも闘牛というか四国宇和島のたしか「われえさい」(漢字はわからない)というのがあり「牛」を戦わせたような記憶が・・・.
ウイキにありました。
牛と牛が戦う競技は、牛相撲、牛突き、牛の角突きなどと呼ばれ、岩手県久慈市、新潟県二十村郷(長岡市、小千谷市など)、島根県隠岐島、愛媛県宇和島市、鹿児島県徳之島、沖縄県うるま市などで行われている。
下記に記述するスペインなどの闘牛とは異なり、むしろ闘犬に近く、相撲のような競技である。大相撲のような番付により牛の優劣が格付けされる場合もある。また新潟の牛の角突きでは勝負付けを行わず、引き分けにさせる。
ちなみに、われいは=>和霊様祭り、最近名前が変わり「牛鬼」祭りですって。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100814-00000560-san-soci.view-000
さぞ盛大なことでしょう。
今回は口蹄疫でずっと自粛していましたから、なお一層。。。