3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

闘牛秘話(4)~血を流さない闘牛

2010-08-22 06:49:26 | Opinion de Toro
丑年生まれのトロです。

動物検疫所で隔離検査が始まって、闘牛の牛さんは隔離室で長旅の疲れを
取り、ゆっくり羽を伸ばしていました。
メキシコの牧場から一緒に来た牧童と通訳は牛さんと隔離検査が終了する
まで検疫所で寝泊りし、検疫所から一歩も外に出れなかったそうです。

我々はスペインに帰り闘牛開催の最終準備に追われていました。
闘牛ポスター作製、闘牛士たちの興行ビザの入手など、日本に行くための
雑用処理にバタバタしていました。

日本にいる、牛さんの方は下痢もせず元気に1ヶ月の隔離期間をクリアーして
富士山の麓にある牧場に設置した覆面施設に闘牛の牛を入れ晴れの日を待つ
のみとなりました。
検疫所と富士山麓の牧場の隔離施設は、覆面施設で、牛さんからは一切人間
の動きが見えない塀に囲まれた施設を特別に作りました。
人間の動きが解ると、闘牛の時にカポーテ(マント)の動きに突進せず、人間に
突進してきますので、カポーテでコントロールの出来ない牛になり、恐ろしい
危険な牛になるからです。

スペインでの準備は終了し、いよいよ出発日を決めエアーチケットを航空会社に
お願いすることになり、興行ビザが大使館から下りるのみとなりました。
出発日は迫ってくるし、ビザがなかなか下りないので、在スペイン日本大使館に
問い合わせをした所、この件は外務省の本庁決済になりましたので、我々には
どうにもなりませんという回答でした。
心配になったので、闘牛開催するスポンサーに問い合わせたところ「今、色々
と手を打っているから、もう少し待ってくれ」と言われて、出発日はせまり、
闘牛士協会側からはパスポートはどうなった、ビザは取れたのかと毎日のよう
に連絡がありました。
大丈夫かな、もしビザが下りなかったら、と心配で眠れませんでした。
やっと出発の3日前にビザが下りて、闘牛協会にパスポートを持って行きました。

後日談ですが、闘牛開催で、牛を殺すのは駄目、血を一滴流しても駄目だとか
で、最初は興行ビザは発行しないと言われていたようで、スポンサー会社の
会長が総理府に出向き、「この闘牛開催では一切牛からは一滴も血を流さない」
と念書を入れてきてやっとビザを下ろしてもらったそうです。
法的には動物愛護の法律があり、さらに都道府県に動物愛護の条例があるそう
で、東京都の条例は割と厳しいかったようで、動物どうし戦わせてはいけない
とか、細かく虐待についての条例が多かったようです。

そんな訳で、闘牛士一行が日本に到着し、我々は代々木競技場で闘牛場を
設営する為、20cmの厚さにプレスをかけながら土砂を敷き詰める作業を
見に行き、その上に簡易闘牛場を設営する作業にも立ち会いました。
闘牛場を動かないように固定するのは、40センチくらいの太い鉄釘を打つの
ですが、代々木競技場はその釘が打てないため、要所要所の柱の支えにドラム
缶を置き牛が闘牛場の壁に突進しても動かないように設置しました。
ドラム缶に水をいっぱいに入れたので、1トン近くの重さにはなり、十分支え
になると思いましたが、実際牛が体当たりをしたら、どうなるかは解らないし、
もしも壁が倒れたりしたら大惨事になりますから、当日までずっと不安でした。

代々木競技場内に闘牛場が完成した後は、闘牛士が闘牛中に事故が起きた
場合のことを考えて、スペインから闘牛での怪我専門の医者が付き添いとして
一行の中にいたので、その医者とスポンサーが交渉し用意してくれた救急病院の
医院長に挨拶と救急の時はどのようにすればよいか、色々と聞いてスペイン側
からの要望も伝え、話を詰めてきました。
闘牛場には救急車を2台待機してもらうように交渉しました。

スペインのつもりで、救急車も日本は同じシステムまたは医療も進んだ国だ
から、スペイン以上の機材が揃っているのではと思っていましたが、スペイン
より機材は悪く驚きました。
スペインの救急車は救急医が乗っており、車の中で処置が出来るようにICU
設備が整っているのですが、日本はミニバンのような救急車で、内部には
ICU救急設備が整ってない車がほとんどで、またICU救急システムが
付いている救急車は東京には数台しかないと言われ、思わず「えッ、本当です
か!」と唖然としました。

闘牛では、内股を角に衝かれ、動脈を切ってしまうような、即止血処置を
必要する怪我が多く、1分でも早く処置をしないと、一命を落としてしまいます。
代々木競技場にその救急病院から開催中には医者が待機していてくれることに
なり、病院側の配慮に感謝しました。
救急病院は代々木競技場から、比較的近い位置にあり、肉眼で見える所に
あったので、何か事故があっても、時間的に何とか間に合うのではと、スペイン
の医者が話をしていたが、事故が起こらないのが一番良い、と闘牛士達の無事を
祈っていました。

スポンサー入社式と闘牛開催の進行計画を決める、責任者会議が毎晩あり、
最初の会議で、闘牛に関して、通達事項があり、闘牛場への闘牛士その他
スタッフの入場行進の際、ピカドール(馬上から槍を牛の肩を刺す人)は一緒に
行進には参加できるが、牛と闘牛場内で、牛の肩に槍は刺せないし、牛が馬に
向かって突進することも出来ないと言われました。

都条例では「動物同士戦ってはいけない」と言う条例があるので、牛が
プロテクターを付けた馬に突進するのも闘牛の一つの見せ場ですが、それが
なくなってしまいました。

雪深い寒い北海道の牧場まで元闘牛士達とピカドール用の馬を探しに行き、
ばんえい競争という馬そり用の大型馬を2頭借りる事が出来ました。
苦労して見つけた馬は、闘牛場で闘牛士達と2周回ってあっけなく出番が終わる
ことになってしまいました。

闘牛中に血を一滴も流してはいけないと念書を書いた事や、都条例の動物虐待
などの条例で、突進してくる牛を馬上からピカドールが牛の肩に槍を刺し、
人間と闘うためにハンディーを負わせる行為が、条例と念書で不可能になって
しまいました。
ハンディーを負わせる行為が出来ないという事は、闘牛士の危険度が増すこと
になります。

「血が一滴も」と言う厳しいお達しがありましたので、それに従うしかないので、
スペインスタイルに極力近づけた闘牛のやり方を守るにはと、闘牛士協会の
会長もメンバーの一人として同行していたので、会長を交え、闘牛士達と
あれこれ話し合いました。

闘牛の背中にバンデリージャ(旗棒刺し)を刺す話になり、スペインから背中に
付ける座布団のようなプロテクターを持ってきていましたが、手が滑って
その座布団の外側に旗棒の銛が刺さって、闘牛の皮膚から血が流れたら、
その場で闘牛にストップ命令がかかり、闘牛が続けられなくなるので、他に
良い方法がないかと話し合いましたが結論がなかなか出ませんでした。

牛に刺さったように見え、簡単に落ちない、血を出さない、この三つを
クリアーできる方法は、早く考えないと闘牛日が数日後に迫っていました。

また同じ時に、フラメンコの大御所を連れて来てフラメンコショーも入社式で
一緒にするので、その舞台の設営だの舞台進行の打ち合わせなど抱えていた
ので、目が回る日々でした。
そんな大忙しの最中、頭の中でフッとひらめいた!!!、電気が点いたように
パッと明るくなったのです。

マジックテープがある、あれを使おう、工業用の幅が広いやつを使えば何とか
なると、言って手伝いスタッフに買ってきてもらいました。
私はバンデリージャの銛の所をマジックテープの雄(鉤が付いた部分)のテープを
ループ状にしてネジで留め、雌(鉤状のテープが引っかかるようにループ状に
糸が有る物)の部分のテープを何列にも並べる方法で、夜になって闘牛の牛の
入った箱の上蓋を外し、牛の背中にゴム接着剤で貼りつけて、接着剤がはみ
出た所は、黄色の色が目立つので、黒の靴墨を塗って誤魔化しました。

この方法が上手く行くかはぶっつけ本番でしたが、牛にマジックテープを貼り
付けるまでにバンデリージャが上手く付くか、簡単に剥がれないか何度も何度も
ホテルで試して、いけそうだと言う事で、闘牛の前日の夜中に接着剤で貼り付け
に行きました。

いよいよ今まで努力してきた全ての結果が試される、4月1日、闘牛入社式です。
その日は、スポンサー会社の会長の闘牛服を着て入場する晴れの日でもあり、
その模様を、色々な報道機関が、待機してニュースは全国に放映されました。

闘牛秘話は4回で終わらせようと思っていましたがどうもまだ終わらないので、
次の5回までご辛抱ください。



闘牛秘話(5)~お金の使い方

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