スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

夢の不思議

2011-05-06 00:17:16 | 高森光季>その他

 「夢は第二の人生である」――ジェラール・ド・ネルヴァル

 夢というのは不思議なものですね。だいたいは忘れてしまう。でも、時折、不思議な余韻を残す。奇妙な夢もあれば、喜怒哀楽の感情にあふれた夢もある。
 変なものを食べたとか、変な姿勢で寝たとか、音・寒暖といった外的刺激や尿意などが影響したといった場合に見る、体感に引きずられた夢もあります。そういうものはあまり詮索しても意味がありませんね。
 そういうものは別にしても、夢というものは、通常はあまり意味のないものだと思われがちです。けれども、私個人の感じですけど、人生の体験、特に感情体験の数割は、夢が占めているような気がしないでもないのです。もし夢というものがなかったら、私の人生はかなり索漠としたものになるのではないかと。

 スピリチュアリズムの高級霊の情報に、「人間は眠っている間に霊界へ行っている」というものがあります。あちらでエネルギーをもらい、時にはあちらでしっかりと仕事をしている場合もある、と。そしてその間の記憶が、意識に翻訳されるのが夢だ、ということのようです。あちらの世界は高度で複雑であって、それは通常の意識では捉えられない。それを何とか翻訳しようとするから、奇妙な夢になる。……(ノンレム睡眠[眼球運動がない睡眠]の時にあちらへ行っていて、レム睡眠[夢を見ていて眼球運動が盛んになる睡眠]の時に翻訳しているのでしょうかね)
 以前、この話を聞いた時、私は全然信じられませんでした。まさかあ、という感じ。今もしっくり納得しているわけではないです。
 でも、どうも夢の中には、「あちら」の体験の余韻のような、素晴らしいイメージや感情を伴うものがある。それは通常の心理的な夢とは、少し位相が違うように思える。何年か前からそういうふうに感じだして、ううむ、と思うようになりました。

 たとえば、私の場合、小さい頃から何度も見た夢で、家の庭から見上げると、空に巨大な星がいくつも浮かんでいるというのがあります。科学雑誌に載っているような、輪を持った巨大惑星や二連星や小銀河などが、真っ暗な空に色とりどりに輝いているのです。覚えているのはそれだけなのですが、それは、とても神秘的で、怖いようでもあり魅力的でもある。宗教学で「ヌミノーゼ」という言葉があります。神などの超越的存在に対して抱く、畏怖と魅力が混ざったような感情のことを言うようです。このヌミノーゼに近い感覚を、私はその夢から受けました。そしてそれは、起きている時にはほとんど感じたことのない感情体験でした。
 また、十年ほど前からでしょうか、「夢の街」を見るようになりました。イタリアの地方都市のように、小高い丘の上にある街で、「毎回ここに来る」という感じを抱き、愛着と喜びを感じます。そこに自分の家を造るという場面も何度も見ました。時には、それは故郷のように懐かしく、「ああ、ここに帰ってきた、ここが本来の場所だ」と涙を流すような感情を体験することもあります。
 ほかにもいくつかありますが、いずれにせよ、夢でしか体験できない感情体験があるというのは、不思議な、面白いことのように思います。
 こういった夢は、もしかすると「あちら」の体験の余韻を強く残した夢なのではないかと思うようになりました。そこにはひょっとすると、前世の記憶も混じっているかもしれません。

 ところが面白いことがあって、こういう「最上級の夢」を見て半覚醒し、「ああ、いい夢だった」とおぼろな頭で思い、また寝ると、今度はひどい悪夢を見ることがあります。場合によっては、いい夢の記憶をまったく消すほど強い悪夢の時もあります。その前にいい夢を見ていたという記憶だけはあるのですが、内容がさっぱり思い出せません。
 これは、どうも、心に仕組まれた「幸せを否定する」仕組みのせいのように思います。この概念は笠原敏雄さんという心理療法家が超心理学研究や自分の心理療法から導き出した概念で、人間は心底幸福な体験をすると、それにわざとケチをつけるようになっているらしいのです。多くの人が超常現象や霊的事柄に対して「脊髄反射」のように感情的否定や無視、嘲笑を表わすのも、この仕組みによるものではないかと笠原さんは論じています(『超常現象のとらえにくさ』)。
 だとすると、目が覚めて「悪夢を見た」と思っている場合でも、ひょっとしたら、その直前には、素晴らしい「霊的な夢」を見ていた可能性もあります。まあ、思い出せないのなら仕方がないですけれども。

 これと関連するのかしないのかわからないのですが、いい夢を見て、半睡半醒のままうつらうつらしていると、急にあたりが暗い感じになり、不安や疎ましさの感情に包まれてしまうこともあります。時には現世のあれこれを悲観的に思い出して、どん底の気分になる場合もあります。
 これは前述の「幸せを否定する」仕組みなのかとも思えますが、もしかするとそうではなく、「あちら」へ行っていた魂が戻ってくる際に、地上に近い「低級な想念界」を通過するからではないかとも思ったりします。個人的な感情というより、何か不安や邪念の塊の中を通るような感覚もするからです。

 まあ、こういうことははっきりしたことは何もわかりません。ただ、私には、夢はしばしば、「あちら」の体験を思わせるような、魂レベルの体験のような、強い、深い感情を与えてくれるものであることは確かです。感情体験も人生の一部なのですから、夢の内容が意味あるか否かはどうであれ、夢は立派に「第二の人生」ではないでしょうか。

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 心理学(臨床心理学)では、夢は「無意識からのメッセージ」として重視されるものとなります。
 たとえば、ユングの夢の位置づけを簡単に言えば、「人間は意識で行動しているが、それに偏りが生じる。それを是正しようという無意識の働きが夢だ」ということになるでしょう。
 たとえば、ある人が思考が得意なタイプだったとします。そうするとその人は思考ばかりを使って生きるようになります。ところが、人間には思考に対立するものとして感情があります。その部分が未発達になったり、異常に抑圧されたりした場合、無意識は「感情にもっと気配りをしなさい」というような警告を出します。それが夢だというわけです。
 今述べたのはあくまで単純化した説明で、ユングの夢に関する理論はもっと複雑で膨大です。影とか元型とかいった難解な概念もあります。それはそれで非常に面白いものですし、治療的な意義も大きいと思います。
 確かに夢をきちんと分析すると、自分が気づかなかった問題が明らかになることがあります。私自身も、ちょっと分析してもらったことがあって、「ええ!? ふーん、なるほど」と目ウロコの体験をしたことがあります。
 ちなみに言っておくと、「夢の象徴早わかり事典」みたいなものは、全然お話になりません。よく、ネットや本で調べて、○○は××の象徴といった解釈をしたがる人がいますが、イメージというものは、当人の枠組みによって担うものが変わるものであって、鉛筆=男根、火事=新たな生活、といった単純な結びつけは、百害あって一利なしです。夢分析をきちんとしたい人は、きちんとした臨床家のところへ行った方がいいです。

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 人間の意識が、心(や魂)に比べれば、ほんの氷山の一角に過ぎないということは、言い古されていますが、真実でしょう。
 私たちは、ともすると意識だけで生きようとする。そうすると生は貧弱化するし、また意識から払いのけた部分が暴れて、とんでもないことになったりする。
 夢は、そういった意識の健康を回復させたり、意識の枠を破って、もっと豊かな生へと導くきっかけになったりしてくれる、なかなか大切なものだと思います。
 もう少し夢に注意を払って、印象に強く残る夢があったら、メモしたり、反芻したりすることで、心の幅を拡げるのもよいことではないかと思います。
 夢見の技法(好きな夢を見る方法)とか、「明晰夢」(夢見の最中に反省意識を保ち、夢を自分の意志で変改する)といった探究もあるようですが、まあそこまでやる必要もないでしょう。
 せっかく毎日寝ているんですから、その部分も自分の人生に組み入れないと、損じゃないですか(笑い)。

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