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【雑談】NHKのオウム真理教特集

2012-05-28 03:51:39 | 高森光季>その他

 NHKのスペシャル番組でオウム真理教特集をやっていましたね。
 元信者への長時間聞き取り、そして初期からの麻原(松本)と幹部との極秘対話録音(なんと700時間だとか)、「諜報部」幹部の証言とういのが新ソースでした。
 いくつか新事実が出たのは驚きでした。大きいものは2つでしょうか。

 ・オウムが反社会化したのは衆院選挙でボロ負けした後の「怨嗟」によるものだという理解はまったく間違いで、教団設立初期から「社会の転覆」「宗教国家の設立(あるいは絶対権力の獲得)」を考えていた。

 ・地下鉄サリン事件は、警察による強制捜査を知り、前途を閉ざされた麻原が、「ハルマゲドンの予言だけは成就させたい」と願って、つまりは半ばやけっぱちでの自爆だったこと。

 オウム真理教問題は、いろいろな論著が出ていますが、私はあまり熱心に追っかけていません。
 ただ、ここにはいろいろなテーマが詰まっているなあと思います。神秘体験、超常現象、超人思想、終末論、宗教国家建設、仏教(密教)諸概念のパクリ、電子器機活用・生産、理系エリートの参画、化学兵器・生物兵器製造……もう何でもありですね。よくこれだけの多面性を持てたものだ、それも「個人支配」のためにそれらを巧みに利用したものだ、と、むしろ感心します。

 どうもこれを見た限りでは、「救済をめざしていた教団が、なぜか踏み外して暴走した」という見方は、不適当に思います。むしろ、当初から「社会支配」を目論んでいた麻原が、すべてを巧みに利用したという理解の方が、真実に近いのかな、と。オウム真理教は宗教教団ではなく、支配権力を得るために宗教を見事に利用したと言うべきではないか。(こういう“宗教教団”はもちろんほかにもあります)。麻原の天才は、そのことを完璧に隠しながら、様々なアクセサリーで人を騙すことができた(宗教学者の中にも騙された人はいたわけです)ということだったのかもしれません。
 NHKの特集は「未解決事件」というシリーズですが、なぜこれが「未解決事件」なのか。それは麻原が「痴呆症状(拘禁反応)」を起こして肝心の部分を語っていないからだということのようです。しかし、たとえ彼が何かを語ったところで、納得が得られるようなたぐいの問題ではないでしょう。
 オウム事件の「深い闇」は、「意図」や「反社会化の経緯」が謎なのではなく、麻原という一種の騙しの天才が出て、そのまわりにそれに加担する幹部の若者たちが生まれたということ、さらにその周りに厖大な信者やお金が集まったということ、それが「なぜなのかわかりにくい」ということなのではないでしょうか。しかし、これはほとんどの社会運動やブームがそうであるように、要素論・因果論的な説明はできないものです。思想面はもちろんのこと、演説面でとか人格面でとか「オーラ」とかで麻原をはるかに凌ぐ人物はたくさんいるでしょう。しかし、なぜか彼は騙すことに成功し、「優秀なエリートの若者」が追随し、あれだけの渦を作ることができた。それがなぜかは、「なぜ○○が流行したのか」という問いと同様、分析不能なものでしょう。もしかしたら“超越的な何らかの働き”があったのかもしれませんし。

 ひとつ、注目すべきことがあるように思います。それは、麻原が「支配」「絶対権力」をめざしていたということです。
 番組では、当時の公安トップがインタビューに応じ、「宗教教団が社会転覆を目論んでいるなどということは、まったく考えもつかなかった。想定外だった。想像力がなかったと言われればその通りだが」というものがありました。「世界の宗教史を見れば、そんなことはごろごろしているわけで、エリートのくせに勉強が足りない」という非難はできるかもしれませんが、この素朴な感想に、それこそ「深い意味」がこめられているように思います。
 それは、あえて単純化して言えば、「日本人には“支配”という思想がない」ということではないか。
 ハリウッドの映画は、「世界征服」「世界支配」を目論む悪が、必ず登場します。これは西洋文明の「影」(無意識的投影)とも言えるわけで、一神教世界には「征服・支配」というイデアが強くあると思います。日本人から見ると、「またこれか」と飽き飽きします。
 逆に言えば、日本のメンタリティにおいては「征服・支配」というイデアがあまり強くない。歴史的にも、個人的な(家門としてではなく)独裁をめざしたのは、後醍醐天皇と織田信長くらいではないでしょうか。
 ところが、麻原には、この強烈な欲望があった。70億人を殺戮できる化学兵器を持ち、世界征服を企むなどという意図を、ほとんどの日本人は持たない。誰かがそうした意図を抱くこともないと思う。その「虚を突く」形で、彼は自身の計画を推し進めていった。
 もっとも、これは麻原が最初というわけではないかもしれません。先行者としては、より巨大な信者群を抱え、政治的影響力も獲得した、池田大作という人がいます。もっとも彼は兵器による政府転覆ということは考えなかったでしょうけれども。麻原が初期に池田氏をVXガスで殺そうとしたというのは、単なる気まぐれではなかったでしょう。

 おそらく、こうした「絶対権力志向者」は、戦後になってから初めて生まれたのではないか。
 日本のメンタリティが、変質したのではないか(オウム信者はハリウッド映画の見過ぎ?w)

 (ちなみに今、大阪市長をヒットラーの再来呼ばわりする人がいますが、それはちょっと違うのではと思います[私は橋本支持者ではありません]。むしろ、特定政治家の復活を神のごとく待望する人々のメンタリティの方が心配です。)

      *      *      *

 宗教的な面から見れば、オウム真理教が持っていた恐ろしさは、あらゆる「集団救済型宗教」「社会支配型宗教」が孕んでしまうものです。集団救済・社会支配をめざす時、宗教は「イデオロギー権力」となり、あらゆる悲惨を生み出します。
 また、信者や幹部たちの「盲目的従属」は、人間性の一つの根源的な性質ないしは病理であり、どの組織的宗教も、それを利用しているものです。以前にも書きましたが、宗教の与える「偽りの幸福」に、「群れる幸福」「崇める幸福」「考えない幸福」があります。これらは時にとても危険なものとなります。
 このほかにも、「神秘体験による自我肥大」問題とか、「選民思想」問題、「終末論」問題など、いろいろなテーマがありますが、まあそれはこれまでも書いてきたし、やめておきます。

 ところで、この番組を見ていて気になったのは、「救済」という言葉を無自覚に何度も使っていることでした。「人々の救済を標榜していたはずが」といった感じです。きらきらした美しい言葉ですが、とても危険な言葉でもあります。そして多くの人はその中身を吟味することもなく使用します。
 前にも書きましたが、あえて言えば「救済などはない」「人は人を救うことができない」。
 このあたりをしっかりと考えておかないと、救済という美辞麗句に騙されかねない。特に、ちょっとした心理的癖の改善や、内的体験の高揚感、そして「偽りの幸福」を、救済と取り違えると、とんでもない間違いになるように思います。


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