ちょっとわからないような気分になったのですが……
もしある人が、死の床にいたとします。そしてこう感じていた。
「私の人生は、苦しみも失敗もたくさんあったけれど、喜びもそれなりにあった。それでいい。すべては過ぎ去っていく。もうすぐすべてが終わる。何もかも消え去る。私は静かにそれを受け止め、受け入れている。もういい、もう終わりだ。一抹の淋しさはあるけれども、それでいい」
こういう静かな諦念の中で死んでいければ、それはとてもいいことなのか。
私はスピリチュアリズムに出会ったので、もうこういうふうに考えることはできません。
「私は肉体という牢獄から解放されて、心地よい“蓮華の国”へ帰っていくのだろうなあ。そこで私は何を思い、何を反省し、そして次にどういう道を選択するのだろう」
いくぶんかの期待と、いくぶんかの「気おくれ」――自分の至らなかった点への慚愧の思い――を抱きながら、たぶんそんなふうに思うことでしょう。(おかしいですか?w)
で、ちょっとわからないような気分になったのは、
・人は本当に前者のような静かな諦念になれるものなのか(まったく不安や恐怖なしに)
・それともけっこう多くの人はそういう感じで死を迎えているのか
さらに言えば、
・なんか前者の方が、潔くて高貴な感じがしなくない? 後者の方がいろんな思いを抱いていて、人間くさくない?
みたいな思いもあります(笑い)。
まあ、人間くさくて何が悪い?という考え方もあるでしょうし……
前者だと死んだ後目が覚めて、「ありゃ?」みたいなことになるんじゃない?という考え方もあるでしょうし……
もひとつ言えば、
・死んだら絶対こうなる(神の御国で賛美歌三昧とか、六道に輪廻するとか)と固定観念を持つよりは、「静かな諦念」で向こうへ行った方がいいいのではないか
みたいな考え方もありえないではないような……
さあて……(とよくわからないままアップしますw)
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刺激を受けて、自分のブログで考えてみました。直接の応答にはなりきれていませんが、トラックバックさせていただきました。
じっくり拝読して続きは改めて。